J.S.FOUNDATION

活動報告

'09.12.22 UPDATE
年の瀬も迫り、みなさまにはお忙しい日々をお過ごしのことと思います。

J.S. Foundationは2009年もみなさまの温かなご支援を得て、
困難な環境にある人々にささやかな希望を届けることができたと思っております。

そしてこれまで現地の人々に寄り添いジョイントしてくださったNGOのスタッフのみなさまにも感謝いたしております。

J.S. Foundation代表を務めはじめて11年がすでに経ちました。

支援先の現場に足を運ぶことが重なるにつけ、皆が幸福でなければならないと思っても、
そうできない世の中の仕組みに気がつきます。
そして、人間はそれぞれ生まれてきても決して皆同じではなく、同じものをもらっていないと実感させられます。
そういうどうにもならない不平等のなかでも、あなたはあなたらしく強く生きて行って欲しいなどと思う、
私の甘っちょろい願いが恥ずかしくなります。

困難な環境にうずくまってしまう人たちにどのような、どんな手を差し伸べればいいのか?

みなさまのご寄付を預かるJ.S. Foundationの重要な事は的確な援助支援を実行している団体の見極めだと思っております。

年末の休みを利用してミャンマーのマンダレーのサガインにあるワッチェの病院に行ってくるつもりです。
ホームページにも報告してありますが、ジャパンハートの活動拠点となります。
ロード&スカイからいただいたボールペン、Tシャツなどを大きな袋に担いでサンタクロースならぬサンタバーサンになり、
子どもたちと楽しんできたいと思います。

アジアの人たちには口唇(口蓋)裂の赤ちゃんが比較的多いのだそうです。
日本などの先進国は生後一週間以内に手術がおこなわれるらしいのですが、貧しい国では手術費が出せず、
奇形のまま成長し親も奇形を隠すため家に閉じ込めて生活させるという悪循環があるようです。

また、土間で煮炊きをするため子どもたちの火傷の事故も多く、
火傷による皮膚のひきつれも子どもたちの容姿に重大な影響を与えます。

そんな環境の子どもたちの手術を託せるジャパンハートに来年の支援額と今年度の支出の報告を受けてこよう思います。

2010年、ミャンマーにおいて総選挙が約束されています。

どんな国になるのか見守りたいと思います。

友人に「1人の100歩より100人の1歩が大切」と言われたことを覚えていて、
こうしてみなさまのご協力を得て、J.S. Foundationを運営させていただけることに感謝しております。

みなさまにとりよいお年でありますよう!!

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'09.12.22 UPDATE
今年も残すところあとわずかとなりました。

例年より心身ともに厳しい1年を過ごされた方も少なくはないのでしょうか。

先日、毎年恒例の「今年の漢字」が清水寺で発表されました。ご存じかとは思いますが、今年は「新」。
新型インフルエンザの流行、新政権の発足等が理由とのこと。

個人的にはどうも違和感が残ります。本来、「新」という言葉には未来への希望が託されるように思えます。
突然変異したウィルスの猛威、政権公約(=マニフェスト)を元に政権交代がなされた筈なのに
政権交代早々に都合良くねじ曲げられていく。
偉そうなことを言いますが、私が「今年の漢字」を選ぶのであれば迷わず「変」を選びます。

詳細は後日の会計報告に譲りますが、今年J.S.Foundationはアフガニスタン、ミャンマー、スーダン等への支援の他に、
初の試みとして「あしなが育英会」のこどもたちの奨学金にご協力をさせていただきました。
日本においても経済的に苦しいこどもたちは少なくありません。
日本を含め苦境に立つ様々な国のこどもたちを少しでもはげますことができれば、こんな幸せなことはありません。

