J.S.FOUNDATION

活動報告

'10.12.27 UPDATE
こんにちは。

今年も残り少なくなりましたが、みなさまはいかがお過ごしですか?

J.S. Foundation事務局は、日頃から協力関係のあるNGO、NPO団体の海外現地スタッフの帰国報告会に出席させていただき、
成果のあがった救援活動や現地の状況が思いのほか厳しく思うように成果がだせなかった案件のお話を聞いたり、
色々と学ぶことが多い時間を過ごしております。

12月1日に「国境なき医師団」の要請により、パキスタン水害被災者への安全な水の供給を含む、
衛生活動の支援金として、1,200,000円を拠出させていただきました。

2010年もいたるところで天災、人災が頻発しました。
そのたびに人道支援に携わる人たちの知識、意識の高さにいつも圧倒され、
自分の勉強不足を恥入り、不安になることが多いのですが、みなさまの励ましに力を得、代表をどうにか続けております。

今年やらなかったこと、やればできたこと、できなかったことを新しい年を迎えるにあたり考えてみたいと思います。

2010年は私の思考が変化した年になりました。
30余年間、規模の小さな会社を経営し、自分の時間をお金にかえて暮らしてきました。
しかし、それは自分のために働いてきただけで、こんな私の人生は「貧しいな〜」と思いはじめ、
これからは誰かのために働けたら……と。

そんな訳で、年末はミャンマーのヤンゴンにできたばかりの孤児院で洗濯や食事の世話係の見習いにいってきます。
見習いが無事合格できれば、来年は長期に手伝えるので頑張ろうと思っています。

「はじめチョロチョロ、なかパッパ」のごはん炊きや、
洗濯板でゴシゴシの昔ながらの洗濯をイメージトレーニングしながら現場に強い私は楽しんでこれそうです。


2011年がみなさまにとって素晴らしい年になりますように!
そして世界に平和が訪れますように!!

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'10.11.26 UPDATE
みなさまお元気ですか!
いつもご支援感謝致しております。

今年も日本を含めて世界各地で天変地異が頻繁に起こり、
生活基盤を一瞬にして失ってしまった人達をNEWSで幾度となく目にいたしました。
日本では四季の移り変わりがどうも怪しくなりつつあります。
私の生活範囲ではいまだ紅葉の美しさにはほど遠いのに、街はイルミネーションに彩られています。
その華やいだ飾りを横目に私の心配事は増えます。同じ通勤路をつかっていると何人かの気になるホームレスの人に会います。
寒い夜や雨がふるとつい気になり見にいきます。次の日にみかけるとホッとし。
あの人たちが身体に気をつけて寒さを乗り切ってほしいと願っています。


J.S.事務局に先日ミャンマーから一時帰国されたジャパンハートの吉岡先生が訪ねて下さいました。
話題は20年ぶりに行われた選挙やアウン・サン・スー・チーさんのこと、
そして中国による資源の確保の現状等々、久しぶりに話がはずみました。
去年訪れた東ティモール政府も海底油田の掘削権利を中国に売り渡し向う20年で大切な資源が枯渇してしまうと、
案内してくれた「ピースウィンズ・ジャパン」の担当者は心配していました。
莫大な利益を得られる資源が時の権力者により中国に売られ、限られた一部の人間が富を享受し、
国民は貧しさに喘いでいる、という構図が開発途上国で近年多いようです。


2009年からサポートさせていただいている「ワッチェミャンマー子ども医療サポート」の効果と
今年は約200件弱の子ども達の手術が10月までに行われたことなど報告を受け、
2011年も支援を継続して欲しい旨の要望をいただきました。
以前にも報告しましたように貧しくて病院に行くお金が工面できずに亡くなってしまう子どもを少なくしたいと考える
吉岡先生と子どもたちの役にたてればと願うJ.S.Foundationの志しがミャンマーのワッチェで確実に足跡を残しつつあります。


いろいろ心配になる被災地や被災者が大勢おります。
ハイチのコレラ発生、チリ地震、スマトラ地震、パキスタン洪水、インドネシア火山噴火など…。
しかし、その被災地にむかうNGO、NPO団体とJ.S.事務局のコミットがうまくいかず見送りをしました。
これからはコミット出来る団体の幅を広くするために、もっと勉強をしていこうと思います。


