J.S.FOUNDATION

活動報告

'11.12.26 UPDATE
「絆」「きずな」「KIZUNA」 今年の漢字にも選ばれています。
「絆」を辞書で調べてみると、「人と人の断つことのできないつながり」「離れがたい結びつき」と記されていた。
その意味を調べながら私にとっての「絆」を考える。
とても難しい問いに思える。

被災地で沢山の方のお話を聞いているうちに朧げながらに分かりかけている。
人が極限に対峙した時、その人の本能がその人にどのような行動をとらせるか…
その一瞬が「絆」に繋がるのかー 「絆」があったからそのような行動に繋がるのかー
どちらにせよ関係があるように思える。
3月11日以降、被災された方々をはじめ支援活動に従事された人たちが、
どのようにお互い支え合い、励ましあったか。
胸を打つ体験談は数知れない。

それにひきかえ政治は死んでいる。
3月16日、破壊された原発に自衛隊のヘリコプターが海水をかける映像の衝撃ー
隣近所の失火を消火するレベルの危機管理に心底恐怖を感じ、
「世界中にこの映像が流れたら日本はどんな国なんだと非難されるだろうな」と心配したものだが、
自国の原子力発電所もコントロールできないのにベトナムやインドなどに輸出を目論んでいるらしい。
「それって許されるの?」と思いつつ最近ご無沙汰のTVをつけると、
橋下大阪市長と満面の笑顔で握手を交わす国政の俗にいわれるところの実力者たち。

「絵本プロジェクト」で岩手県の陸前高田と大船渡にある7カ所の保育園に行き、
戻ったばかりの私は情けなくなりました。
被災地は雪が降り寒々しく、瓦礫が移動されているだけの更地に作業員の人影もなく静まり返り、
たくさんの鳥だけが目につきます。
車の窓から見えるのも自助努力でプレハブを建て営業しているドラッグストアやお弁当屋さんなど…
どう考えても利益に結びつかないのに住民や作業員の為に開店している感じのお店です。

行政ののろさと民間の温度差、恥ずかしくないのだろうか!

ある保育園の園長さんが「支援物資はたくさんいただいてます。いまは癒しがほしいです」
とおっしゃられていました。

現地の方たちには希望が見えないのでしょう。いついつまでにこういう計画でこう実行し、こんな復興になる。
青写真をせめて示してあげて欲しい。
希望がなければ人は生きてはいけないのです。ボランティアのこころ意気だけではどうにもできないのです。

帰路、大船渡の海岸線に一本の大きな大きな美しいクリスマスツリーがたっていました。
調べてみると明治大学が例年東京のキャンパスに飾るツリーを
「復興のともしびに」と大船渡に立てたものでした。
本当に美しかったです。

2012年のイヤー・オブ・ザ・ドラゴンは、
3.11を経験したことで気付いた新しい価値観や人生観をポジティブな力に変えていこうと思っています。

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'11.12.09 UPDATE
寒い日が続いています。
みなさまにはいかがお過ごしですか。

街はクリスマスの飾り付けで華やいでいます。

私がサンタクロースは実はいないのでは?と思った頃からもう?十年も経ちますが、
国により楽しみ方は様々のようです。
パリで何回かクリスマスを過ごしたのですが、画期的なイベントがあり楽しめました。
ある時間になると区画ごとに決められたパーティー会場に乱入し、
会う人ごとにKISSをしなければいけないルールがありました。
私の人生で一晩にあんなに沢山の男の人とKISSをしたことがなく、今でも楽しい思い出です。

クリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝う日らしいのですが、
正確な起源などはどうでもよく、暗く寒い時期、
みんなで集まりワイワイするのは楽しい時間なので良いことですよね。

私はめったに神頼みはしない性格なのですが、今は神様にお願い事をしています。
年末ジャンボくじの一等の3億円が当たりますように!
当たったら使い道はもう決めています。
1億5000万円で被災地で派手に花火大会をし、
残りの1億5000万円で大きなクリスマスツリーを何百本もたてるのです。
そしたら、あの世とこの世の境界線もとっぱわれて、
大勢の人が集まり楽しく楽しく笑い合える、そんな場所をつくれるかもと思い描いています。

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'11.12.02 UPDATE
今年も、あっという間に12月が来てしまいました。

11月の次は黙っていても12月が来る。そんな当たり前といえば当たり前の日常をむかえられる事に
「私は運がよかったのかも」と考える日が多くなりました。

泣いても笑っても1年は1年。
前向きに生きて少しでも明るい日が送れるように意識して過ごしたいと思っています。

被災地はこれから厳しい冬をどう乗り越えていくのか、最大の課題です。
せっかく助かったいのちが失われることがないようにみんなで支援していかないといけません。

瓦礫に関しても、もっと日本中の自治体が積極的に受け入れ表明をしないと
あの凄まじい量は解決していかないだろうと素人の私でも分かります。
東京都はそれでも岩手、宮城の瓦礫を受け入れています。
震災直後の一体感が日を追うごとに薄れていくことは絶対にあってはいけません。

事務局には絵本プロジェクトで絵本を届けた保育園や幼稚園からお手紙が届きます。
みなさまからお預かりした絵本が被災地の子ども達を笑顔にしてくれる。
その橋渡しができて私たちは嬉しい限りです。

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南相馬市立八沢幼稚園

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山元町北保育所

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南相馬市立北町保育所
'11.11.21 UPDATE
さいたまスーパーアリーナで皆様からお預かりした絵本を、
11月15日に仙台の若林区にあるBase Campに運び入れ、仕分けをしました。

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この日はけっこう寒く、お手伝いしてくれた人たちに温かいものでもと、
自分たちで育てている畑の蕪、ほうれんそう、長ネギなどを使い豚汁を作り一休み。
美味しかったです。

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8月ごろは野菜の育ちも悪くセロリを食べてみると塩分が強く、
いつになればこの土地は再生するのかと心配したのですが、
自然は人が考えるより逞しい生命力を秘めていたのです。


翌16日は南相馬市の再開された保育所、幼稚園と相馬市の保育園に絵本をお届けしました。
上真野幼稚園、八沢幼稚園、鹿島幼稚園、北町保育所、私立よつば保育園、青葉幼稚園、
原町みなみ幼稚園、みなと保育園の8カ所に絵本を届けることが出来ました。
籠に入れる絵本の品揃えも、以前に比べ手数はかかりますが、頭を使い作業をしているので、
数段良くなり、喜ばれています。写真は青葉幼稚園の先生方との1枚です。

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これまでは見かけることがほとんどなかった子ども達の下校風景や、
自転車に乗った住民に出会い嬉しかったです。
住民がこの街に帰って来たのが良かったのか私には分かりませんが、
人の気配が殆ど感じられない被災地があまりにも多いのでホッとするのは確かです。


南相馬市から仙台に帰る道筋は灯りを探しても殆ど見つからず、無人の家の影がかすかに確認される。
地震と津波と目に見えない放射能で住む場所を失った街から、
地震と津波ですべて流され住む場所を失ってしまった場所を抜け仙台駅に帰る。
J.S.Foundationは被災地で何かできているのだろうか?と自問自答。

雪が降らない前に出来る事を探さなければ!
'11.11.11 UPDATE
浜田さんのツアーもひとまず一休み。
4月以降は浜田さんのツアースケジュールと首っ引きで自分の生活環境をつくってきたので、
なにか寂しいような、ホットしたような気分ですが、皆さまには如何お過ごしでしょうか?
気がつけばもう冬になっていました。
東京はまだ紅葉の便りも届いていないのに、街はイルミネーションで華やかです。
今年は皆さん如何ですか?
忘年会や仲間うちの宴会は、東北で賑やかに盛り上げてみませんか。
報告が遅れていた活動報告です。
いずれも「移動図書館プロジェクト」を通じて「今すぐ、本当に必要なものがあれ ば支援をします」という
私たちの約束事をふまえた上でのリクエストでした。
相馬市の新地保育所へ非常時用に防災非常持出袋を8クラス分(¥3,600×8=¥28,800)、
そして東松島市の野蒜小学校へプレハブ校舎への引っ越し用に台車を3台(¥21,000×3=¥63,000)、
ご協力させていただきましたことをご報告いたします。

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'11.11.02 UPDATE
4月16日、静岡からスタートしたJ.S.Foundationの募金活動や絵本プロジェクトに
たくさんの温かなお気持ちをお寄せ下さり感謝いたしております。
ありがとうございました。

そして、苦言をお寄せ下さった方のご意見もしっかり受け止めて、
今後の活動を考えたいと思っています。

J.S.Foundationはこれまでは開発途上国の医療支援などを、
NGO、NPO団体らと連携しながら活動を進めてきた為、東日本の被災地で的確な活動をしていくのには時間が必要でした。

多分、皆様のなかには歯がゆい思いもなさっていると思いますが、
今後の活動を温かな目で見て頂けたらと願っております。

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'11.10.31 UPDATE
10/29、30さいたまスーパーアリーナで募金と絵本を集めさせていただきました。
187万5699円+31USドル+1万ウォン、
そして絵本の購入にしてくださいと商品券5万円分と図書カード5500円もの募金が集まりました。

絵本のほうは、こちらからご要望をさせていただいたうえに、
急なお願いにもかかわらず、本当にたくさんの方たちが絵本をお持ちくだ さいました。
約1500冊の絵本がこの2日間で集まりました。
思いがいっぱいつまった重い絵本を大事そうに抱えてブースまでお持ちくださった皆様、
本当にありがとうございました。
皆様の想いは責任を持って被災地のこどもたちに届けさせていただきます。


4/16静岡エコパアリーナからスタートしたON THE ROAD 2011 The Last Weekend TOURも、
10/30さいたまスーパーアリーナでファイナルを迎えました。
J.S.Foundationもこのツアーすべてに帯同させていただき、
募金活動、絵本のご寄付を皆様にお願いさせていただきました。
本当にありがとうございました。

被災地での活動はとても厳しく大変なこともたくさんあります。
しかし、会場で出会った多くの皆様からのお気持ちに何度も何度も助けられ励まされました。
J.S.Foundationのここまでの活動は、皆様からのご厚意なしには決してカタチにはならなかったです。
改めて皆様にお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

復興への道はこれからです。
長い長い困難な道のりです。多くのことがそのまま山積みです。
J.S.Foundationはこれまで通り、一歩一歩自分たちに出来ることを精一杯やっていきます。

どのような支援が一番ベターなのか?果たしてそれで良かったのか?
私たちも悩みながら活動をしています。
そこで皆様にお願いしたいことがあります。
南相馬市の桜井市長が私たちに言った
「南相馬市が外から見て間違ったことをしていたり、何か要望があれば直接連絡ください」と同じように、
「J.S.Foundationが外から見て間違ったことをしていたり、何か要望があれば直接連絡ください」。

今後も皆様からの変わらぬご支援のほど宜しくお願い致します。

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'11.10.26 UPDATE
「移動図書館プロジェクト」からのお願い!