また、ネパールのブータン難民キャンプや東ティモールを視察し、ご報告させていただきました。
少しでも現地の状況をみなさんにお伝えできたなら、大変嬉しく思います。

年末には代表の佐藤がミャンマーを訪問予定です。
現地で医療活動をされているジャパンハートと協力して設立した
J.S.Foundationこども基金の状況を年明けに報告させていただきます。

世界経済が落ち着きを戻すにはまだ時間がかかるかも知れません。しかし「明日の朝も日はまた昇る」です。
一人一人が少しでも前に進める「新」年になりますように。

最後になりますが、今年もJ.S.Foundationをご支援いただきありがとうございました。
来年もスタッフ一同頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします。
'09.10.22 UPDATE
こんにちは。
J.S.Foundationにいつも変わらぬ皆様からのご支援を頂き、心より感謝を致しております。
皆様の温かなお気持ちを人道支援に携わるスタッフの方たちに機会があるたびにお伝えしているので、
どのNGO団体もJ.S.Fの支援プロジェクトに関しては、一時帰国された折に事務局に報告にきてくださいます。
時にはとても困難な現場に赴任されているスタッフから「虚しくなる時があります」と、本音がポロリ出てくる場面も。
そんなときには、「あなたたちが活動してくれないとJ.S.Fの存在に意味が無くなる。
苦しい環境にある人たちの例え1人にでも希望を与えることができるなら、
それはあなたたちをも救ってくれることになるのだから希望をもってくださいね」と励まします。
しかし、一方で「私はこんなことをひと様にいえるような人間か?」と恥じ入っている自分がいます。

スーダンのロシナンテスより、協力させて頂いた「スーダン水環境対策プロジェクト/給水塔補修完成」の写真が届きました。

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さて、報告が遅れに遅れてしまっている2009年5月以降の支援状況です。


5月26日付け
日本UNHCR協会にパキスタン北西部における国内避難民の緊急人道支援に¥1,500,000の協力を致しました。
パキスタンは、これまでアフガニスタンの難民受け入れに力を注いでくれていました。

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6月3日付け
干ばつに苦しむアフガニスタンの井戸掘り及び水質検査の調査費の予算不足の
ピースウィンズのスタッフの熱意に賛同し、¥1,500,000協力を致しました。
1日もはやく飲料水に適す水源を探し当てることを願っています。

アフガニスタン関係は、以前もピースウィンズにはお世話になり
戦争で働き手を失った婦人のためのプロジェクトで大きな成果をあげています。

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7月31日付け
浜田省吾さんのファンクラブイベントの会場で募金にご協力頂いた¥2,502,000を
「あしなが育英会」の子どもたちの奨学金にして欲しいと協力させて頂きました。
お金持ちの国と世界から言われた日本が、気がつけば平均的な所得の半分以下の家庭で暮らす17歳以下の子どもは14.2%、
7人に1人が貧困状態にいるということです。
この環境の中では高校、大学への進学もままならないと思えます。
強く願えば希望は叶うということは、現在では難しいのでしょうか?
みなさんが寄せて下さった募金箱へのお気持ちが奨学金となり子どもたちの励ましになると信じております。


10月1日付け
緊急支援としてスマトラ島沖地震、被災者の緊急医療支援に向かうAMDAに
¥1,000,000の支援金を使わせて頂きました。
報告が届き次第HPに立ち上げます。


そして、継続的な活動としてミャンマーで医療活動をされているジャパンハートと協力し
J.S.Foundation子ども基金を立ち上げました。
ジャパンハートを主宰する吉岡秀人医師には10年前ぐらいにお目にかかる機会があり、その熱意に圧倒された印象があります。
吉岡先生は多分すごく早い時点でご自分の使命感に気づいてしまわれ、いま自分は何歳だから後、
何人のひとを治療できるだろうかといつも考えておられる様子で、
印象としては求道者のようなお医者さんでどんな手術も日々努力されているようです。
この団体と昨年のミャンマーの大きな水害のときから、協力ができるようになり私としては嬉しく思っております。
ミャンマーは皆様もご存知だと思いますが、軍事政権のため国民は政治的にも経済的にも苦しい環境に置かれています。
昨年の水害の被害からなかなか立ち直ることができない人たちは病院に行くこともできません。
ジャパンハートが僅かな治療費で対応していても、それさえも用意できない人が多勢います。
そのためJ.S.F子ども基金は手術が必要な子どもたちの費用を引き受けたいと考えました。
以下は、ジャパンハートからの途中報告書の一部です。