今年の冬休みは時間をみつけてタイのチェンマイにあるバーンロムサイというHIVに母子感染した孤児たちの生活施設と
ミャンマーのヤンゴンにこの11月に開設された施設に行って来たいと考えております。
この施設「Dream Train」は人身売買阻止とエイズで親を亡くした子ども達の保護を目的にプロジェクトされたものです。
次回その報告はいたします。
'10.10.05 UPDATE
 J.S. Foundationのホームページが衣替えをいたしました。
新しく、これまで支援してきた案件を国別にまとめた、「支援プロジェクト」という項目を作りました。
皆様に分かりやすく、そして「今、世界のどこの地域で支援が必要か?」が分かりやすく、
ひと目で確認することができるようになっていると思います。
今回のリニューアルに際し、過去の文章の読み直しをしたのですが、
自分の文章力の拙さに恥ずかしくなりました。
もともと、人様に自分の考えていることを上手に伝える能力に欠け気味の私ですが、
代表ともなればもう少し努力しなければいけないと、反省しています。
これからはもっとマメに報告をしていきたいと考えています。

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前略

お元気ですか?
J.S.基金がスタートして今年で12年目ですね。
「ホームページをリニューアルするので、新たにメッセージをお願いします」と言われ、
何を書けばいいのか、あれこれ考えました。

趣旨に賛同し寄付して下さる方々への感謝の気持ち。
基金を大切に育て、管理し、現場に赴き、
被災地や病院に届けて下さる佐藤佐江子さんへの畏敬の気持ち。
あります、もちろんです。
しかし、「ありがとうございます」と言う立場では無いと考えるので、
感謝の気持ちを胸に秘めつつ、
「これからもお互いに励まし合って、自分のやれることを自分なりにやっていきましょう」と書かせて下さい。

そして、11年前にスタートした時と今も同じ気持ちなので、
メッセージも同じ文章でよいのだと気づきました。
ということで、11年前とほぼ同じ新しいメッセージを
リニューアルされたホームページに載せて頂くことにしました。

再会の時を楽しみにしています。
お元気で。
草々
'10.08.23 UPDATE
今年の8月は暑い暑い夏でした。


65年前の8月15日という日は、日本国民が初めて天皇陛下の肉声を途切れ途切れに聞き戦争に負けた事実を知った日でした。
その8月15日は終戦記念日とされています。
しかし、好むと好まざるに関わらず、あの戦争の傷跡はどんなに時が流れても決して消えることはありません。


今は亡き私の母が口ぐせのように言っていた言葉を覚えています。
「日本がもっと早くに降参していれば、広島も長崎もあんな地獄のような惨状にならなかったのに」

幼かった私は母に「なぜ戦争をしたの?」「なぜ戦争はおきるの?」と訪ねても、
「ああ、だから戦争がはじまるのだ」と納得できる返事はなかった気がします。
私が母になり子ども達に「なぜ戦争はおこるの?」と聞かれても正解は教えてあげられない。
どう考えてもよく分からないのです。
戦争は勝者も敗者もない愚かな争いなのは皆知っている筈なのに、今日もどこかの国で争いが起き、
そして争いの準備をしている国があるような不安があります。
何世代後の子ども達に「なぜ戦争をしたの?」こんな問いかけを私はして欲しくないと切に願っています。


J.S.F事務局は今年も世界的な気候変動の影響をうけ、
各国で大規模な洪水の被害に苦しむ被災者の支援をしたいと様々なNGO、NPO団体に連絡をとりました。
その中から国連UNHCR協会(http://www.japanforunhcr.org/topnews)を窓口に、
パキスタンの洪水被災者の手助けになればと8月6日に1,200,000円を拠出しました。
ニュ−スによると、この洪水で死者は1,600人を上回り、家を失った家族は実に200万人ともいわれています。
皆さまもご存知のようにパキスタンは政治情勢が不安定なうえに、
こともあろうに国民が路頭に彷徨っている最中、大統領は英仏への豪華バカンスを続行していたらしい。
経済的に貧しく、頼りにしたい政治がこの有様では国民の反発は必至。
かねてよりアルカイーダとの繋がりが懸念される地域に於いて、
この反発する人達がテロ集団にリクルートされることのないよう願うしかありません。

皆さまの善意が食料になり、医薬品になり、雨露しのぐテントになればと考えています。


厳しい暑さが続きます。
皆さまお体にお気をつけて!
'10.07.29 UPDATE
暑中お見舞い申し上げます。

連日の猛暑、みなさまにはどうぞお体にお気をつけて!

今年も7月上旬から、九州、中国、東海、そして私が住んでいる東京などで
豪雨による被害が多発しました。
昔に比べて私たちを取り巻く住環境が目覚ましく様変わりをしていて、
どのくらいの雨が降るとこうなる、という自然に対する知識にズレが起きているような気がします。
被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。

先日、事務局に新潟県長岡市から2004年7月13日に起きた水害の報告書が届きました。
ホームページの活動報告(2004年8月5日にアップしています)に書きましたが、
この年は各地で大規模な被害があり、J.S.Foundationもみなさまのお気持ちとともに支援をいたしました。
どんな災害でも被災された方々が、以前のような生活を営むには長い歳月がかかります。
でもこうして「水害記録集」を届けてくださるまでになり、嬉しく感じました。