10月29日(土)、30日(日)のさいたまスーパーアリーナで行われる浜田省吾さんのコンサート会場で
絵本を集めたいと考えております。

前回、皆様にご協力頂いた絵本は被災地の保育園や幼稚園など120ヶ所でこども達に喜ばれています。
地震や津波で1階部分が流されてしまい、絵本が駄目になってしまった保育園や幼稚園が多く、本当に喜ばれました。

皆様にお願いする立場ですが、今回は下記のような本を求めています。


1、汚れ、落書き、落丁がなく比較的綺麗な絵本や児童書
(俗にいうロングセラーはすでに沢山ストックしてますので、今回は遠慮させて頂きます。例えば「グリとグラ」シリーズなど)

2、文字が極力少ない絵だけの絵本

3、恐竜、乗り物、動植物などの図鑑

4、テレビなどでやっている戦隊もの

この移動図書館プロジェクトに賛同してくださる方、コンサート会場のJ.S.Foundationブースにお持ち下さい。


皆様のご協力、心より有り難いと常々思っております。
'11.10.26 UPDATE
去る4月25日、神戸で行われた浜田省吾さんの「東日本大震災被災地復興支援コンサート」の
収益金21,244,279円がRoad&SkyからJ.S.Foundationに預けられました。

当初はたくさんの方々の温かなお気持ちと、被災地で困難な状況におかれている方々の橋渡しをどのようにして、
そして、一日も早く届けられるかと考えました。

各方面からの情報を出来る限り集め、精査したところ、いろいろな問題がありました。
一番の問題はある機関に寄付をすると、20%から30%のお金が
その機関の運営費にオートマティックにディダクトされ、寄付金が目減りしてしまうのです。
せっかく、みなさまのご協力を得て頂いた支援金が意味もなく減ってしまうのは許されません。
また、行政の不親切な対応にも問題があったり、時期が合わなかったり、
いろいろな事情で思うように支援先が決まりませんでした。

でも、絵本プロジェクトで私たちはこれまで約120か所の宮城や福島の保育園や幼稚園、
仮設住宅、仮設病院を訪ね直接、いろいろな話をさせて頂きました。
その中で福島県の除染作業が遅々として進まない現状に多くの保育関係者がこころを痛めていました。

その頃、南相馬市が計画的避難区域を除いた市内全域で放射性物質を取り除く除染を
東大のアイソトープセンター長の児玉教授と共同実施をしているという話を聞き、
このプロジェクトを調べてみようと思いました。

南相馬市の桜井市長の「こどもに帰って来て欲しいので、安心してこどもが帰れる環境を作る」
「こどもが帰ってくれば、若い人たちも帰って来てくれる」のメッセージに応え、
南相馬市の市民やボランティアの人たちがこころをひとつにして黙々と除染作業をしている映像に心が揺れました。

市民を預かる行政の長のメッセージほど心強いものはない。

国のために国民がいるとでも思い込んでいる、中央のドタバタ劇にうんざりしていた私は桜井市長に人間味を感じ、
「この市長に収益金を預ければ間違いなく除染費用にあててくれる」という確信をもちました。

何度か南相馬市の教育委員会の方たちと打ち合わせをし、岩熊さんに連絡をとり、
私としては除染費用の一部として寄付をしたいと相談をいたしました。
岩熊さんも「いいのではないですか」と賛成してくださり、
10月18日、直接桜井市長に受け取って頂きました。

桜井市長はなかなかの人物に思え、私たちが伺った日、「この後、国交大臣が視察にくるんだけど」とおっしゃるので、
「しょっちゅう変わる大臣の視察なんていいから権限とお金をすぐよこせって大臣に言わないと駄目ですよ」と
思わずつっこみを入れると、桜井市長も「じゃ、秘書ということで一緒に行きますか」(笑)
   
みなさまもご存知のように除染作業は容易ではありません。今後、どんなことになるのか誰にも分かりません。
そもそも除染したからといってその場所に子どもたちが帰ってきて良いのか、悪いのか、それも良くわかりません。
でも今回は除染費用として使わせて頂きました。

除染作業中の保育園を案内してくださった方が園庭の針葉樹を指差し、
「庭の除染が終わってもあの葉にも放射線がついている、そしてこの建物の屋根にも・・・。」
除染作業ひとつとっても長い長い道のりです。

J.S.Foundationは自分たちに出来ることは継続していく覚悟です。

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'11.10.26 UPDATE
「ご報告」

 2011年10月18日、東日本大震災被災地復興支援コンサートの収益金21,244,279円を、
福島県南相馬市に幼児教育施設等の除染費用として寄付させていただきましたことをここにご報告させていただきます。
 東日本大震災から8か月近く経った今、被災地は勇気や誇りを胸に一歩一歩復興に向けて歩みを進めています。
しかし、原発による放射線の問題を抱える福島県はまだまだ復興への出口が見えない状況です。
特に南相馬市は福島第一原発に最も近い市でありながら、
人口約7万(避難した方を除くと現在は約4万人の方が生活されているそうです)という多くの方々が生活されています。
そしてたくさんの子どもたちが暮らしています。放射線は子どもに影響が大きいと言います。
子どもたちのために一刻も早い除染が必要です。
桜井南相馬市長の「こどもが安心して暮らせる街でなければ、人々は帰ってこない」
「現実に南相馬は多くの方々が生活されている。私は市民のため、安心して暮らせる環境を作らねばならない責任がある」。
市長のこの力強い言葉を受け、今回の南相馬市の幼児教育施設等の除染費用への寄付を決めさせていただきました。
 将来この国がどんな国になるのか、そしてこれから生まれてくる子どもたちにどんな国を残せるのか、
私たちの一歩一歩がその道筋になります。
とても長く、困難な道です。だからこそ、人の持つ優しさや思いやり、夢、愛・・・
そういった力を信じてみんなで一緒に頑張っていきましょう!!

南相馬市幼児教育施設等の除染状況について

  1. 現状
     南相馬市は、福島第一原子力発電所の事故により、原発から20km圏内の警戒区域(おおむね小高区)、
    20〜30km圏内の緊急時避難準備区域(おおむね原町区)、避難指示のない30km圏外(おおむね鹿島区)、
    計画的避難区域(原町区の一部)の4層構造となっており、
    警戒区域、緊急時避難準備区域にある幼稚園・保育園は政府の指示により開園できないため、
    市内に居住する児童は、避難区域外の鹿島区の幼稚園・保育園に通園しています。
    (※緊急時避難準備区域が平成23年9月30日に解除され、保育園・幼稚園・小中学校等を再開することが可能となりました。)
  2. 除染の必要性
     原発事故により放射性物質が広範囲に拡散し、
    当市においても市民生活への不安や風評被害等経済活動に大きな影響が出ています。
    市では、市民の健康を守るため「南相馬市放射性物質除染方針」を定め、
    市内全ての施設を対象に、除染を実施することとしました。
    特に、放射線の影響を受けやすい子どもの健康を守るため幼稚園・保育園、小中学校などの施設の
    優先順位を第一として除染作業を本年8月から実施しています。
     除染の成果目標は、当面(平成23年度中)は、除染を実施した施設の放射線量の半減を目指し、
    さらに除染活動を継続し、将来の空間放射線量を1mSv/年未満としています。
  3. 除染にかかる費用
     国・県では、公立・私立全ての幼児教育施設が除染を実施する際の財政支援を行うとしていますが、
    全額の助成ではないことから設置者負担が生じています。
    また、当市には私立保育園、私立幼稚園、認可外保育施設が18施設(原町区)あり、
    その施設に対しても国・県は全額助成をしないため、
    その設置者負担分についても市が負担をすることに決定しています。
     この除染費用については、未だ国の助成内容が決定しておらず、また東電の請求対象とはなっているものの、
    一時的な負担とはいえ、震災後の厳しい市の財政状況下での支出は大変困難な状況にあります。
  4. 除染作業の対象施設
    【公立】
    原町あずま保育園、原町なかまち保育園、原町さくらい保育園、かしま保育園、かみまの保育園、東町児童センター、
    橋本町児童センター、上町児童センター、仲町児童センター、高平児童館、太田幼稚園、大甕幼稚園、高平幼稚園、
    石神第一幼稚園、石神第二幼稚園、鹿島幼稚園、八沢幼稚園、上真野幼稚園
    【私立】
    原町聖愛保育園、北町保育所、よつば保育園(本園)、よつば保育園(分園)、よつば乳児保育園西町園、
    なかよし江垂分園、託児所ひまわり、幼児の家、みどり園、三恵クレアポシェット、チャイルドハウス、
    KID'S CLUB、ヤクルトひばりっこ保育室、はなぶさ託児所(小野田病院)、フェアリー保育園(渡辺病院)
    (おだか保育園、小高幼稚園、福浦幼稚園、金房幼稚園、鳩原幼稚園、真野幼稚園、ひだまりの家、
    大町病院託児所は警戒区域または津波により被災のため実施不能)
  5. 除染の方法
    表層土を5cmすき取り、それを遮水シート敷で覆います。表層土埋設箇所の地面を45cm堀り、
    それをその場所に埋めてまた埋め戻します。
  6. 除染の効果
    http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/monita.jsp
    南相馬市が独自に測定した環境放射線モニタリング結果が上記、
    南相馬市のホームページにてご確認頂けます。「教育委員会測定」の欄をご覧下さい
'11.10.17 UPDATE
マリンメッセ福岡での募金に皆様のご協力を頂き有難うございました。
63万3971円+45USドル+12シンガポールドルもの募金が集まりました。
激しい雨にもかかわらず募金にいらして下さり感謝しております。

福岡はいつも私一人で募金活動をするため、心細いのですが、
皆様が話しかけてくれたり、「佐藤さん声が小さい、小さい。かわりに私でよければ呼びかけるよ〜」と、
心配かけたり・・・。それでもなんとかお役目を果たし(?)東京に帰るため空港へ。

空港では案の定スーツケースの中身がひっかかる。
X線では募金でいただいた硬貨が正体不明の固まりで映し出されるのです。
「失礼ですが中身を見せていただきます」「えっ〜ばれちゃった、運び屋ってことが」と言うつもりが
「東日本の被災地のための募金で集めたお金ですが、なにか不都合でも?」と分別ある応対をする。

今回の募金活動ほどいろいろ考えたことはなかった。
3月11日以降、自分にできることを探して来たがひとつでもひとさまの役にたてただろうか?と自問自答。

4月16日の静岡エコパアリーナから10月15日の福岡までのことを思い出す。
思い出すことはコンサート会場で募金をしながら私にいろいろ話をしてくださった人の言葉だ。

「抗がん剤治療をしているけど、最近は調子が良くて今日浜田さんに会えるお礼にね」と長野で募金してくれた人。
「浜田さんから元気をもらえたから」と幸せを全身にまとった人。
「子ども手当をためて持ってきました」とお嬢さんと共に届けて下さった親子は二度目の対面になりました。
「いつもいつも有り難うございます」とお礼をいう私に「憶えていてくれて嬉しい」とおっしゃる方。

募金にもさまざまな人の思いや願いが込められている。
ある場所で一人の少女が私に質問をしてきた。
「佐藤さんはどうしてボランティアをはじめたのですか?」と

「私は生まれつき声帯に問題があって小学校5年生のころ喉を手術をして、それから1、2年は声が出しずらくてね〜。
ちゃんと話せないから変な子と思われたり大変だったのよ。
でも病院の先生や看護士さんが親切で本当に世話になり、
人のためになれればいいな〜と漠然と思っていたけど、なかなか難しい」と
珍しくあまり良い想い出がない小さい頃の話をする。

考えると人は誰かに聞いてほしいことがあるのかもしれない。
そう考えると、J.S.Foudationは募金にきてくださるかたのお話を聞いて、役にたっているのかもしれない。

募金の合間にみた9月11日の長野の満月はずっと憶えていると思う。
'11.10.13 UPDATE
こんにちは。
10/8、9の2日間、大阪城ホールにて募金の呼びかけをさせて頂き、
76万5997円+11USドルもの募金が集まりました。
ご支援を下さった方、そしていつも銀行や郵便局でご支援くださる方に心より御礼申し上げます。
(今回の大阪城ホールでは、手作りのマスクやぬいぐるみを下さった方も!)