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'09.09.28 UPDATE
みなさまこんにちは。

今年は残暑もなく秋へと季節が移り変わってしまいました。
9月19日からスタートした5連休。いかがでしたか。
私は国連大学前の広場(青山)で土曜、日曜に開催されているファーマーズ・マーケットに
ピースウィンズ・ジャパン(以下PWJ)のスタッフと共に見学に行ってきました。
無農薬、有機栽培の作物を生産者が直に販売するというスタイルで全国の主だった場所で定期的に開催されています。
私の古くからの友人が世話人として参加。彼はアメリカ西海岸でこの販売スタイルを4年程試行錯誤しながらも成功させ、
日本でもはじめたかったようです。
早速、PWJも東ティモールで生産しているフェアトレードコーヒーの出店を決めました。
コーヒーを売ることは二の次にして東ティモールという国を1人でも多くの人に興味を持って欲しい、
何故フェアトレードが必要なのかを知って欲しいという気持からのようです。

本日出店第一日目、色々な方が興味を持ってみていただけたようで、私たちもうれしく思います。

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PWJは東ティモールで唯一輸出が考えられる産業のコーヒーに注目し、
独立後の自立支援の為の活動として現在摘み取りから精製プロセスまでの技術指導による高品質化と、
フェアトレードを通じて、生産者の収入向上を目指し活動しています。

フェアトレードとは、経済的・社会的に弱い生産者に対して、
通常の国際市場よりも高めに設定した価格で継続的に生産物や手工芸品などを取引し、
発展途上国の自立を促す事が目的であり、取引価格以外にも生産者の労働条件や環境にも配慮する事が、基準、のようです。
さて、J.S.Foundationは8月、東ティモールに行ってきました。
PWJの現地スタッフから2年以上前から現地でのプロジェクトを見て欲しいとの依頼がありましたが、
東ティモールのことは殆ど知識がなくお断りしていました。
しかし、偶然コーヒー生産者に関するドキュメンタリー映画を目にした事から、
遅らばせながらフェアトレードの大切さを現地へ行って学んでみようと思いました。
この映画ではエチオピアを取り上げていましたが、コーヒー生産者の劣悪な環境、
家族全員が1日14時間も働いても食事にも事欠く日々のくらしを描いていました。

東ティモールは1975年インドネシアが軍事侵攻。四半世紀に及ぶインドネシアとの独立闘争のなか、
20万人ともいわれる国民が虐殺や饑餓で命を失ったといわれています。
1999年、日本も参加したPKOの協力のもと2002年正式に独立をはたしました。
国土は長野県ぐらい、人口は約107万人の赤道直下の小さな国です。
住民の8割が農業に携わって生活を立てています。



「昼の蚊はデング熱、夜の蚊はマラリアを持っている。」
「メルパチ航空(東ティモールへ向かう飛行機)は生産中止の機体ばかりで昨日は右車輪が落ちた。
今日は墜落した。明日はプロペラが外れるよ。」
など気になる情報を受け心配になり、ある日「メルパチ航空はしょっちゅう事故が起きるらしい」と真面目にいう私に
「そんなに事故があったら日本の新聞にもでているよ。アッハハ」と浜田さんに笑われ、
それもそうだとなんとなく納得しての旅立ちとなりました。