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※画像をクリックすると拡大出来ます

P.S. 今回、長い期間協力体制をとる国連UNHCR協会の中村恵さんからのお手紙も紹介いたします。

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J.S.Foundationを通してご支援いただいている皆様へ

 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、1951年に活動を開始した国連の難民支援機関です。
世界各地で、故郷を追われた難民や国内避難民の人々を援助しています。
その活動は、各国政府からの自主的拠出金と民間からのご寄付によってまかなわれています。
NPO法人国連UNHCR協会は、2000年10月に日本におけるUNHCRの公式支援窓口として設立され、
今年で10周年を迎えました。
J.S.Foundationとのお付き合いは長く、
アフガニスタン支援緊急アピールに応じてくださった2001年10月以来これまでに国連UNHCR協会を通じて、
UNHCRの難民援助活動を継続的にご支援くださっています。長年にわたる皆様からの温かいご支援に心から感謝申し上げます。
J.S.Foundationは、これまでにUNHCRが呼びかけた様々な緊急支援アピールに応え、
2001年アフガニスタンの帰還民、2004-05年チャドのスーダン難民、2008年ミャンマーのサイクロン被災者、
2009年パキスタンの国内避難民、2010年ハイチ地震被災者に対するUNHCRの緊急支援事業を支えてくださいました。
一方、ネパールのブータン難民に対しては、息の長いご支援を続けてくださっています。
ネパールでは、90年代初頭に民族対立のためにブータンを逃れてきたネパール系のブータン難民が、
7ヶ所のキャンプで暮らしています。
J.S.Foundationは、2003-04年に教育事業を、2006-07年には太陽光発電による外灯設備をご支援くださいました。
このご支援は、その後すべてのキャンプに太陽光発電による街灯が設置される呼び水となりました。
2008年3月には、難民キャンプのひとつで火災が発生し、
竹などで建てられた家屋の9割が焼失、8,000〜10,000人が住む場所を失いましたが、
J.S.Foundationはすぐに住宅再建と食料の配給に必要な資金の一部をご支援くださいました。
2009年4月には、J.S.Foundationのアンジェラさんが当協会スタッフと共に現地を訪問し、
火災からの復興の様子やご支援によって設置された街灯が役立っている状況を視察され、
12月に、一部の街灯の修理に必要な資金をご支援いただきました。
現在もブータンに帰る目処は立たない中、2008年の3月から本格的な第三国への移住がはじまっています。
数年前、浜田省吾さんのコンサート会場での募金活動に参加し、募金にご協力くださる皆さんと直に接する機会を頂きました。
その時、一人ひとりの温かい心が積み重なってJ.S.Foundationに結晶し、
私どもの活動も支えていただいていると強く感じました。
これからも、皆様と共に力を合わせながら活動して行きたい思っております。

国連UNHCR協会 事業部シニアマネジャー 中村 恵

(注)組織名称は、日本国連HCR協会から日本UNHCR協会へ、そして2009年4月に国連UNHCR協会に変わりました。
'10.07.12 UPDATE
今年も天候が妙な日が続いておりますが皆さまには
お変わりございませんか。
浜田さんのコンサートがしばらくお休みなのにも拘わらず、
J.S. Foundationには皆さまの温かいご支援がよせられ感謝いたしております。

JS基金の設立以降、継続して支えてくださる皆さまのご厚意に応える術は、
無駄をなくしストレートに支援を待つ被災地の人たちに届けてくれるNGO、NPO団体との連携を築くことだと考えてきました。

今回はフォトグラファー内藤順司さんの写真集などで皆さんもよくご存知のスーダンでの
医療活動などに情熱をかけるNPO「ロシナンテス」の理事長である川原先生からよせられたお手紙をご紹介いたします。

私が内藤さんからロシナンテスを紹介されたのは、今から4年ぐらい前でした。
初対面の時は、J.S. Foundationの支援範囲にしてはアフリカは遠いし、
スーダンの難民支援を国連UNHCR協会を通じて実行していた時期でしたので、
乗り気になれなく「もう一度お会いしたときに!」という話しで終わりました。そして、その後色々考えてみました。

二度目の会合の時は、私は決めていました。
「今はドナーの少ない医療団体を一人立ちにするための支援もJ.S. Foundationの仕事ですから」と。

そんないきさつもあったので、今は大勢の支援者に支えられ、精力的に現地の人たちに寄り添い、
活動に邁進するロシナンテスをみていると、とても嬉しく、私たちもお役に立てたと実感しています。

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J.S. Foundationさま、設立12周年おめでとうございます。