写真は活動中に見た夕焼けです。
すごくきれいで見とれてしまったので、思わず写真に収めました。

さて、今回のThe Last Weekend TOURで募金活動をさせて頂くのも残り僅かとなりました。

各地でJ.S.ブースに声を掛けて下さる多くの方々に、いつも勇気付けられています。
またお会いする時を楽しみに(^-^)

今週10/14、15は福岡会場にて募金の呼びかけをさせて頂きます。

宜しければぜひ、J.S.ブースまでお立ち寄り下さい。

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'11.09.30 UPDATE
日本列島各地で大きな被害をもたらした台風15号。
東北地方も大きな被害を受けました。
皆様からお預かりした絵本を保管している仙台・若林区にあるベースキャンプ周辺も、
いたるところが水没してしまったと現地のスタッフから連絡があり、
慌てて9/28にベースキャンプを訪れました。

幸いなことに、現地スタッフが台風上陸の前に奥の場所に移動していてくれたおかげで、
絵本は濡れることも無く無事でした。しかし、台風から1週間近く経過しているにもかかわらず、
周辺はまだ水が引くこと無く大分残っていました。
震災復興に一生懸命の東北地方に訪れたさらなる試練。心がとても傷みます。

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しかしその一方、復興も一歩一歩進んでいます。
ベースキャンプの畑ではすでに塩害の調査を終え、問題無しということでレタスの栽培をスタート。
辺り一面灰色の景色に瑞々しい緑が復興の兆しを示します。

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ベースキャンプをあとに、続いて南相馬市へ訪れました。
ここでは教育委員会の方たちと話し合い、情報交換とこどもたちのために支援出来ることを相談しました。
今月末に緊急時避難準備区域が解除されるそうです。しかし、南相馬市の状況は改善されていません。
この矛盾した状況のなか、少しでも現地にいるこどもたちに何か出来ることがあればと考えております。
'11.09.26 UPDATE
いつもJ.S.Foundationに暖かいご支援を賜り、ありがとうございます。
9/23、24の2日間、名古屋ガイシホールにて活動をさせて頂きました。

直前の台風により、名古屋をはじめ各地へ大きな被害がもたらされました。
被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

今回の浜田省吾さんのツアー各地では東日本大震災で被災された方々への募金活動をさせて頂いておりますが、
代表の意向から、巨大な台風が過ぎたばかりの名古屋会場では、
あまり皆様にご負担にならないよう大きな声での呼びかけを控えさせて頂きました。
しかし、そんな中でも、会場内でJ.S.Foundationブースを見つけて下さる大変多くの方に暖かいご協力を頂き、
2日間で ¥554,282円+100リラ+1銭ものご協力を頂きました。
ありがとうございました。

次回は10/8、9の大阪城ホールにて活動させて頂きます。
また皆様にお目にかかれますのを楽しみにしております。
'11.09.20 UPDATE
ON THE ROAD 2011 The Last Weekend TOURが再開しました。

J.S.Foundationも9/10・11の長野ビッグハット
に続き、9/17(土)・18日(日)
広島グリーンアリーナにてブースを設けて、
被災地復興支援の為の募金活動をさせて頂きました。
本当に沢山の方にご協力して頂き、
2日間で61万5620円、20USドル、2香港ドル80香港セント、1角(中国)の募金が集まりました。

まずは皆様へ御礼のみになりますが、
本当に有り難うございました。

今週末も名古屋・日本ガイシホールで活動させて頂きます。
'11.09.14 UPDATE
9月10、11日の両日、長野ビッグハットでの募金活動にご協力してくださった皆様にお礼を申し上げます。
合計692,695円+US10ドルにもなりました。有難うございました。
また、わざわざ銀行や郵便局に足を運んでご協力してくださる方にもお礼を申し上げます。

J.S.Foundationのブースにはいつも募金をしてくださる顔馴染みの方や、
「被災地から来ました」と言いながら募金をしてくださる方、
「自分の住んでいる町にJ.S.Foundationが支援してくれたので」とお礼の言葉とともに募金してくださった方など、
それぞれの思いを込めて募金をしてくれるのが良くわかります。

そして、「東北にボランティアに行ってきました」と話してくれる方、
「どうしてJ.S.Foundationはあんなこと、こんなことをしないのですか」と私に説明を求める人など、
いつも学ぶことがたくさんあります。
でも、わたし達はわたし達ができる範囲で一歩ずつ確実な方法で被災地の支援をさせてもらうつもりでいます。
'11.09.09 UPDATE
台風12号による豪雨で大きな被害を被られた皆様にお見舞いを申し上げます。

テレビから流れる映像は、東日本大震災の被災地と区別がつかない有様。
濁流に呑まれた家屋や橋桁、泥流のなか孤立する町や村…

関係省庁が力を合わせ、一刻も早く行方が掴めない人の捜索、
そして食料や生活必需品の手配に全力を注いで欲しいと願っています。
災害現場は経験を重ねたプロに頑張ってもらうしか方法がありません。

J.S.Foundation事務局は浜田さんのコンサートのお休み期間を利用して絵本プロジェクトの活動をしておりました。
8月26日は岩熊さんが再び助っ人として参加してくれ本当に助かり、そして愉しかったです。
皆様からお預かりした絵本や募金は少しずつですが、確実な方法で被災地のこどもに届けられ喜ばれています。
また幾度となく訪れるうちに、「園児たちが安心して飲める飲料水が不足して困っています。支援をしてくれないか?」と、
相馬市のみなと保育園、相馬保育園、梁川中央保育園から相談があり支援することを決めました。
2Lボトル×500本。これが園児70人で1か月分消費する量となります。
3つの保育園で9月から実行しました。
その経費は9月分150,000円(500本×お水2L¥100×3保育園)となり募金からつかわせていただきました。
事務局としては12月まではお水の寄付を行いたいと考えております。

また、皆様から絵本の件でたくさんのメールをいただいておりますが、
現時点ではコンサート会場で集める計画はございません。
理由としましては、現在でも仙台のベースキャンプにかなりの量ストックされているのと、
被災地では小屋1つ建てるのも県から許可がなかなかおりず、
図書館の着手が大幅に遅れているために本の保管場所が確保できないからです。本当にすみません。

今年は夏休みがとれず少々疲れ気味の私ですが、絵本を届けた先のこどもたちの笑顔を見ると気持ちが癒され、幸せになります。
先日は、園庭から保育園のプレイルームをのぞいていると、大きな窓の下のほうに小さな手のひらがヒラヒラ揺れていました。
誰だろうと良く見ると、女の子が背伸びして私たちに手を振ってくれていました。
1歳くらいの女の子で窓に顔が届かないのに年長さんの真似をして、一生懸命手を振ってくれている。
とにかくこどもたちの仕草がたまらなく可愛いのだ。
その仕草を見たい気持ちが被災地へ足を運ばせる。

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'11.08.31 UPDATE
こんにちは。
夏休みはいかがでしたか?

報告が遅くなりましたが、2009年よりサポートをしている
特定非営利活動法人ジャパンハートからミャンマー子ども医療サポートの2010年度の報告書と
吉岡医師からJ.S.Foundationをサポートしてくださる皆様にメッセージが届きました。

そして、2011年度予算として8月2日付けで2,500,000円の支援を実行させていただきました。
この支援金は2010年度末の繰越金11,917,679円の中から拠出しました。

J.S.Foundationは、この3月以降の皆様からの寄付金はすべて東日本大震災の被災地、被災者の為に遣われますが、
3月以前の寄付金は世界で困難な環境にある子ども達に遣わせて欲しいと願っています。


今年も多くの子どもたちが病院に治療を求めて来てくれた。
本当に遠くからきてくれている子どももいる。ありがたいことだといつも思う。
1995年、ミャンマーで医療活動を始めた頃、今から見るとなおさらだが私の医療技術はひどいものだった。
それでも多くの人々が私に治療を求めやってきてくれた。
治せない病も多かったが、それでも一様に感謝してくれた。
私は、幸せだった。そして、いつも申し訳ないと思っていた。
多くの子どもたちの死を、見送らねばならなかった。
もっとレベルの高い医師たちが日本にはたくさんいて、彼らならばこの人たちを救えるのに、といつも自分のふがいなさを責めた。
日本に帰り、子どもを本格的に救うための技術の習得を目指し、専門を子ども専用の外科、
すなわち小児外科に絞って、勉強し、再びミャンマーへ向かった。

あの当時、救えなかった多くのいのちや人生を少しは救えるようになった。どこまで行っても、限界がある。
救えるようになればなるほどに、さらに重い患者たちが私の元にはくるようになった。
あの当時と、何が変わったというのだろうか?
世間は私のことをどのように見ているかは知らないが、やっぱり私は、力足らずの医者なのだ。
子どもたちが重症なると、いつもこころは右往左往する。
20年以上も医者をやっていても、この様である。
全く頼りない。

そして、今もこころで呟くのはあの当時の言葉と同じなのだ。
もう少し私に技術と能力があれば、この子たちや家族をもっと救ってあげることができるのに。


だけど、あの当時と今と少しだけ変わったことがある。

多くの仲間ができたこと。
力足らずの私を助けてくれる多くの仲間ができたことだ。

日本からやってきてくれた医師・多くの看護師・ボランティア。
頼りになる現地のスタッフ・成長したミャンマー人看護師たち。
日本で見守ってくれる仲間たち、そしてJ.S.Foundation。

この仲間に支えられ今日の私は何とか立っている。

現地の患者たちには申し訳ないとこころの中で手を合わせ、
日本や現地の仲間にはありがとうとこころの中でいつも手を合わせている。

多くの人々の合力で集まったものには、力が宿る。
その力も借りて私は今も子どもたちを治療する。

今年も1000件以上の手術をする。
千個の人生が変わるとき、数千個の笑顔が生まれる。
J.S.Foundation「ミャンマー子ども医療支援プロジェクト」2010年度 完了報告書
'11.08.12 UPDATE
東日本大震災で被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げます。
復興支援に携われているすべての方々の勇気と熱意にこころを動かされます。