デンパサールから約2時間の飛行時間。となりに乗り合わせた韓国のJICAの関係者が私たちに
「日本人ですか?何をしに東ティモールへ?」と聞かれ、日本人です、休暇で来ました。と答えると不思議そうな顔で
「へえ〜〜日本では東ティモールは有名なの?韓国ではほとんどの人がこの国の事を知らないよ。」と、
休暇で来た、と言った私たちに少し驚いていました。

東ティモールは不思議な国でした。
まず到着した飛行場にはUN関係の飛行機ばかり。少し前には空港周辺にも難民キャンプがあったそうです。
現在も4000人強の多国籍軍(UNMIT)が治安、政治を援助しています。
首都のディリはUNの車がいたるところを走っていて、現地の車はタクシーが目につきました。
また、現地での使用通貨はUSドルのみで、前日までいたインドネシアに比べ物価がとても高くUSバブルなのだそうです。
ホテルは安心のためと日本大使館の隣を選んだのですが、
お湯のシャワーも使え(シャワーのヘッドは空き缶に穴をあけたような感じのものでしたが)、
朝食のトーストも美味しく快適なホテルでした。
このホテルは急遽UN関係の宿舎に模様替えしたようで、私たちの他は軍隊の人ばかり、
毎夜2Fのレストランで仕事を終えた彼らが制服を脱ぎ、ビールを片手に盛り上がっていました。

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さて、話がそれてしまいましたが、
私たちがプロジェクトの見学の為訪れたエルメラ県レテフォホは海抜1700メートルの山岳地帯です。
現地のドライバー以外運転が困難な悪路をひたすら登ります。
とにかく道がくねくね、そして左右の崖は赤土が流されて大きな石が剥き出し。
「雨が降ったら土砂崩れが怖いですね」と言う私に、
「いつものことです、この国には山道の防護壁の予算もない」とピースウィンズの斉藤さん。
山道のすべてがコーヒーの群生林。その群生林の中に一際高く、両手を広げるような形のたくさんの木が目につく。
たずねると「ポルトガルが植民地にしていたころ、
コーヒーの種とともに持ち込んだシェードツリーで太陽からコーヒーの実を守っている」とのこと。
本当に母親が子供を抱えているようでこころに残る風景でした。

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レテフォホは昼と夜の温度差が10度以上、
世界にはコーヒーベルト地帯があり温度差、急斜面、土地がやせているのが条件でキリマンジェロやエチオピア..
その他のコーヒー産地と近い環境のようです。
とにかく見渡す限り急斜面で粘度質の赤土です。平らの土地がほとんどありません。
馬も斜面で足をふんばっていました。

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今回は、コーヒー豆の収穫はもう終わってしまったため、その後の行程の一部を見学させて頂きました。
収穫したチェリーという赤い実の状態のコーヒー豆の実を発酵させて取り除き、何日も乾燥させ、
高品質な商品とする為の豆の選別を行う、という大変手間と時間のかかる行程でした。

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ここはコーヒー以外、野菜もほとんど育たず、
ピースウィンズは葉っぱ類の栽培を日本の専門家に相談し現地の住民に指導をしています。
コーヒー生産農家も伺うことができました。
子供たちの笑顔は明るく、一つ一つの仕草が可愛く、私を幸せにしてくれました。
子供達は家のお手伝いも一生懸命していました。
子守りや急斜面をかるがる歩いて水汲み。
赤土が流れてしまい、石ころだらけの道を裸足で学校へ。
貧しい村でした。
しかし、今までいった開発途上国よりは希望が見えました。
それは子供が労働力になっていないからです。
教育を受けられなかった親の代が教育の大切さをよく知っていて
寺子屋のような学校ですがどの家庭も必ず行かせるようです。

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マーケットや学校、訪れた至る所で子供達の笑顔があふれていました。
この国が本当の意味で自立出来るのは、ずいぶん先のことになるでしょう。
誰かを憎む事でなく、この21世紀最初に独立した国の未来をつないで行って欲しいですね。