ロシナンテスは、スーダン東部ガダーレフ州シェリフ・ハサバッラ村で診療をはじめとして、
水衛生対策、女子学校の建設を行い教育の支援も行っています。
当初は、何もない中のスタートでしたが、その頃からJ.S. Foundationさまには、お世話になりました。
臨床検査技師のいない中、マラリアの診断キットの購入を支援してくださいました。
これで、マラリアの診断が確実にできるようになりました。
マラリアは、確定診断をつけなくて、抗マラリア薬の乱用が以前におき、有効なマラリア薬が効かなくなったことがあります。
それを避けるためにも、診断キットを使用してのマラリア治療は大変有効的です。
上記の意味でも、直接の裨益者とともに、薬剤耐性マラリア出現を抑えることができ、
次世代に対しての貢献にもつながっております。

それに加えて、J.S. Foundationのご支援により、老朽化した給水施設の改修工事を行いました。
この事業は、村の人が大いに喜んだものとなりました。
給水の際に、流れ落ちる水を利用して、給水施設内に、野菜畑を作りました。
周囲に苗を植え、将来は木に囲まれた給水所になることを期待しています。
またここには、ハサバッラ村のみでなく、他の村から、もしくは遊牧民も水を求めてきています。
診療所と水事業を行いまして、内戦の爪痕が残り、政治の安定しないスーダンでのモデルとなる事を目指してまいります。

皆さま方が、まかれた一粒の麦が、このように穂になっております。
さらにそこから自生するように広がり見事な麦畑になるように祈っております。
J.S. Foundationには、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
そしてまた、今後ともよろしくお願いいたします。
'10.06.28 UPDATE
やったあーやったあーやったねー。
日本中が沸き返った6月25日早朝。
世界最大のお祭りの感動を私のところにも届けてくれた、サムライブルー。


目標を高く高く掲げ、各自の強い精神力を保ち、チームの結束も綻びることなく手にした勝ち点。
この先の試合も期待がもてます。
日の丸を背負う代表に当初は、グループ突破は無理かもしれないと悲観的な私だったので反省しきりです。
岡田監督すみませんでした。

なにごとも強く願えば叶う・・・、本当でした。
そんな気持ちのありようは人道支援に携わる人たちにも通じているようです。
J.S. Foundationは2010年度もジャパンハートが運営する「ミャンマー子ども医療サポート」の支援をさせていただきました。
年間500人の子どもたち分2,900,000円でした。

以下は、ジャパンハートが運営する「ミャンマー子ども医療サポート」の支援、
2009年度報告と2010年度の予算報告書となります。

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『J.S. Foundation「ミャンマー子ども医療支援プロジェクト」2009年度実施状況中間報告』

「特定非営利活動法人ジャパンハート」では、
2009年5月の2009年度の活動報告とともに「J.S. Foundation」のサポートを受け、
18歳以下の子ども達に対する医療費の支援を実施してきた。
主な支援内容としては、手術費用・入院ベッド代・薬剤費・検査費・給食費・交通費である。
また子ども達の手術を安全に実施するための小児用手術機器の整備を実施してきた。
2009年11月末までに、合計220名の子どもたちの手術・治療の実施と、手術環境の整備を行ってきた。
その予算使用状況を以下に報告する。

(手術・治療サポート)US1$=985Ks(2009年12月現在)
手術代ベッド代薬代検査代給食費交通費その他合計(Ks)
5月515,00070,50052,130161,300433,7005,0001,237,630
6月215,700118,50037,30015,000716,30010,0001,112,800
7月918,000211,00050,90023,5000529,5004,0003,4001,740,300
8月790,000192,50031,20085,500670,40069,0001,838,600
9月591,700260,50029,55010,000676,600108,0001,676,350
10月420,000211,00024,750105,400951,60067,8001,780,550
11月570,00078,00023,88048,000639,90052,0001,411,780
合計4,020,4001,142,000249,710448,7004,618,000315,8003,40010,798,010
US$4,0821,1592544564,688321410,962

【手術環境の整備】

小児用手術機器セット 3,926 US$

【2009年11月末現在使用状況合計】

手術・治療サポート(10,962 US$)+小児用手術機器セット(3,926 US$)=14,888 US$


〈報告者〉ジャパンハート ミャンマープロジェクト 河野朋子

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『J.S. Foundation「ミャンマー子ども医療支援プロジェクト」2010年度予算計画書』

項目詳細予算
子ども医療サポート費 ワッチェ慈善病院を訪れる0-18歳の子どもに対する手術費用・検査費用・入院ベッド代・薬剤費・食事サポート・交通費をサポートする。1人あたりのサポート金額は約50,000Ks(約5,000円)である。そして2010年度は、年間500人の子どものサポートを実施予定。 2,500,000円
小児用医療機器整備費 小児用手術機器セット3,000 US$(約300,000円)や小児用監視モニター1,000US$(約100,000円)の整備を考えている。 400,000円
合計2,900,000円