東北地方は夏祭りが真っ盛り。

被災地域の人たちがそれぞれ大変な努力を重ね、
先祖や3月11日なんの前触れもなく命を失った人たちの御霊を招き入れるお祭りの灯明。

住んでいた家や町まですべて津波にさらわれた被災地では、
賑やかな太鼓や笛、そしてお囃子のかけ声が唯一の道しるべ。
不慣れな天国から自分の家族に会いにくる道が分からないこどもたちにはどんなにこころ強かったか、
それを思うと涙が自然にあふれます。

いるはずの人がいなくなり、
あるはずのものが消えてしまう。
続いてきたものが断ち切られ、始まるはずのことが失われる。

被災地に数回入っただけの私でさえ、瓦礫の町に立つ度にいのちを考えると虚しくなる。

でも頑張ろう、と図書館プロジェクトに取り組んでいます。
'11.08.02 UPDATE
7月28日、福島県相馬にある相馬保育園、中村報徳保育園、
みどり幼稚園、みなと保育園、新地保育所に絵本を届けに行ってきました。
私たちを待っていたこども達は大喜び。そして、こども達が可愛い手作りのメダルを首にかけてくれた。

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福島に絵本を届けるのは初めてです。例の様にまずベースキャンプで本の整理をします。
仙台から車で1時間半くらいで相馬市に入る。
相馬市は美しい自然に囲まれ、目に入る建物も歴史を感じ、いたる所に馬のイラストと相馬家の家紋の旗がはためいている。
約千年の歴史をもつ「相馬野馬追」の神事が震災の犠牲者の鎮魂を願い、開催されていた様子はテレビで観た。
沿道で涙を拭きながらその騎馬隊の行進を見送る人の姿が思い出される。
相馬市から南相馬市に向かう道に「東北電力原町火力発電所」がある。
その発電所は無惨な廃墟のようで、付近は4ヶ月たった今も重油の匂いがし、
大量に流出された重油の海水汚染はいかばかりか?と心配になる。
沿道に「県民とともに、東北電力」ののぼりが数多くたてられていてブラックジョークのように思えた。
しかし、こども達は元気だ。こころに深い悪夢を抱えながらも見た限りでは元気だ。
絵本プロジェクトを現地で活動するにあたって心理学の専門家からレクチャーを私は受けた。
絶対避けること、自分から被災された人に話しかけない事。それを守りながら絵本の話をしていると、
園長先生が3月11日の地震、津波、原発事故の話を語りはじめる。たくさんの園児をどのように守り、避難させたか。
地震発生時はこども達を園庭に集めたが津波情報をうけ、保育園の屋上に避難させた。
屋上から海の様子を窺うと想像をはるかに超える津波のようすが見え、あわてて高台にある中学校にみんなで逃げた。
その時、近くの小、中学校の生徒が園児の避難も手伝ってくれたらしい。
宮城と明らかに園庭がちがう。ビニールのプールがない。庭で遊ぶ子がいない。
放射線の線量数値が目につくとこに掲示されている。
同じ光景はこどもの元気な声と園庭で高く伸びているひまわりだった。

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'11.07.27 UPDATE
4月16日の静岡・エコパアリーナから7月17日の札幌・北海きたえーるまでの
コンサート会場での募金活動のご報告をします。
現金募金は10,674,018円もの金額がみなさまのご厚意により集まりました。
また、Road&Skyから東日本大震災被災地復興支援金として21,244,279円のご協力を得ました。

銀行や郵便局に足を運んで頂きご寄付をくださる方々、すべてのみなさまの善意に感謝の言葉も見つかりません。
ただただ「有難うございます」です。

私たちに今出来ることは、みなさまからお預かりしているお金を
出来る限り適切にNPOやNGO団体と連携を取り、被災地に役立ててもらうことです。
被災地の状況の深刻さは、被災地があまりにも広範囲に及び、
さらに福島第一原発事故もあり、想像をはるかに超えております。
被災に合われた方お一人お一人の環境も異なり細やかな支援が求められます。

事務局は7月20日付けでNPO法人「日本国際ボランティアセンター」が支援する
福島県南相馬市における災害FMに300,000円の支援金を実行しました。
この災害FM局は、南相馬市の住人や一時避難を他県にされている人たちに、
毎日正確な放射線の数値や市からの情報を伝える小さなラジオ局です。
また宮城県南三陸町と気仙沼市に被災された方たちに役立てて欲しいと、
7月20日付けで義援金を各々500,000円ずつ実行させていただきました。
'11.07.27 UPDATE
7月22日、絵本プロジェクトのため福島県・南相馬市と相馬市を訪れました。
南相馬市は警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域に指定されている場所があるためか、
外出しているひとはほとんど見られませんでした。

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町の中心部から車で10分くらいのところに原町火力発電所があります。
この施設も津波の直撃により大きな被害を受け、貯蔵されていた原油の一部分は海に流れ、
いまだに復旧の目処が立たないそうです。

発電機能を失った火力発電所はまるで巨大な怪物の亡骸のように見えました。
町の家々には注連縄(しめなわ)が張られています。
対照的な町の風景は、「本当の豊かさや幸せとは?」、
そんな人間にとってのテーゼを突きつけられているように感じました。
この巨大な怪物によって我々が享受しているモノの真意と、
そのために支払う代償の大きさをもう一度考えざるをえないと強く思いました。

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7月27日に相馬市の保育所数カ所に絵本を届けに行く予定です。相馬市は放射線の線量が高く、
こどもを外で遊ばせることが出来ないので、「とても絵本は助かります」と保育士の方々がおっしゃっていました。
'11.07.25 UPDATE
7月16、17日、札幌・北海きたえーるでの募金にご協力くださったみなさま、ありがとうございました。
みなさまから寄せられたご厚意は543,090円+40USドルにもなりました。
両日共に、あいにくの空模様。激しい雨に濡れながらも
J.S.Foundationのブースにお立ち寄りいただいたみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。

さて、今回の札幌で浜田さんのコンサートも前半が終了しました。
札幌だけでなくすべての会場でご協力いただきましたすべてのみなさまに改めてお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
9月からの後半戦でまたみなさまにお会いできるのを楽しみにしております。
'11.07.20 UPDATE
7月14日、絵本プロジェクトのため仙台の若林区のベースキャンプを訪れました。
例年よりも大分早い梅雨明けをむかえた東北地方は、津波によって流された土地にも緑が青々と生い茂り、
ひと足早く復興に向けての準備を着々とすすめているように感じます。

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仙台では週末にひかえた「東北六魂祭」の準備のため、町は多いに盛り上がっていました。
東北復興のため、青森ねぶた祭、秋田竿燈まつり、盛岡さんさ踊り、山形花笠まつり、
仙台七夕まつり、福島わらじまつりがひとつになった大きな大きな意味を持ったイベントです。

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この日は石巻市にあるふたば保育所、アリス保育園、蛇田保育所、東松島市にある赤井北保育所、大曲保育所、
矢本西保育所、七ヶ浜町にある汐見保育所の7カ所に皆さまからお預かりさせていただきました絵本をお届けしてきました。

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途中に立ち寄った松島湾。まだ水位は高く、水の色は深く重い色でしたが、
湾内観光船やお店の再開など復興に向けて一歩ずつ歩みを進めています。
青々と緑が茂るベースキャンプ周辺の土地と同じように…。

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'11.07.15 UPDATE
暑い日が続いておりますが皆さまお元気ですか?

私が初めて南三陸の志津川に入った時期は、心底冷えて寒い日々が続き、
避難所で避難生活をおくる人たちを心配しました。
3月11日からすでに4ヶ月経つのに、まだたくさんの方々が体育館などで生活されていて、
今はこの暑さに耐えている様子を心配します。

日本の政治はどうなっているのか?

目にする風景は確かに季節を運び、廃墟となってしまった場所に青々とした葉っぱや花を咲かせ、
時には涼しい風が吹いています。

J.S.Foundation絵本プロジェクトは7月6日から8日にかけて気仙沼、石巻、東松島に行ってきました。
いつものように現地の仮設住宅、保育所、保育園をひとつずつ訪ね歩き、絵本を必要としている施設をさがします。
そして、必要だと言われた施設に翌日届けにいきます。このようなやり方で支援行動をしています。
時間はかかりますが、行き届かない地域に届ける、これが私たちに出来ることなので楽しんで動いています。

8日は強力なる助っ人岩熊さんと仙台駅で合流。
なぜ強力なる助っ人なのかと言うと、代々木のコンサートの時、
田家さんと岩熊さんがJ.S.Foundationのブースに立ち寄り、
「田家さんより僕の方が力があって力仕事は手伝える」とさかんに売り込みをかけられたからです(笑)。

仙台の若林区のベース基地にむかい、さっそく絵本の仕分け作業。
この日は気仙沼の保育所、仮設住宅、8カ所に届ける予定の為けっこう大仕事。

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その作業中、岩熊さんに異変。
「クマさんどうしたの?」「腰ひねっちゃって。イタイイタイ」
「ハァーこれから力仕事なのに〜」と言いながら重い本を持ったフリ作戦を私と岩熊さんとで開始。

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車への積み込みなどは青年2人にまかせ、岩熊さんに基地の周辺の説明。
岩熊さんは初めての被災地のようでいろいろ感じることが多いらしく言葉が少なくなる。
「映像では本当にわからないね」と繰り返される。

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この日もたくさんの保育所や保育園、仮設住宅の集会所に皆さまからお預かりした絵本を届けることができました。
岩月保育所→前沢保育所→石甲保育所→水梨保育所→双葉保育園→気仙沼公園応急仮設住宅
→内の脇保育所→かやの美保育所の8カ所をまわりました。
実際にこどもたちに手渡す時、絵本をお持ちくださった皆さまのお心遣いを感じます。
ほとんどの絵本が本当にきれいに保存されていて園長先生にも感謝されています。

ある保育園ではお祭り騒ぎのようにこどもたちが喜ぶので思わず聞いてしまいました。
「なんであんなに喜んでいるのですか?」
「お気に入りの『ミッケ!』がいっぱい入っているから嬉しいんでしょう」とニコニコ顔。
「そうか〜『ミッケ!』はそんなに嬉しいのか」とすでに30歳を過ぎたこどもの親である私は、
絵本プロジェクトの責任者として、もう少しこどもの絵本の勉強をしなければと反省。
こどもの感受性にすこし疎くなっていたかも。

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気仙沼公園の仮設住宅ではこどもたちは元気に自衛隊やボランティアの人達とも仲良くしていた。
福岡から来ている自衛隊員に岩熊さんが声をかける。「福岡から?ご苦労様です。僕も福岡人タイ」。
思わず突っ込みをいれる私「血液型はB型ですか?」