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ピースウィンズ・ジャパンは1999年からコーヒー生産農家者の住民に品質の良いコーヒー豆の生産指導に力を注いでいます。
詳細はピースウィンズ・ジャパンのホームページをご参考ください。
http://www.peace-winds.org/

フェアトレードの事を勉強していく程、難しい側面も見えてきます。

今後私たちになにが出来るか?
時間をかけ検討していきます。
'09.06.16 UPDATE
紫陽花の季節になりました。
紫陽花は本当に不思議なほどその日の天候により七変化します。
「女心と秋の空」ということわざがありますが、
私なんかは「女心と紫陽花」のほうがその変化の大きさからもしっくりくるんじゃないかと考えている今日このごろです。

今回はJSFの新人スタッフの現地初体験のレポートが届きました。
新人スタッフの成長が楽しみです。




はじめまして。新しくJSFで活動させていただいているアンジェラです。

4月にネパールのブータン難民キャンプを訪れてきました。
東京からバンコク→カトマンズ→ダマク、という経路で、国連UNHCR協会の児島さんという可愛い女性と行ってきました。
まずはカトマンズの騒々しいこと。外では誰もがマスクをする程、砂埃と排気ガスがすごくて、空気が霞んでいる感じです。
日本以上にマスクをしている人を見たのは初めてです!
カトマンズに1泊し、UNHCRネパール本部に挨拶に行き、所長のデイジー・デルさんと打ち合わせをしてから、いざ空港へ。

photo これです。空港。衝撃的でした。
体育館のような大きな部屋にいくつかカウンターがあるだけで、
しかも待っている人たちも、
並ぶことなくとにかく座り込んでいたりして
隙間が空いたらそこに先に入っていけた人が勝ち、
というような感じでした。
photo 国内線BUDDHA AIRの飛行機です。16人乗りで、自由席。
photo 座ると、一応、機内サービスがあります。
フライトアテンダントさんが飴と、耳栓にする綿を配ってくれます。
雲の中、ヒマラヤ山脈を探しているうちに、
あっという間に着きました。
まずはUNHCRダマク支部で荷物を降ろし、早速キャンプの方へ。
最初に訪れたのは、7つのキャンプの中でも一番大きい、Beldangi II。
人口約2万人です。キャンプは、田舎の村のような雰囲気でした。
photo Beldangi IIでは、
今年の3月に200世帯が火事で焼失してしまい、
大分改築はされましたが、
まだキャンプ内の学校に寝泊まりをしている家族も多いようです。
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織物の技術指導、自立事業。
このほかにも散髪や縫製、木工等と色々行われています。
何よりも、手に職をつけて働けるのが嬉しい、と言う彼女たち。

photo 2日目に行ったTimaiキャンプの、
JSF支援の太陽光発電の外灯プロジェクトの看板。
photo 外灯はとても役に立っているようです。
初めの設置場所から、もっと便利な場所に移動されていたり、
パーツが盗まれないように工夫されていたりと、改良を経て、
住民の方々の生活の支えになっているようです。
日が暮れてからも外を歩け、
トイレや親戚の家、夜間学校に行けたり、
子供たちはその明かりで勉強や宿題ができたりと、
用途は様々で、日々の生活に役立っているようです。
キャンプの大きさに比べての数はまだ少ないようなので、
引き続きこのプロジェクトの支援を訴えられました。
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Timaiキャンプでは2家族をインタビューさせてもらい、家の様子も見せてもらいました。
この部屋では親子7人生活しているようです。
第3国への定住を申請をしていて、農業と籠作りで生活を営んでいるそうです。
とても愛らしく笑顔が印象的だった小学生の娘さん。