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また、昨年末に訪れたミャンマー・ワッチェ母子病院などで活動されている
ジャパンハート代表の吉岡先生から皆様にお手紙が届いておりますので、ご紹介いたします。


J.S.Foundation様

 今思えば過ぎ去っていった子どもたちの顔が浮かぶ。時々うなされるように頭の中を走馬灯が駆けてゆく。
子どもたちのその人生やその家族の未来を見通すことはできない。
 多分、知らぬ間に多くの子どもや家族に悲しみを背負わしているのだと思う。

 ミャンマーで医療を始めた頃、私にあったものは、僅かな蓄えとたった数人のスタッフだけだった。
その頃の自分たちを思い出すたびに、無数の軍勢を迎え撃たねばならない小さな、本当に小さな軍団のようだった。
限られた弾薬の数、それを如何に節約し、一日でも長く持ちこたえることができるか、そのような毎日だった。
多分多くの病を抱えた子どもやその家族に迷惑をかけてきたに違いなかった。
遠い異国の果てで、医療を行っている小さな集団のことなど、日本のほとんど誰も知らなかった。
決して来ないであろう援軍を待ち続ける小さな軍団は、それでも戦い続けた。

「奇跡!」。

そう言うのかもしれない。
来るはずのない援軍がやってきた。
一人ひとりと、スタッフが増え、多くの協力者も現れたのだ。
その奇跡のひとつがJ.S.Foundationからのサポートであることは間違いない。
そうして気が付けば、毎年1000人を越える人々に手術をおこなえるようになった。
年間100人以上の医療者をはじめとするさまざま人々が現地の活動を支えてくれている。
このJ.S.Foundationの資金で、
ようやく長年の念願であったミャンマーでの子どもの治療費の無料化を成し遂げることができた。
子どもの人生は、その家族のいのちの質と深く繋がっている。
治療費を出せれば7割の子どもの治療を貫徹できる。
治療費と入院費を負担できれば、8割になる。
治療費と入院費そして入院中の食費を負担できれば、8割を超える。
それに交通費を負担できれば貧困層のほぼ全ての子どもたちに治療を完結できる。
医療費というのは、決して医療にかかるお金だけではない。

そういえば昔から、高い検査をしたりや治療費が足らなくなったときは、
日本人スタッフが自分の貯蓄を切り崩し、折半してその費用を負担してきた。
給料もろくに払っていない団体なのに、さらに無給で働き続ける彼らからもお金を差し出させてきた。
しかし、誰もが喜んでそうしてきた。一度も不満の声を聞いたことがない。
だから、そろそろ神様が、J.S.Foundationのお金を使っていいよといってくれたのだと思う。
'10.06.18 UPDATE
みなさまお元気ですか!

いよいよ W 杯スタート。
寝不足気味でも「お仕事、お仕事」と頑張りたいのですが、寄る年波には…
6月5日に訪れたソウルでは、早くもW杯で盛り上がっていて、赤のユニホームがあちらこちら目につきました。
私も大好きなパク・チソン選手のサインが入ったユニホームが欲しくて、
事情も分からず繁華街のイベント会場に並んでみたのですが…
よくよく聞くとこの日に抽選券をもらい、翌週月曜日朝からサイン入りユニフォームの抽選結果発表があるらしく…。
月曜日の朝ソウルを発つ私は、パク・チソン選手のサインなしのユニフォームを購入し、ガマンしました。


事務局は1月13日に発生したハイチ大地震の被災者の支援を引き続きUNHCRを通じて実行しております。

3,600円で20人に基本的な衛生用品を配布できます。
9,000円で避難生活に必要不可欠な毛布や調理器具などの生活用品1セットが配布できます。
18,000円で1家族に、当面の間生活できる丈夫なテントが配布することができます。

この緊急支援の要請に応え、1,050,000円(US$10,000)を支援金とさせていただきました。

ハイチの再建には長い長い時間が必要だといわれています。
地震で全てを失ってしまったハイチの人たちのことを1日でも長く覚えていたいと私は思っています。

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しかし、ある番組を見て、心底人ってなんなのだろう?と考えさせられました。
世界中からたくさんの医薬品が贈られたのにもかかわらず、医療現場には届いていないのです。
病院の医薬棚はほとんど空っぽで、医師が「あの薬さえあれば救われたのに」と嘆いているのです。
ではその医療品はどこにあるのか?
関係者が医薬品を横領し闇市場に流していたのです。

気分が落ち込むと、国連UNHCR協会の中村さんに電話をします。
中村さんはいつも「佐藤さん、避難民に60%届いたら善しと考えて」と私を諭してくれます。
長く難民の救済の現場に携わっていた人の言葉で私は元気になれます。
'10.04.21 UPDATE
みなさまの街のさくらはいかがですか。
東京は寒い日が多く、珍しく入学式までさくらが咲いていました。
4月は新しいスタートの季節なのに、最近の天候はサッパリしません。