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ボランティアに訪れた人達のメッセージがこころを打つ。

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いつものことながら絵本を受け取られた園長先生、保母さん、こどもたちの喜んでくれる笑顔を見ると、
疲れは吹っ飛び、こころ遣いのこもった冷たい麦茶がひとしお美味しいです。
岩熊さんが「川のせせらぎが気持ちがいいね〜」と言った竹林や木々の中にひっそり建っていた保育所の園長先生が
「よくこんな奥まで届けて下さって!」の一言は嬉しかったです。
あの保育所の風景を皆さまに届けたかったのですが…、岩熊カメラマン写真ありませんでしたよ(笑)。

中国映画でチャン・ツィイーの『初恋のきた道』というのがあるのですが、
あの女の子が絶対いそうなこころに残る風景でした。

岩熊さんお疲れさまでした。本当にご一緒できて楽しかったです。またの助っ人お待ちしております。
'11.07.04 UPDATE
6/25・26・7/2・3 国立代々木競技場第一体育館での募金にご協力くださった皆さま、有難うございました。
皆さまから寄せられたご厚意は、2,637,517円、そして40USドル+8,000韓国ウォンにもなりました。

このオリンピック競技場の隣に子どもプールがあり、私も何度か子ども達を連れて遊びにいきました。
一日中疲れもせず水の中ではしゃぎ、くちびるがむらさきかかるとやっとプールからあがり
プール入り口にある売店で熱いうどんを食べさせ家に帰る。そんな夏が思いだされました。
こんな当たり前の暑さ対策を兼ねた子どもたちの生活。
テレビから福島の子ども達の外遊び、プール遊びなどが禁止され
通学時には長袖、帽子、マスクを身につける姿が流されています。
福島に限らず放射性物質の飛来した地域の人たちの厳しい生活が報道されます。

J.S.Foundationの代表としてご支援くださる皆さまの信頼にどう応えられるか、
どう行動できるか、今日も悩んでいます。
福島からコンサートに来た方の「自分に募金します」といわれながら
募金箱に募金してくれた人の言葉が胸にささりました。
'11.07.01 UPDATE
6月28日、29日に絵本プロジェクトのため、気仙沼市を訪れてきました。
未だに町は大量の瓦礫で埋めつくされています。
旅客船や漁船がそのままの姿で陸に打ちあげられたままです。

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高台にある気仙沼公園に建設されている応急仮設住宅は、
建設予定戸数の約10分の1しか完成していない状況です。
入居希望は約3000世帯あるとも報道されており、
希望世帯数に対しては、まだ10パーセント未満の入居率ということになります。

公園では自衛隊の音楽隊が野外コンサート中。
ちょうど「世界に一つだけの花」を演奏中でした。

その隣では自衛隊による野外風呂が設置されていました。


今回も色々な保育所とコンタクトがとれました。
来週にまた絵本を届けにいく予定です。

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'11.06.23 UPDATE
6月20日、仙台市荒浜に作っているHEARTQUAKE ProjectのBACE CAMPの地鎮祭に合わせて仙台に向かう。
6:12東京駅発「やまびこ251号」、東北に向かう一番列車なのに座席は満席。
以前は緊急支援に向かう人たちの大きなリュックとヘルメットが目についたが、
今日はビジネスマンがパソコンとアタッシュケースを抱えている。
それを目にしながら東北も復興に向かいつつあるのを実感した。
今回は皆さまもよくご存知の田家秀樹さんが参加したいとの意向で10時に仙台駅で合流。
10時30分に地鎮祭が地元の神主さんにより執り行われる。
津波の被害が残るこの場所で神主さんが厳かに祈りを捧げる姿に感動したが、
田家さんは訳がわからない70人ぐらいの人たちに困惑気味。

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私たちは事前にリサーチした場所に絵本を届ける作業をスタート。田家さんも暑い中お手伝い。
見るからに繊細な方なのでどうしたものか?と思ってはいたが、
「田家さん、今日は気がつかえませんから」と私が言うと、
穏やかに「大丈夫ですよ。力仕事以外は」とおっしゃる。どこまでも穏やかな方だ。

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はじめに向かったのは、南三陸町の仮設志津川病院の小児科。
まだ、となりのベイサイドアリーナは避難所として使われていて、
これから迎える梅雨や夏の暑さから身を守るのは過酷な生活環境だと思う。
避難所の隣の空き地にボランティアに駆けつけているひとの6つの小さなテントが目についた。

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次は町立志津川保育所に向かう。ここも絵本を喜んでくれ嬉しかった。田家さんと高台から海を見る。
海は穏やかで入り江も美しく「南三陸は美しくてホテル観洋に家内と行こうと思っていた」と
眼下に広がる無惨な街を見ながら田家さんがつぶやく。
穏やかな声だけに「ここはそんなに美しい入り江だったのか」と
すべてを津波に飲み込まれ巨大な洗濯機にかきまわされたように粉々になってしまった震災後の風景しか知らない私にも、
もともとの南三陸の美しさは想像できた。

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次は仙台市高砂保育所。絵本と歯医者さんから寄付された子ども用のたくさんの歯磨きキッドを届ける。
ここも絵本が品不足で喜んでくれた。

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次に向かったのは中野栄あしぐろ保育所。
園長先生が「絵本が駄目になってしまい買うにも高いので困っていた」と喜んでくださり子ども達に直接手渡す。
「暑いなか本当に有難うございます」とチョコアイスをプレゼントしてくれた。
早速食べる。美味しかった。この保育所は1階部分すべてが津波で浸水してしまい、
絵本は全滅状態でJ.S.Foundationからの絵本を心待ちにしてくれていた。

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最後は福田町あしぐろ保育所。
絵本を運びこむ私に園長先生が「鼻血がでてますよ。暑いからかしら?」と心配そうな声をかける。
「え〜鼻血?」とTシャツの胸をみると胸元にチョコアイスの食べこぼしが。
「すみません。鼻血が出るほど働いたと言いたいとこですが、これはアイスの食べこぼしです…」

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'11.06.20 UPDATE
6/6、7、14、15の4日間を使って、仙台市〜石巻市〜南三陸町〜気仙沼市を中心に宮城県をまわってきました。
東京でニュースを見ていると被災地の状況よりも原子力発電所のことばかりで、
被災地の状況も少しは良くなったかのような印象を持っていましたが、
3か月経った今でも状況は一段落していません。
多くの被災者たちが避難所で困難な生活を送り、自衛隊や警察、消防の方がたが
一生懸命復興作業をしている光景は3か月前と変わらず。
復興への道のりはまだまだとても長い時間がかかると改めて実感しました。

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さて、前回の「活動報告」でもお知らせしたように、
6/15にロシナンテスが寺子屋を開いている宮城県名取市箱塚1丁目の仮設住宅に絵本を届けに行ってきました。
小学1年生から中学3年生まで、総勢30人が集まった集会所では、
算数のプリントや漢字の書き取り帳を広げて、みんな楽しそうに勉強をしていました。
勉強時間が18時までだったので18時過ぎに子どもたちに絵本を渡しました。
「これ読んだことある〜」、「これ読みたかった〜」、「お、漫画もあるじゃん」と
勉強に疲れた(?)子どもたちが各々興味を持った本を手に取り、笑顔で読んでいました。

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'11.06.15 UPDATE
6月11日・12日の名古屋・ガイシホールでの募金にご協力くださった皆さま、有難うございました。
皆さまから寄せられたご厚意は、839,699円+19USドル32セント+160タイバーツにもなりました。
本当に有り難うございました。

今回の名古屋会場では募金をして下さる際に、四ツ葉のクローバーを持ってきて下さった方が。
募金箱の上に飾らせて頂きました。

来週末6/25・26 そして7/2・3も東京・国立代々木競技場 第一体育館にて活動させて頂きます。
どうぞ宜しくお願いいたします。

6月11日、名古屋に向けて出発
梅雨の影響か東京も大雨。
東名高速の車の流れも順調とはいかず8時に自宅をでたものの
2時にコンサート会場に間にあうかと心配していた私の携帯に息子からのメール。

村上春樹氏のスペインでのスピーチの全文だ。
日本人は核に対する「NO!」を叫び続けるべきだった、と村上春樹氏本人を含め自責の念を述べている。
2009年のイスラエルでのスピーチもそうなのだが表現者が話す言葉にこころがざわつく。
浜田さんも私は大好きな表現者。浜田さんが書く言葉に幾度となく励まされた。
10数年前、スケジュールの関係でモスクワ―プラハ―ウィーン―パリ―ミラノと移動しなければならない日程があった。
さすがに時差に適応できず、パリからミラノにむかう寝台列車で気分がダウン。
その時私のCDウォークマンから流れた「Midnight Blue Train 連れ去って どこへでも行く 思いのまま〜」
シチュエーションは違っていたけど「走り続けることだけが生きることだと迷わずに答えてー」と歌われ
「ほんとうにそうだよね〜頑張るか」みたいな夜がありました。

募金活動にはみなさまの暖かなお気持ちが伝わり、改めて責任の重さを感じます。
自分にできることを行動していきます。

J.S.Foundation事務局のスタッフが6月14日・15日と被災地に絵本キャラバンで廻ってきます。
子ども達が喜んでくれるといいのだけど。
そして皆様もよくご存知のNPO法人ロシナンテスが
東日本震災で被災した宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の小、中学生の家庭学習を支援しています。

仮設住宅の一角で「寺子屋閖上」と名付け、訪れる子ども達に勉強やサッカーを教えながら
こころのケアも考えるというプロジェクトで私も非常に関心があるので
皆様からお預かりしている絵本をもっておじゃまするつもりです。
'11.06.10 UPDATE
6/4・5の大阪城ホールでの募金にご協力くださった皆さま、有難うございました。
皆さまから寄せられたご厚意は、1,183,405円+50ポンドにもなりました。
浜田さんをはじめ、関係者すべての方々の東日本震災地への願いが募金くださる人たちに伝わり、
ご協力してくださる。本当に有り難いことです。
大切によくよく考えて被災者に届けたいと毎日考えています。

J.S.Foundationは6/7付けで、
福島県相馬市へ(震災孤児等の学業や生活を支援するための義援金として)500,000円、
南相馬市へ(被災者に対する生活支援の義援金として)500,000円、
広野町災害対策本部へ(被災者に対する生活支援、災害復旧及び復興の義援金として)500,000円、
浪江町へ(町民に対する生活支援、並びに 災害復旧及び復興に対する義援金として)500,000円、
楢葉町災害対策本部へ(被災者に対する生活支援の義援金として)500,000円を
それぞれご協力させて頂きました事を、ご報告させて頂きます。

今週末はまた名古屋の会場で活動させて頂きます。
どうぞ宜しくお願い致します。
また、募金活動にあたってはジャパンハートさんの学生部 MeTs-Japanのネットワークで、
各地の地元の大学に通う学生さん達が、元気良くお手伝いして下さっています。有り難い事です。
'11.06.03 UPDATE
6月2日、Road & SkyからJ.S. Foundationは
21,244,279円の東日本大震災への支援金を受け取りました。
この支援コンサートに関わってくださったすべての皆さまに感謝いたしております。
それは金額の多さではなく、被災地を、被災者を、想いやるこころが凝縮され形になっているからです。
4月16日の静岡での募金活動以来、たくさんの方々の善意、願い、が私の身に滲みます。
そして、その善意の重さが時に私を不安にし、不安定にします。

3月11日以降の日本は変わりました。
地震、津波、原発事故。
自然災害はそれでも日本中の人たちが力を合わせれば何とかなる。
時間がかかろうと何とかなる。
しかし、放射能事故の当事者になった我々日本人は、
これから何を考えながら生活をして生きて行けばいいのか?