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キャンプ内では、どこに行っても、何をしてても、子供達が興味を持ってついてきて、
話しかけたりするとケラケラ笑って楽しんでくれます。
とても明るくて、学校で習っている英語を積極的に使い、コミュニケーションを一生懸命とってくれました。
こちらは、散髪技術のトレーニングをビデオ撮影中の窓越し。

photo キャンプ内の食堂で昼食を何度かとりました。おいしかったです。
ご飯とダールとお漬け物、というのが定番メニューで、
とても健康的な感じです。
料理は難民の、20歳前後の男の子が作ってくれました。

どこに行っても、誰と話しても、難民の方々は明るくて、謙虚で、知的で、ポジティブで、とても心打たれました。
自分たちの状況にフラストレーションを感じながらも、支援して下さっている皆様に感謝の気持ちを持ち、
前向きに、強く、協力し合って生きている感じです。

なんだか、私の方が救われた感じさえしました。
'09.02.27 UPDATE
日本が誇れる作家、村上春樹さんのエルサレム賞受賞のスピーチを私は涙ぐみそうになりながら聞いていました。

「高く強固な壁と、それにぶつかって割れる卵があるなら、私は常に卵の側につく、どれだけ壁が正しくても、
どれだけ卵が間違っていようとも、私は卵の側にたつ」

さらに続けて彼はこう語ります。
「こう考えてほしい。私たちひとりひとりが、多かれ、少なかれ卵なのだ。脆い殻に覆われた、
かけがえのないたった一つの魂なのだ。私たちは皆人間であり、国籍や人種、信仰を超越した個人であり、
体制という名の強固な壁を前にした脆い卵だ」と。

とかく頭の回転がゆっくりの私は、紛争地での圧倒的な力を前になす術もなく逃げ惑う人たちの映像を見るたび、
心の奥底がイガイガします。しかし、私はそういう感情をきちんと自分の言葉にすることがどうしても出来ません。
そんな私の声にならない言葉を、村上さんは代弁してくれているように感じました。
ニュースではごく一部分しか取り上げていませんでしたので、
スピーチの全文を読みたいと翌日の新聞をこころ待ちにしてましたが、
残念ながら載っていませんでした。
そんな私に、息子が「J.S.Foundationもこのくらいのことを言わないと(笑)」の
コメント付きで全文をメールしてくれました。
読むと味方も敵も区別せずに戦死者たちすべての冥福を祈っていたという
村上さんのお父上の姿が彼の生き方に色濃く反映されていたようです。
どんな戦争にも正義はない、と明確な反戦へのメッセージ。
言葉はその語る人の強い意志のあらわれです。
語る人が自分の言葉でひとりひとりに語らいかければ言葉の真意は伝わります。

事務局にはミャンマーで医療活動に従事されている、ジャパンハートの医師と看護士が現地報告に訪れてくれました。
ジャパンハートは吉岡秀人医師が率いる医療活動の特定非営利活動法人です。
昨年の5月2日に発生したサイクロン(NARGIS)の被災地の継続支援をしたい、という私の要望にこころよく応じていただき、
こども医療支援プロジェクトを立ち上げていただきました。
その方法と予算1,000,000円は現地の通貨価値とジャパンハートの中で、「できること」、
「できないこと」の相互認識の確認の作業をいたし1月20日に実行いたしました。
ちなみにミャンマーのお金に換算すると10,000,000チャット(Ks)となり米1俵=110,000Ks。
みなさんからお預かりしているご寄付が、ミャンマーの貧しさ故、
医者にかかることができない子どもたちに役だつことはうれしいことです。
また、スーダンで医療活動をされている、川原尚行医師率いる特定非営利活動法人ロシナンテスの
水環境対策プロジェクトに2月23日、1,056,400円実行させていただいたことを報告いたします。

100年に1度の経済危機といわれています。
みなさんのなかには大変な状況にある方もいらっしゃるかもしれません。
でも、大丈夫です。
殆どの人は100年前なんて知らないのですから。