J.S.Foundationはこれまでの支援案件の成果を検証したり、
ハイチの被災者への継続的な支援をピースウィンズ・ジャパン、
国連UNHCR協会、CODE海外災害支援センターと相談をしています。
以下の写真はピースウィンズ・ジャパンから届いたハイチの写真です。

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また、数多くの自然災害が各国で発生し、4月14日には中国青海省も地震により大きな被害を受けました。
どの被災地も破壊がひどく、助けを求める被災者の悲しみや絶望が映像を通じ伝わります。
その直前まで、ごく平和な日常が一瞬のうちに砕けてしまった人々。
その傍らに救助隊の姿をみると一筋の望みが湧きます。

事務局は、15日に中国青海省の被災地支援に向かう団体の情報集めをはじめ、
2008年5月に発生した中国四川省の地震の際、辺鄙な農村の被災者に長い期間寄り添い支援を続けている、
CODE海外災害支援センターに連絡をとりました。
その際、「高度3500mに位置する被災地に救援に入るのには時間を要し、
いまその方法を調査しはじめたところです」とのお返事をいただきました。
支援活動が開始できる可能性がでましたら、この団体の力をお借りし、
J.S.Foundationを支援してくださるみなさまのこころを届けたいと考えております。


先日出張でソウルへ行ってきました。
どういう訳かいつもその国の人に間違えられ、道などを聞かれることが多いのですが、
今回は地下鉄のなかでの出来事でした。

私がつり革に掴まりながら本を読んでいると、
昼間なのに少し酔ってる風のおじさんが尊敬(?)のまなざしで私を見ています。
そして「日本語が読めるのか?」、「いやいやおじさん,私は日本人です」と答えると、
つまらなそうな顔をして興味を隣にいる私の娘に移し、「何歳ぐらいなの?」と聞いています。
娘はすこし年齢のサバを読み24歳と答えていると、手にしていた色々な駄菓子をプレゼント攻撃。
お菓子を手に娘は困り顔をして、「本当は27歳なんです・・・」
すると、それまでは怪しげな英語だったのに、「オールドミス」「オールドミス」と元気な大声。
車両のなかは笑いが溢れ、もらった駄菓子を分け合い・・・・・・、愉しい時間でした。
最近日本の地下鉄のなかではこんな気さくな人っていなくなっているかも(?)
'10.03.03 UPDATE
2010年2月25日。
東京は今日、春一番かな?
仕事場の玄関先の梅の花が散り始め、そろそろ庭に野菜でも植えようと花屋さんへ。
色とりどりのお花に見とれ、仕事をサボって出て来ていることをしばし忘れていました。

お花といえば、私のなかではカトマンズの街路樹で火焔樹という植物が印象に残ります。
その名の通り、高い木の先端に火炎のように真っ赤な五弁花が無数に花開くのです。
緑の葉とのコントラストは見事です。

遅くなりましたが、ジャパンハートが運営するミャンマー・サガインにある病院の報告です。

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目的地であるワッチェ病院はミャンマー中部のサガインという場所に建っています。
日本からの直行便はもちろんありません。
今回は成田(日本)→バンコク(タイ)→ヤンゴン(ミャンマー)→マンダレー(ミャンマー)という経路で向かいました。
当日中に到着することは出来ないので、ヤンゴンにて1泊。写真はヤンゴンにあるシュエダゴン・パゴダです。
ミャンマーでもっとも有名なパゴダ(仏塔)です。
仏教の教えを心の支えに暮らすアジアの国には、たくさんの仏塔があり、
ラオスでみかけた早朝の托鉢に歩く僧侶への喜捨する姿に、人は共に生きるということを教えられました。

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翌日、ヤンゴンからマンダレーに向かい、その足でそのまま目的地のワッチェ病院を訪れました。
マンダレーの空港から悪路、車で1時間半くらいの場所にあるワッチェ病院は、
エーヤワディー川沿いに建つとっても清潔な病院です。この日も多くの患者さんやその家族が待合室で順番を待っていました。

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私たちの到着を楽しみに待ってくれていた看護士の河野さんからJ.S.Foundationが支援している
「こども基金」の成果についての説明受け、2010年度の予算についても検討をしました。

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河野さんに案内され、院内を回りました。入院している子どもたちの明るい表情がとても印象的でした。

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吉岡秀人先生とチャイを飲みながらいろいろ勉強しました。
その折、「日本の人たちの募金で支えられているので、なるべく多くの研修生を育て、
日本の過疎地や離島に赴任させ恩返しをしたい」と言われたことにとても同感しました。
すでに数人の看護士さんたちが地方の病院で活躍されているようです。