今の私はただただ身体を動かすことしかできません。

皆さまからお預かりした絵本を仙台の若林区に作るベースキャンプに5月31日に移送ができました。
週末の台風の影響で辺り一面に水があふれていました。

6月6日からJSスタッフが宮城、岩手に入ります。
学校関係と避難所をまわり、
出来るだけ多くの子どもたちに絵本が届くように現地の方々とお話しをしてくる予定です。

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'11.05.25 UPDATE
5月21日、22日、横浜アリーナ。
横浜は私にとってホームタウン。
募金活動をするのもなんとなく気分が楽でした。

皆様のご協力を得て、2日間で1,344,294円+30オーストラリアドル+
3シンガポールドル+1640韓国ウォン+20フィリピンペソもの募金が集まりました。
(外貨は後日私が買い取り、日本円にいたします)

有難うございました。
募金をしてくださる方が「被災者の元に早く届けてくださいね」と言われます。
事務局も1日も早く被災された方にと考えています。
今日現在の動きは、東日本の各市町村が直接(災害対策本部)口座を設けて募金を求めております。
寄付金は災害復旧、復興の財源になり、義援金は被災者の生活支援の財源になります。

J.S. Foundationは義援金に協力します。
その義援金の流れを福島県相馬市に問い合わせました。
震災孤児と被災者奨学資金義援金に協力を考えたからです。
この義援金の主旨は、3月11日以降震災で両親又は片親を失ってしまった18歳未満の子どもたちに使われます。
現在50名該当する子どもがいます。

義援金の流れ
募金を募る→6月に議会で可決されると→7月から支給→申請者は基本的に本人。
保護者または役所で把握している記録で声をかける→役所でOKがでると3月にさかのぼりその該当者が18歳になるまで支援が受けられる。

ということですので、6月以降に義援金を振り込むことにしました。
また、それぞれの市役所に連絡を取り、義援金の流れを理解してから行動に移します。
移動図書館も運営が早くできるよう努力していますのでもう少し時間をください。

久しぶりにTVを観た。復興支援対策の委員会。
菅総理が「良い」だの「悪い」だの「早く退陣しろ」だの馬鹿馬鹿しい議論で議員さんは白熱していた。
それを観ながら国民が今求めているのはそんなことではないだろう、と白けた。
今私たちは(誰が総理になるか?政権をどの党に)ではなく(何をやるか。それは誰だ)ということです。

原発の惨状を知るたびに自責の念にかられる。原子力発電所は自然にあったものではなく、
日本の経済発展に貢献するという呪文を繰り返し繰り返し国からかけられ建設されたものだ。
私は東京にずっと住んでいる。東京の電力が福島第一原発からの供給によるものだとは知っていた。
若い頃の私は、「原発が爆発したらどうなる?」「目にみえない放射能でじわじわ蛇のなまごろし状態はご免だ!」と、
原発反対運動にも参加したものだった。
しかし、今はのほほんと危機感を忘れ生活をしてきた。
多分年のせいではなく自分に楽な生き方を選ぶ人になったのだろう。
'11.05.16 UPDATE
こんにちは。

この週末、私は仙台市若林区に行ってきました。

以前にも報告しましたがJ.S.Foundationの「移動図書館」がジョイントする
Heartquake Projectの各部門の関係者が集まり、自分達のやりたいこと、運営方法の確認作業をするためです。

震災以来、初めて新幹線で移動したのですが仙台駅に大きく掲げられていた垂れ幕には、
これまで目にした「がんばれ東日本!」とは違うものを感じました。
上手に表現できないのですが、すごい重みがあり一緒にいた我々グループも「私たちも一緒にがんばるよー」と思わず
その垂れ幕に話しかけていました。

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駅前にはボランティアに駆けつけたらしきグループが何組かいました。

駅から車に乗り、20分ぐらいするともうそこは津波の惨状が残されたままの若林区です。

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この農家と農園を借りうけ復興支援前線基地をつくります。
半壊した母屋を直し、仮設を建て、農園をみんなできれいにして・・・・・
11のプロジェクトが最終的に集まり災害地のフロントのユートピアを作りたい。

この、農家の方の話を聞いたあとHeartquake Projectのリーダーである古くからの友人の黒崎さんの号令のもと、
早速おのおの力仕事。
当然私は力仕事は免除されるとおもいきや「佐江子ちゃんはこれね」とスコップを渡され床下に流れ込んだ泥流の除去作業。
少しやっていると、そこに東北大学の学生2人が登場してくれタイミングよくバトンタッチ。
それを見ていた黒崎さん「じゃ〜次は壊れたビニールハウスの撤去に廻って」
開いた口がふさがらずわなわなわなでしたが、とりあえず頑張りました(?)


昼食に皆で吉野屋の牛丼。牛丼初体験の私は力仕事でお腹がすいていたせいもあるけど
あんなにおいしい昼食は初めてでした。
食べながら本来の自分になり「東北大学の学生なんだから、ああやって、
こうやって大学生を纏めてこういう被災地の瓦礫撤去のチームを作らなければ・・・・・」とさっそくレクチャー。

彼たちが瓦礫の撤去に力をかしてくれたらほんとうに助かるのだけど。

この付近で人に会うことはありませんでした。
みんな避難所や借りた家に住んでいるとのことでした。

1日も早く人が集える場所ができるようにみんなで力を合わせたいと考えています。

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5月末にはみなさまからお預かりした絵本を、この農家の壊れてしまった野菜保存庫に搬送すると共に、
石巻で図書館に協力してくださる方達にも会う計画を立てています。
早くご報告が出来るよう調整を進めたいと思います。


帰る時JRもなかなか粋なことをしていました。
仙台発の「やまびこ」はボランティアに入った人は半額なのです。
若い人には本当に助かる事でしょう。
'11.05.16 UPDATE
J.S.Foundationは5月14日(土)、15日(日)の2日間、
広島・広島グリーンアリーナにて行われた公演にブースを設けさせていただきました。

多くの方々にご協力を頂き、2日間で87万5911円もの募金が集まりました。

本当にありがとうございました。
まずは皆様へのお礼をお伝えさせていただきます。

会場のグリーンアリーナは原爆ドームから徒歩10分くらいの場所にあるため、開場前に立ち寄ってきました。
ここ広島に原爆が投下されて66年目になります。
の広島の街は、原爆投下の爪痕を感じさせない、緑豊かな本当にすてきな街です。
ここまでの66年という年月が早いのか遅いのかは判断することは出来ませんが、
人の持つ力の強さを感じずにはいられませんでした。
日本は今、未曾有の困難に直面していますが、必ずここ広島のように復活できると心に強く思いましたし、確信しています。

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募金にご協力してくださる方は大人だけではありません。
広島でも多くのお子さんが一生懸命背伸びをして募金箱に募金をしてくれました。
なかには手紙も一緒に入れてくれたお子さんもいました。
2通紹介させていただきます。
1通は誕生日お祝いをそのまま募金してくれた卓矢くん。ありがとう!
もう1通は中学生のご兄妹で代表の佐藤宛に震災で困難な状況にある子ども達へ心遣いされた手紙をくれた
遥菜ちゃん、遼くん。ありがとう!

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'11.05.11 UPDATE
J.S.Foundationは 5月7日(土)・8日(日)の2日間、
福岡・マリンメッセにて行われた公演にJ.S. Foundationブースを設けさせていただきました。

ここ福岡でも本当に多くの方々にご協力頂き、2日間で116万3704円の募金が集まりました。

本当に有り難うございました。
まずは皆様への御礼を伝えさせていただきます。

今回の活動では、代表佐藤の古くからの友人が、募金してくださった方にプレゼントして欲しいと、
母の日にちなんでカーネーションの花束を届けてくれました。
数が限られていた為、全ての方にお渡しする事は出来ませんでしたが、
お渡しした方に喜んで頂けて大変嬉しかったです。

今週末も広島・グリーンアリーナにて活動させて頂きます。

ありがとうございました!

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'11.04.28 UPDATE
神戸・ワールド記念ホールで3日間にわたる、
浜田さんのコンサート会場での皆さまの多大なご協力に感謝いたします。

絵本をお持ちくださる方のその絵本にまつわるお話も直接うかがえました。
新美南吉の『手袋を買いに』などを届けて下さった方に、
「わー、『ごん狐』だ。私も小さい頃によく読んだんですよ」と私が言うと、
「これは私の母が昔、私に買ってくれて、それをこの子も読んで育ち、
もう大きくなったので寄付をしたい」と高校生ぐらいのお嬢さんとご一緒されていました。
そして「母や私の気持ちも一緒に被災地に届けて欲しい」と言われました。

また、小さな赤いカートにいっぱい本を入れて、届けてくれたご家族がいました。
思わず「可愛いカートだね!」と言う私にキョトンとした様子。
しばらくしてから、そのご家族がブースに戻って来られ、「よろしかったらこれを…」と
お嬢さんがその可愛いカートをプレゼントしてくれました。

絵本1冊1冊にも、募金してくださるお1人お1人にも
東日本の被災に合われた方たちを心配しているお気持ちが本当に込められていることを実感しています。

そして、J.S. Foundation事務局は皆さまが届けてくださった絵本を早い段階で
被災地での巡回活動ができるように、石巻を拠点に地元の方の協力を仰ぎ、連絡を取り合っております。
また、4月21日付けでピースウィンズ・ジャパンの「仮設住居への生活用品の配布プロジェクト」に100万円、
ジャパンハートの宮城における医療支援に100万円を追加支援させていただきました。
緊急支援から復興支援に支援体制が変わりゆくなか、
地元に留まり今の活動内容を進化させつつ継続して欲しい気持ちも込めました。

J.S. Foundation事務局から訂正があります。
4月19日付けで報告した静岡での絵本の数量は段ボール38箱でした。

正確な数は移動図書館がスタートする時にカウントするつもりです。
'11.04.28 UPDATE
4月23日(土)、24日(日)、25日(月)の3日間、
神戸・ワールド記念ホールにて行われた公演にJ.S. Foundationブースを設けさせていただきました。