もう少し暖かくなれば桜は咲きます。
陽気がいい日は散歩でもしてみてください。
気分が本当に良くなりますよ。
P.S.
浜田さんからJ.S. Foundationに文章をよせていただきました。嬉しい限りです。
吉野弘さんの詩の一遍が書かれていました。私は教科書で「I was born」を読んだ記憶があります。
'09.02.24 UPDATE
海外に住む友人が、久しぶりに帰国したので、一緒に食事しようということになり、
麻布にある和食の店で待ち合わせた。
オレの方が少し早く着いて、ビールを飲んでいると、彼がいつものように、
「どうも、どうも、元気ですかぁ?」と言いながら席に着き、挨拶もそこそこに、
「いやぁ、今ねぇ、凄いもの見ちゃったよぉ、浜田さん」と話し始めた。
「何を見たんですか?」と、オレ。
「銀座から地下鉄で来たんだけどね、ほら、あるじゃない、年寄りが座る席、何て言うんだっけ?」
彼は今や殆ど外国人である。
「シルバーシートのことですか?」
「そこにね、上品な感じのおばあさんが座ってたのよ。隣が空いててね、
オレも60過ぎだから座ってもいいのかもしれないけど、まぁ立ってたわけよね」
「えぇ、それで?」
「そしたら、その空いてた席に、そうだなぁ、30代半ばくらいの女性が座ったの。
ごく普通の感じの女なんだよね。暫くして、そのおばあさんがその女に話しかけたわけ」
「なんて?」
「『お嬢さん、年はおいくつ?』って。それで、女が応えたのね。『38ですけど』って。
『まぁ、若く見えるのね、うらやましい、結婚されてるの?』『ええ、子どもが一人います』
まぁ、ここまでは話好きの老人と隣に座った女性の会話って感じだったのよ」
「そうですねぇ」
「ここからなのよ、おばあさんがこう続けたわけ『どこか体に悪いところでもあるの?』
そしたら、いきなりさぁ、その女が『がたがた言うんじゃねぇよ!このクソばばぁ!』
って大声で叫んだわけ。車内がシーンとなっちゃって、いやぁー、凄いもの見たなぁ!」
そして、彼が尋ねた「日本って、こんな感じなんですかぁ、最近は?」

「そういえば、似たような話を友達から聞いたなぁ」と、今度はオレの番。

「友人のカミさんがバスに乗って、座席に座ってたら、自分の前に、幼児を抱いた若い母親が乗って来て立ったんだって。
友人のカミさんは、その日すごく疲れていて、体調も悪くて、席を譲りたくなかったんだけど、
仕方ないと思って、その母親を座らせたんだって。
そうこうしてたら、3つ目くらいのバス停で、その母親の隣の席が空いたもんだから、
友人のカミさんが、あぁ…やっと座れると思った、その瞬間、
その若い母親が『何とかちゃーん、席が空いたよ!』って自分の荷物を置いて、
友達だか妹だかを、そこに座らせたんだって。
友人のカミさんは暫く唖然としてたんだけど、疲れてたせいもあって、
我慢出来なくて『あんたねぇ、それはあまりにも失礼じゃない?』って言ったらしいんだけど、
その連中は無視したまま、ずっと座ったままだったって」
「わぁ、それも結構すごい話だねぇ、浜田さん」と呆れ顔の友人。

そんな話も終り、オレ達は酒を飲みながら、互いの近況を報告し合った。
そうしながらも、オレは心の中で懐かしい詩を思い出していた。
敬愛する吉野弘さんの詩で、初めて読んだのは、中学生の時で、教科書に載っていた。
題は「夕焼け」で、こんな詩だ。

夕焼け           吉野弘

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて――。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持ち主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。 やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。


まさに、この詩に登場する娘のような、やさしい心の持ち主であった方の志を継いで、
J.S.Foundationを設立して11年目に入りました。
佐藤さんを代表する事務局の方々、
そして、基金に協力して下さったひとりひとりの方々に感謝します。