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お茶が終わり、早速手術に向かう先生。

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この病院の人気者の男の子2人。
松葉杖の男の子は、手足にひどい火傷をおい、足も手も身体にくっ付いてしまい、
母親は外に出すこと無く家の中で育てたため家の中を這って暮らしていました。
ジャパンハートの巡回診療の際、偶然彼を見付け、入院させ手術を数回重ね、
写真でみるように元気で病院中を歩くまでに回復しました。

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食事は近くにある合宿所で当番制で自炊。
この日の昼食は、日本からの貴重なカレールウを使って、カレーと野菜のおかず。
本当においしくて思わず「お代わり!」
一緒にいたスタッフたちに叱られてしまいました。
「代表、食料が少ないんだから遠慮しなければ」と冷たい視線。
皆さん、すみませんでした。本当に美味しかったのでつい…。

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息つく暇もないくらいの忙しさのなかで、先生を含めたスタッフの皆さん全員が一致団結し一生懸命、命と向き合っています。

P.S.
ミャンマーのサガイン・ワッチェ病院で働いている中田志織医師から、お手紙が届きましたので紹介させていただきます。

J.S. Foundation様
いつも温かなご支援ありがとうございます。
こども基金によって、多くの子どもたちが笑顔になっていきました。
そのほんの一部の子どもたちを紹介させていただきます。

ある日の午後、毛布を抱えた女性が疲れ果てた様子で私たちの外来を受診しました。
彼女を診察室に迎え入れると、席に座るなり毛布に視線を落としました。
初めは分からなかったのですが、その視線の先にある毛布の中には2kg程度の生気を失った
小さな赤ちゃんが静かに眠っていました。
この赤ちゃんは、生まれつきお尻の穴がないためウンチを出すことができない「鎖肛」という病気です。
生まれてすぐに人工肛門を作らないと、お腹がどんどん膨らんで、ばい菌が体中に回って死んでしまいます。
私たちの病院に来た時は、生後10日経っていたため、
お腹ははち切れそうな程に膨れ上がり、ぐったりしていて、かなり危険な状況でした。

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「生まれてすぐに近くの病院に行ったけれど、そこでは治療はできないと言われ、丸一日かけて、大きな病院に行きました。
でも、そこで手術するには、とても高額なお金が必要だと言われました。私たちにはそんなお金はなく、
どうすることもできず途方に暮れていたところ、気の毒に思った現地の医師がジャパンハートのことを教えてくれました。
子どもの治療を無料で行っている日本人の医療チームがいるから、そこならなんとかしてくれるかもしれないと聞き、
最後の希望をかけてここに来ました」と、
赤ちゃんを産んですぐにいろんな病院を駆け回った母親は、ぐったりしながらそう話してくれました。
すぐに手術が必要なことを告げると同時に、
入院費、治療費そして食費、交通費など必要なお金は全てこども基金で負担するから心配はしなくていいと伝えると、
ぐったりしていた母親の瞳は輝きを取り戻し、安心しきったように笑顔をみせてくれました。
病院に来てから数時間後、お腹から腸まで穴を開けてウンチが出せるようにする緊急手術を行いました。
手術直後からウンチやガスが出せるようになった赤ちゃんのお腹はみるみる小さくなっていきました。
手術が無事成功したことを告げると、両親は肩の荷が下りたように脱力し、
その日はそのまま、赤ちゃんの傍で深い眠りに落ちていきました。
数日後に、赤ちゃんはミルクを飲める程に回復していましたが、
今度は疲労のたまった母親から母乳が出なくなるという問題が起きました。
ミャンマーでは母乳が出ないというのは大変なことです。
というのも、粉ミルクはとても高価で、多くの家族にとってはなかなか手に入りにくいものだからです。
しかし、こども基金のおかげですぐに粉ミルクを用意することができ、再び赤ちゃんは元気に食事をとれるようになりました。
栄養もしっかりとることのできた赤ちゃんは、少しずつ、でも着実に大きくなっていき、
母親も徐々に元気を取り戻し、再び母乳がではじめるようになりました。
お母さんも上手に子育てができるようになってきた入院18日目、
別人の様に大きくなった赤ちゃんは元気に退院していきました。
2枚目の写真は退院前日の写真です。
お父さんとお母さんがとびっきりの笑顔を見せてくれました。
このような笑顔を、私たちジャパンハートのスタッフは何度も見てきました。
患者さんやその家族の笑顔に、私たち自身何度も癒され温かな気持ちになり、幸せをもらっています。
そして、幸せな気持ちで次の患者さんを迎えるからこそ、その人たちも笑顔を見せてくれるのだと思います。