ここ神戸でも本当に多くの方々が募金と絵本にご協力くださいました。

3日間で183万6571円の募金と移動図書館プロジェクトへ段ボール112箱の絵本が集まりました。

本当にありがとうございます。
まずは皆様へのお礼をお伝えさせていただきます。

次回、5月7日(土)、8日(日)の福岡・マリンメッセ福岡でも募金活動をさせていただきます。
絵本の受付は、ここ神戸で一旦お休みをさせていただきます。
予想を遥かに超える皆様からのご好意により、本当に多くの絵本が集まりました。ありがとうございました。

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'11.04.19 UPDATE
先週末より、ON THE ROAD 2011 The Last Weekend TOURがスタートしました。

J.S.Foundationも、4月16日(土)・17日(日)静岡エコパアリーナにてブースを設けて頂き、
被災地復興支援の為の募金活動及び、絵本のご寄付受付をさせて頂きました。
本当に沢山の方にご協力して頂き、
2日間で168万8764円の募金、また移動図書館プロジェクトへ200冊に届く程の絵本が集まりました。

日本国内での大きな震災という事で、やはり今までとは少し違う、
大きな気持ちを託してくださっている事、実感しており、更に気持ちを引き締めています。

まずは皆様へ御礼のみになりますが、
本当に有り難うございました。

今週末も神戸・ワールド記念ホールで活動させて頂きます。

また、4月25日(月)の被災地復興支援コンサートはJ.S Foundationにも大きな励みになります。

私が着ているJ.SスタッフTシャツに浜田さんがかいてくれた「Show me your way!」

J.S.Foundationも自分達の道を示さなければと、実感しています。

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'11.04.15 UPDATE
こんにちは、J.S.Foundation事務局の佐藤抄です。

4/1〜約1週間、協力させて頂いているジャパンハートの仙台市内の事務所へお手伝いに行きました。
内容は東京本部から来られる医師・看護師・一般ボランティアさんの被災地への移動車アレンジなど。
具体的にはJHは派遣者の為に連日東京-仙台間ピストンの車両(ドライバーさんもボランティアさんです)を出していますので、
どの車で、何名がどこに移動するのかという確認が毎日必要です。
東京本部と連携しての業務では有りますが、刻々と変わる被災地の状況に対応する為、
仙台オフィスが中継地として機能しています。
早朝から深夜まで事務所で各方面調整に追われるジャパンハートスタッフ、
また4月一杯学校がお休みになった為、お手伝いされている現地の大学生ボランティアさん、本当にお疲れ様です。

医療者を派遣する受け入れ条件が厳しい他の団体は沢山有りますが、
ジャパンハートは力になりたい、という志しを持つ人を受け入れ、出来るだけ時間をかけず現地へ派遣し、
現場で起こるトラブルやそれぞれに対するフォローを行い、
被災者の力になってもらう。そして無事に戻ってもらうという事。
人の善意が根本にあるシンプルな作業のように見えますが、派遣される方の個々の事情や派遣する被災地の状況に合わせ、
滞在期間も違う(最短では2日間など)人たちの事前の調整や車のアレンジは、思っている以上に大変でした。
主に海外で活動している団体にとっての前例のない事態では…

そんな多忙の日々の中
何より彼らは常に「思い」に動かされているように感じました。
もちろんそれは代表である吉岡先生の思いから芽を伸ばした各々の思い。
そこが根底でシェア出来ている仲間達がいれば、それがミャンマーであろうと日本国内であろうと、
きっとあらゆる事は実現に向かうのでしょう。
私も短い間でしたが沢山の事を学ばせて頂きました。

ここから被災地のJH診療所を訪れたご報告をさせて頂きます。
最新の活動内容はJHのWebサイトに詳しいですが..
http://www.japanheart.org/

私は現在JHが医療活動を行っている
・南三陸町 戸倉 青年の家
・石巻市 大須小学校
・気仙沼市 // 本吉町 清涼院
・石巻市 渡波 診療所
の4箇所を訪れました。

まず、初めて車窓から被災地を目にした時の感想。
悪夢を観ているかのような景色でした。
それでも私が入ったのは3.11から約1ヶ月が過ぎようとしている被災地です。
まだ現実で起きている事だと頭が処理出来ません。

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※戸倉地区

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※気仙沼地区

そして最初の避難所についた私は、人々が生活する様子を目にします。
今までテレビの向こう側で見ていた方と挨拶を交わします。炊き出しの準備に混ざります。
一気に現実だと頭が認識しました。
避難所のJH診療所で看護師さんが優しく声を掛け、忙しく動き、そして診療所を訪れ、
後にする方は穏やかな顔をしている(ように見えた。)
慣れない新しい暮らし、それでも寄り添う人がそこに居てくれる事。

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・気仙沼市 // 本吉町 清涼院 ・大須小学校 診療所待ち合い室 風景

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・石巻市 渡波 診療所

これから医療が更に必要とされていく中、
JHは長期的に不足するであろう医療者の派遣を続けるべく、準備を進めています。


そして私が渡波を訪れた時の事。
診療所におばあさんがお孫さん(女の子)を連れてやってきました。
おばあさんが診察を受けている間、女の子は静かに絵本を読んでいます。
私が一緒に読もうと試しに隣に座ってみると、絵本を持った姿勢のままくるりと四十度くらい向こうを向いてしまいます。
何度やっても同じ風に。
待っていた他の診察待ちの方も笑ってその光景を見ていました。

診察を終えたおばあさんが、帰ろうとしている所に居合わせた私が
(お孫さん)おいくつですか?と聞いた所、
最後に本人からはにかんだ笑顔で「4歳」と答えてもらい、これは嬉しかった。

でもその後、おばあさんからこんな話を聞きました。
私はこの子にとても酷い事をしてしまった。
自宅でこの子と2人で留守番をしている時、津波が来て、私達は逃げ遅れて、
何も持てず、やっとの思いで車の上に飛び乗るのが精一杯だった。
幸い車が固定されて流される事は免れたが、車の上でこの子と一晩を過ごした。
車の上にいる間、沢山のものが流れ、その中でこの子のとても大事な宝物が入ったリュックが流されるのを見て、
この子はとてもショックを受けて、それからずっと私の事を責め続けていた。
そんな光景を見せてしまった私は本当に酷い事をした、と。
この後、このショックがこの子の精神的なものにどのように影響していくのか、凄く心配していますと。

私はその時、ただ聞く事しか出来ませんでした。
家族を失った人、生き残った人、全ての人が心に深い傷を抱えているのだと。

J.S.Foundationは、3月19日に吉岡先生にお会いした際、
子どものメンタルケアについて支援が出来ませんかと相談しました。
「最大限努力します」という言葉をいただき、被災地にその拠点を考慮してもらっています。
私が滞在していた時にも、小児科医の先生が子どものメンタルケアに関してのリサーチの為、
おもちゃや本を持参して現地入りされていて、各所を回っていました。
小児科や精神療法の専門家に伺うと、子ども達が受けたトラウマは意識の奥に沈み込み、
2年後ころから顕著に現れるということです。
J.S.Foundationはこのメンタルケアの活動にも全力でサポートしていくつもりでいます。
'11.04.11 UPDATE
【移動図書館プロジェクト】

「お家で眠っている絵本を…」

3月11日以降の皆様からのご協力金や、これから始まる募金活動で集まった支援金は、
すべて「東日本大震災」のための支援金として使わせていただく所存です。

みなさまからのご支援に感謝いたします。

J.S.Foundationでは現在、緊急支援や被災地へのサポートスタッフ派遣と並行し、
長いスパンで実行出来る支援を考えています。

各NGO団体のプロジェクト支援についてもリサーチを進めていますが、
それとは別に「今、私にできること」を考え、被災地域の皆様のための「移動図書館」を作りたいと思いました。
そんな折、私の古くからの友人達が「Heartquake(ハートクエイク)」というプロジェクトを立ち上げる計画を知りました。
心を震動させる、という意味の言葉です。彼らは仙台にベースを作り、
地域の方と協力しながら移動映画館や情報交換の出来るカフェ、被災地を回る移動図書館など、様々な事を準備しています。
偶然か必然か、私の考えていた「移動図書館」と繋がる事ができ、協力してやらせて頂く事になりました。
早速打ち合わせをし、「移動図書館」では今後様々なソフトを揃える予定ですが、
J.S.Foundationは絵本を集める実務を担当します。
「被災地の子ども達に笑顔を…、子ども達に元気を…」というテーマで、今回の浜田さんのコンサート会場にて、
募金活動と共に「絵本」を寄付して頂くコーナーを設けさせて頂ける事になりました。
この移動図書館プロジェクトに賛同してくださる方、是非是非、お家で眠っている絵本がございましたら
コンサート会場のJ.S.Foundationブースにお持ち下さい。

今回の移動図書館プロジェクトでは、4/16・17の静岡・エコパアリーナと
4/23・24・25の神戸・ワールド記念ホールの2会場で受け付けたいと考えています。
この2会場にご来場の皆様でお家に眠っている絵本がありましたら、
是非ご協力お願い申し上げます。
また、他の会場や郵送で協力していただける方に対してはこれから検討していきたいと考えています。
改めてご案内致します。

いつもいつもお願いごとで申し訳ありません。
'11.03.28 UPDATE
震災地でジャパンハートと共に行動しているJ.S.Foundationスタッフの 佐藤より報告が届きました。

現在、ジャパンハートが活動している場所は宮城県の4カ所。
前回は南三陸町戸倉地区を訪れましたが、今回は気仙沼市本吉町にジャパンハートの医師とともに訪れました。
気仙沼市は今回の震災でも特に 津波による被害が甚大な地域で、2週間経った今でも震災直後のような状況でした。
ジャパンハートでは、気仙沼市と話し合い、本吉駅近くの避難所になっている
お寺の一角をお借りして、診療を開始しています。
食糧などの物資は自衛隊や自治体、また多くのボランティア団体により大分状況は改善されているように思いました。
しかし、2週間経った 今でも水・電気・ガスのライフラインがすべてストップしている状況で、この日は雪も降る寒さ。
被災された状況に、このような環境では 避難民の方々のお心を察しても、状況は悪くなる一方のように感じます。
一刻も早く避難民の方々に衣食住、そして十分な心のケアが届くことを祈るばかりです。

別の日になりますが、ジャパンハートのスタッフとともに北茨城の地域を訪れ、被害の状況確 認をしました。
報道ではあまり流れていませんが、ここ北茨城も地震と津波による大きな被害が発生しており、
多くの避難民が家に帰ることが出来ない状況です。水や電気も多くの地域で未だストップしている状況でした。

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気仙沼市本吉総合支所。ここ本吉町の災害対策本部。
同じように被災されたスタッフの方々が
寝ずに活動していました。
気仙沼市本吉総合支所から車で5分くらいの集落。
海に近いため、津波ですべてが跡形も無く
波にさらわれていました。
'11.03.22 UPDATE
前回の活動報告内で、岩手県 陸前高田市に向け出発したとお伝えしましたが、宮城県南三陸町となりました。
情報の混乱の中での出発でしたので申し訳ありませんでした。