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皆様からの寄付のおかげで、たくさんの子どもたちやその家族が笑顔になるだけでなく、
私たちスタッフも笑顔にさせてもらっています。退院する患者さんを見送る私たちは、
いつも背中に支援者の方々の存在を感じる度に心から感謝しております。
今後、この子には正しい場所に肛門を作る手術が必要です。
まだまだ、子どもたちの戦いは続きます。
どうか、これからもご支援、ご寄付のほど、よろしくお願い申し上げます。
'10.02.24 UPDATE
今回の被災地「ハイチ」の人道支援に赴いているNGO職員から現地活動の報告が事務局に届きました。

届いた写真には、支援を待ち望み「HELP」、「SOS」と瓦礫を使って文字を地面に書くひと、
砕けたガラスの破片を集め太陽に反射させて救援物資を待つサインにするひと、村が丸ごと瓦礫に変貌してしまい、
命は助かったが助かった命をどうやって明日に繋げていけばよいのか途方にくれているひとびとの姿が写されています。

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都市部では、食料や飲料水の配給にも混乱をきたしていたようですが、日ごとに落ち着いてきたとのことです。
これからは十分に支援の手が届いていない地方に力を注いで欲しいと願っています。
J.S.Foundationはこれまで飲料水の確保のための支援を実行してきました。
ミャンマーの僻地やアフガニスタン、ネパール、スーダンでの井戸掘りや汚れた川水の浄化設備などです。

人が生きるための最低条件に水、医療、その次が教育、と私は考えてきました。
そのため、支援プロジェクトの現場に行くと真っ先に飲料水の状況が気になります。
昨年訪れた東ティモールの山岳地帯では、竹を利用して水を通し、水場が作られていました。
そこは、村人たちの洗濯場になっていたり子ども達の遊び場になっていて嬉しく感じました。
ネパールの難民キャンプに設置されていたユニセフ支援の水場も印象に残っております。
乾ききった土地で水の音を聞くと私のこころも潤います。

J.S.Foundationが協力しているピースウィンズ・ジャパンは、
今回の地震でコンクリート造りの住宅が多く倒壊したため瓦礫の撤去のため、
シャベルやハンマー、物資運搬用の手押し車などの道具類を被災者に配布、
また住宅再建までに時間がかかるとみられるのでテントの配布も予定しています。
5〜6人用の家族用テント450張りを2月2日横浜港より送り、3月中旬には被災地に届くとのことです。
雨期が近いハイチの被災者が雨をしのげるよう無事にテントが到着して欲しいと思います。

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'10.01.29 UPDATE
2010年、新しい年が良い年でありますように!

平成元年生まれの若者たちがむかえた成人式。
この若者たちが創りあげていく未来が、どんな世界になるのか楽しみです。

みなさまもニュースでご存知のように、ハイチでとても大きな地震がおきました。
もともと政情不安定で国連平和維持軍が治安維持に努めていた国でしたが
その国連組織も政府機能も破壊され、混乱をきわめています。

J.S.Foundationは1月13日夕刻から、現地に赴いてくれるNGO団体の情報を集め、2団体に連絡をとりました。
1つは神戸にある「CODE海外災害援助市民センター」です。
この団体は1995年の「阪神淡路大震災」の折、神戸で支援ボランティアに携わった方々が柱になり、
その経験を生かし海外災害の支援活動を続けていたNGOです。
1月15日、その団体の現地に赴くスタッフに1人でも多くの被災者に寄り添って欲しいとの願いを込めて、
1,176,000円を支援金に遣わせていただきました。

もう1つの団体はピースウィンズ・ジャパンです。
ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)とは、5、6年前からアフガニスタン女性のための自立支援プロジェクトで
何度か協力してさまざまな事業に取り組んでいます。
去年の夏にも、PWJが手がける「フェアトレード コーヒープロジェクト」の視察に東ティモールを訪れました。
そのPWJが今回のハイチ地震に際し、一刻も早い支援のために現地にリサーチに入ると聞きました。
これまでのJ.S.Fのプロジェクトをともに経験し、その熱意や理解にとても信頼がおける団体ですので、
J.S.Fを支えて下さるみなさまのお気持ちを託させていただきました。
一刻も早く現地にテントをたちあげ、支援物資を被災者に手渡して欲しいと願っています。
1月19日に支援物資購入の足しになればと1,000,000円供出させていただきました。

今後もいろいろな情報を得、支援を続けていきたいと考えております。

また、昨年12月26日からミャンマーのサガインにあるジャパンハートが運営する病院に行ってきました。
ジャパンハート「JS子ども基金(ミャンマー子ども医療サポート)」の件は以前ご報告させていただきましたが、
現地に伺い色々勉強になりました。
道中はいろいろとハプニングもありましたが、次回にきちんとご報告させていただきます。

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日本では1995年がボランティア元年とよくいわれていますが
たくさんの犠牲をだした阪神淡路大震災や数々の災害の経験をふまえて、このような団体が組織され、
国境を越えて、困難な環境にある人たちの傍らで寄り添う機会がふえるなら、
争いごとが少なくなるのかもしれません。