現地(宮城県)に行っているJ.S.Foundationスタッフの佐藤より、報告が届きました。
現在ジャパンハートより派遣された医師・看護師さん方は宮城県戸倉地区を1つの活動の拠点としています。
ここは交通が遮断されている場所で、ジャパンハートが入るまでは、医師が居なかったそうです。
まず現地で状況の確認を行い、6カ所ある避難所の内、一番規模の大きな避難所に診療所を作り、
被災者に対して診療を行っています。
また、残りの5カ所に関しては巡回診療を行っています。合わせて看護師さんによる保険衛生指導、
心理的なケアなども行っているようです。
J.S.Foundation佐藤は現地でドライバー・また医師・看護師さん方が活動出来るよう事務的な補佐を行っています。

今後は更にエリアを拡大してフォローが出来るよう、リサーチも続けていくそうです。

また新しい状況が入りましたら、皆様にご報告させて頂きます。

以下は現地の様子です。

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戸倉地区で一番大きい避難所「青年の家」にて 避難所内に設置したジャパンハートの簡易診療所
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戸倉地区での被災状況の一風景。水面の下は町だったそうです。
まだ全く水が引いていません。
ガソリンスタンドにて、電気が来ていない為人力で
自転車の車輪を回し、給油する装置を使用していたそうです。
'11.03.18 UPDATE
17日の夕刻やっとガソリン満杯の車を探す事が出来、早速タイヤをスタッドレスに交換。
災害緊急車両の申請も済んだとの連絡を受けました。

私は10件ぐらいのドラックストアをはしごし、非常食を手に入れました。
どこのお店も"お一人様3点まで"の張り紙があり思うような数は揃いませんでした。

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そして、この非常食に加え、飲料水、薬品などを積み、
事務局スタッフ1名がドライバーボランティアとして、
ジャパンハートの医師と看護師さんと共に、
岩手県 陸前高田に出発しました。

いまJ.S.Fonudation事務局ができることは、信頼できる
NGO、NPO団体への金銭的な支援と
人や物資の移動をお手伝いすることだと判断してのことです。

またピースウィンズ・ジャパンから第一報の報告が届きました。
震災直後から現地に駆けつけ、人道支援に力を注いでおります。

写真は気仙沼での活動の様子です。

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イリジウム衛星携帯電話の提供 携帯電話充電装置の提供

被災地の方々はいま一生懸命に頑張り耐えています。
これからは私たちが強い気持ちで支えていかなければいけません。
復興には長い長い時間がかかるでしょう。
支援も長い期間が必要です。

J.S.FoundationはRoad&Sky、そして浜田さんのご厚意により、
4月からスタートするコンサート会場でこの被災地を支援する為の募金活動をさせて頂きます。
どうぞご協力下さい。心よりお願い申し上げます。
'11.03.17 UPDATE
東北へ
被災地へ…

こころは急ぐけどガソリンが不足して被災地に向かえない。
ガソリンとトラックさえあればJ.S.Foundationでも医師や看護師さんを現地に連れていく事が出来るのに。

テレビで避難所の様子が流されている。
「今、一番必要なものはなんですか」…聞くまでもなくマンパワーと生活必需品と薬だろうに。

そして、原発の問題を解説しながら東京電力や関係省庁の対応の遅さを話している。

私はそれを見ながらこう思う。
原発の周辺で命がけでなんとかしようと必死に働いている人たちを信じないで、何を信じればいいのだろう。

この災害でみんなのこころが東北へ、被災地へと流れて行く。
3月17日付けでそんな皆様のお気持ちを「ジャパンハート」の吉岡先生率いる医療班に託し、
1,000,000円の支援金をつかわせていただきました。http://www.japanheart.org/

「ジャパンハート」の人たちの被災者に寄り添い医療活動をしている姿を私は 知っています。
'11.03.16 UPDATE
今朝のバスの中でのワンシーンです。
私のひとつ後ろの座席で、4、5歳の女の子と若い母親の会話が耳に入りました。
「ママ、おうちにかえったら私の小さくなったお洋服を箱にいれて」
「え、どうして」
「寒い思いをしているお友達におくりたいの」
「そうねー、でも今はどこに送ればいいのかママ分からないから調べるわね。ユニクロがヒートテックをおくったんだって」
「やさしい人たちだねー」

この小さな女の子にとって、避難所で大変厳しい環境にある子供達は大切なお友達なのでしょう。

私にも海外に住む知人からたくさんのお見舞いの電話がかかってきました。
みんな「何か手助けができないか?」と言ってくれます。
そして、国籍に関係なく「みんな大切なお友達」と再確認し、ひとのやさしさを私のこころは受け止めました。

被災地の方々に世界中から「わたしはあなたによりそっているよ」のメッセージがたくさん届けられています。

もうすこし耐えてください。生活に欠かせない物資はもうすぐ届けられます。そう願いながら、
生活用品や薬などの買いだめをやめています。
目にみえない不安に流されることなく、品不足の被災地にひとつでも多くの品物がとどけられますように。

J.S. Foundationにはこの惨事をうけて特別な募金のよびかけをしたらどうですかの提案がとどきます。
でも事務局としては特別な募金活動は今現在は考えておりません。
すこし時間がたち、連携しているNGO、NPO団体の支援活動の報告を受けながら考えていきたいと思います。
'11.03.14 UPDATE
3月11日、東北地方及び太平洋沖で想像を絶する災害が起きてしまいました。
テレビから流れる映像はとんでもなく恐ろしい津波につぎつぎと呑まれ込んでしまう町、
そして人々の暮らしでした。 そして真っ赤に燃え上がる石油基地。

朝をむかえてからの被災地の惨状に胸がつまり、
こころが痛むだけでどういう行動をすればよいのか考えましたが、思いつきませんでした。

直近の人命救助は自己完結している自衛隊、消防隊、警察などの専門家にまかせるしかありません。
各国の支援隊も続々被災地に駆けつけて昼夜活動を続けてくれています。

ですからもう少し頑張って下さい。こころを強く持って下さい。もうすぐ支援の手が届けられます。
頑張っている人にこんなお願いするのは酷かもしれませんがそれでもお願いします。

世界の、日本の人たちのこころを信じて耐えてください。
いのちさえあればどうにでもなります。

J.S.Foundationは連携をしているNGO団体から情報を得、3月12日付けで
「AMDA(http://amda.or.jp/)」に医療支援を「ピースウィンズ・ジャパン(http://www.peace-winds.org/)」に
被災者支援をお願いし、1,000,000円づつ協力させていただきました。

今後は推移を見ながら更なる支援を考えております。
みなさまのおこころが確実な方法で届けられるよう全力をあげるつもりです。
'11.01.17 UPDATE
2011年。
今年は明るいニュ−スで幕開けになりました。
「タイガーマスク」からのプレゼントがたくさんの児童養護施設に次々に届けられています。
困ったときはお互い様の心が、このニュ−スを聞く私たちの心にもホワ〜ンと幸せを届けてくれるようです。

日本の政治が停滞し、先行きがサッパリしない今日このごろ。
政治家が何をしなければいけないのか……
政治はその国で生活する人々の為にあるのだと、
もう一度しっかり認識をしてもらい、国民が安心して過ごせる国にして欲しいと願っています。
そのために私たちは不平も言わず税金を払っているのですから。

私たちJ.S. Foundationのスタッフは、年末の休みを利用して、2カ所の孤児たちの生活施設を訪れました。
タイのチェンマイにある名取美和さんが運営している「ban rom sai(バーンロムサイ)」と
ミャンマーのヤンゴンに昨年11月にできたばかりのジャパンハートが運営する「Dream Train(ドリームトレイン)」です。
今回はドリームトレインの報告をします。

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空港からクルマで15分くらいの場所にあるDream Train(ドリームトレイン)。
子どもたちが遊ぶ広いグランドと空と同じ明るい水色の建物がとっても印象的です。

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外で遊んだあとはみんなで水浴び!

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男子の水浴びを見つめる女子(笑)

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冬でも気温は30°オーバー!あっという間に服は乾いちゃいます。 子どもたちが水浴びしている間に食事の準備です。
スタッフの方も含めれば60名を超える大所帯。
一食一食の食事の準備も大変です。

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お楽しみの昼食。この日はご飯にお肉、そして豆のスープ。
子どもたちでテーブルや食器類を出して、あと片付けも子どもたちでやります。

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昼食後はお昼寝。ドリームトレインが静かになる唯一の時間です(笑) お昼寝のあとはしっかり勉強です。
まずは代表の佐藤がミャンマー語のお勉強。
先生は5歳の女の子。
覚えの悪い佐藤にほかの子どもたちも心配そう。

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photo この日の勉強はミャンマー語と英語。
教えるのは先生だけじゃなく、
お兄さんお姉さんが下の子に勉強を教えます。

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photo 1月4日は独立記念日で祝日。この日は勉強はひと休み。
朝から外でレクリエーション、中でもレクリエーション。
せっかくなので1時間ほど時間をもらい、
日本の遊び(ハンカチ落とし、色鬼)を知ってもらいました。

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お花畑の絵や楽器を弾く絵など、
明るく元気いっぱいな子どもたちの絵。
最終日。吉岡先生がちょうどザガインから到着。
ドリームトレインのこと、
そしてザガイン・ワッチェ慈善病院のこと、
色々お話しできました。

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帰る間際にみんなで撮影。パシャリ。
50人以上の元気な子どもたちに囲まれ、楽しく幸せな1週間でした。

今回、ドリームトレインに行ったのは私の強い気持ちからでした。

昨年にミャンマーにある「ジャパンハート」のザガイン・ワッチェ慈善病院に伺った時に、
このドリームトレインの計画があることを知りました。
ミャンマー東部に位置するシャン州は、以前から「ゴールデントライアングル」と呼ばれるケシの産地で、
ケシ栽培しか生活する手段がない絶対的貧困にある地域です。
その貧困のため、闇の人身売買をビジネスにするグループに親は騙され、僅かなお金で子どもを手放し、
親が知らないうちに売春をさせられてしまう少年少女の被害が多発しています。
「放っておけばそんな被害に遭いそうな子どもたちを救済したい」と、吉岡医師から話を聞き、
私の心のなかにある気分の悪い記憶がよみがえりました。


--30余年前、私はバンコクで開催されるフランスのデザイナーのファッションショーに同行し、
打ち上げパーティーのクラブで信じられない光景を目の当たりにしたことがあります。
どうみても10歳未満の男の子、女の子がクラブの入口に立たされ売春目的の客をむかえていたのです。
当時の私は2歳になる子どもの母親でしたので気分が悪くなり、
どうしてこんなことが商売として成り立つのかと唖然とするのみで…、見過ごしただけでした。
今は皆さまの温かいご支援と吉岡先生を含む「ジャパンハート」のスタッフの努力に甘え、
1人でも多くの子どもたちをあのような環境に沈めることのないよう支援をしたいと心底考えています。


最後になりますが、
いつもいつも御支援、温かい励まし感謝致します。
今年もどうぞよろしくお願い致します。