J.S.FOUNDATION

活動報告

'07.12.26 UPDATE
 2007年は皆様にとってどんなお年でしたか?


 毎年暮れに発表される今年の漢字は「偽」という字でした。
人気商品や老舗店の食品偽装問題からはじまり、防衛省の汚職問題、テレビ番組のねつ造問題など、
この漢字にすべてが表されたような心明るくないニュースが続いたスッキリしない1年だったような気がします。


 なかでも厚生労働省によるさまざまな問題にはあきれ果ててしまいます。
年金記録問題の発覚は問題の大きさもさることながら、
その後の対応も「きちんと調査をする」という政治家の言葉を真にうけた私たちが甘かったようでした。
また、薬害肝炎被害者に対する、政府の対応には本当に情けない思いがしました。
「1日も早く被害者を救済してもらいたい」という、国民の声を無視するかのような
「税金を投入するにはそれなりの検討が必要だ」という福田総理のまるで人ごとのような心ないコメントには、
「国民を守らなければ」という意欲がまったく感じられません。


 毎年同じような問題が起きます。
関係者が過去の過ちから何1つ学習することなく進む日本の道先には、一体何があるのでしょうか。


 J.S. Foundationは11月にイラクの子供たちにお米と大豆のクリスマスプレゼントを贈りました。
また、バングラディッシュのサイクロンの被害地に医薬品の支援もしております。
これも皆様の温かいご支援があればこそです。心から感謝するとともに、これからも変わらずご支援をお願いいたします。



 2008年が皆様にとって良い年でありますよう!!


 私ごとですが、月探査機「かぐや」から送られてきた蒼く潤った地球の映像や
2年ごとに地球に近づく赤く輝く火星や美しく輝く月に癒された1年でした。
'07.11.02 UPDATE
 晩秋の候となりましたが、皆さまいかがお過ごしですか?
 いつもJ.S. Foundationへのサポート有り難うございます。JS事務局には、最近、
草の根レベルで現地の住民に寄り添い活動を続けている小さな規模のNGO団体からの支援の問い合せが増えてきました。
スーダン、イラク、アフガニスタン、ミャンマー、北朝鮮etc…。その大きな理由は10月からスタートした郵政民営化です。

 '91年、郵政省は誰でも手軽に海外協力に参加できる「国際ボランティア貯金」をつくりました。
預金者が希望すると利子の一定割合が、日本のNGOを通して途上国に援助されるというユニークなシステムで、
これまでに2551万人の方が参加し、188億円が寄付され、
96か国で3107の事業が展開されました(ちなみにJ.S. Foundationの口座もこの手続きをしておりました)。
 そのボランティア貯金により集まった資金は、各NGOが申請し、厳しい審査を経て受け渡され、
成果も確実に報告書に沿った事業であったかどうかの検証が行われるものです。
預金者の善意であるのですから当然のシステムですが、昨今のODA支援のアバウトさを見聞きするたび、
現地の状況を詳しく調査せずに国と国とで協議された税金の使いみちと、
逆に現地に根を張った民間のNGOの支援姿勢との大きな温度差に頭をひねります。


 188億円もの大きなボランティア貯金は、本当に必要な活動を行っているNGOにとってなくてはならない資金です。
しかし、今回の郵政民営化によって、この国際ボランティア貯金というシステムは消滅しました。
その結果、国際ボランティア貯金からの資金枠が無くなり、
人道支援をしたくても資金不足で活動ができないNGOが増えています。
 新しくスタートした株式会社ゆうちょ銀行の経営に携わる人たちが、国際ボランティア貯金の大切さを理解し、
2551万人の善意を消し去ることがないよう願ってやみません。


 10月4日のNHKホールでの募金活動にお忙しいなか、日本HCR協会の方がお手伝いに駆けつけてくださいました。
はじめて体験する浜田さんのステージ。クラシック専門の彼女たちの反応が最初は心配でしたが、
浜田さんのMCに相槌を打ったり、笑ったり、聞き入ったり、涙したり、と大変忙しいものでした(笑)。
「根本さんどうしたの、涙ぐんで」と私。
「『生まれたところを遠く離れて』を聞いていたら難民のひとたちのことを思い出して」と根本さん。
歌は不思議な力を人にあたえます。
人災、自然災害によって困難な生活を強いられている人たちにこの歌を届けたい夜でした。
「この子にいつの日かひかりがみえるように―」
'07.08.22 UPDATE
暑い、暑い日が続きました。

皆様の夏休みは如何でしたか?

今年もまた「天災地変」が頻発しました。
被災地域のみなさまには、さぞやご苦労が深いのでは、と推察いたしておりますが
一日も早い復興を願っております。

戦後62年。
テレビでは様々な視点から、検証分析されておりました。
4年にもわたるあの戦争を、何故もっとはやく止めさせる事が出来なかったのか……
その答えは、今年の秋葉広島市長の読み上げた「広島平和宣言」のなかにあるようです。

「21世紀は国民の力で問題が解決できる時代」

そんな時代を目指して、皆が力をあわせられたなら、と希望が湧いてきました。
自分の国の行く先を、一握りの、声のおおきい政治家に任せる事無く、みんなで監視する、それが大切なのかもしれません。

J.S.Foundationから報告。
ピースウィンズ・ジャパンの協力の下「アフガンの女性支援センター」のプロジェクトが無事終了しております。
3年間の支援でしたが、J.S.F発行の卒業証書及び、卒業記念品として贈呈したミシンを手に巣立ち、
学んだ技術で刺繍や洋裁で現金収入の道を女性が得られたことは嬉しい限りです。
そして、我が子の名前を書きたい一心で、文字を学んだお母さんたちの気持ち。
考えると、こころが温かくなります。


もう一つの報告
UNHCR「国連難民高等弁務官事務所」と協力してネパールのブータン難民キャンプに
太陽光発電による外灯設備を、06、07年とテストケースとして支援してきましたが、
このほど、日本の民間企業としては始めて、松下電工が協力してくれることが決まりました。
J.S.Fのような小さな団体がはじめた、灯り事業が、松下電工のような専門家に引き継がれる。
バンザーイ!!やったねという気分です。

また、スーダンで医療活動をしている「ロシナンテス」及びアフガンで図書活動をしている
「シャンティ国際ボランティア会」からも文章を頂いておりますので、次回報告させて頂きます。
'07.07.20 UPDATE
今年も又、一難去って又一難。
7月13日ごろから各地を襲った豪雨、そして長野、新潟の大地震。
自然の猛威の前には、人はなす術が無いのかもしれません。
崩壊した家の前で呆然立ち尽くす住人、そしてテレビから伝わる被災地の惨状、混雑した避難所の状況は
本当に切なく、身につまされます。
しかし、安らげる場所を失い、避難所で不慣れな生活を送りながらも被災者の方同士が肩
を寄せ合い助け合っている姿を見ながら、私がこんなときにできることは、と考えます。

阪神大震災で企業も行政も多くを学習をし、救援物資や救助隊の出動は迅速になっているように
思えますが、一日も早く復旧ができるよう願うしかありません。

J,S Foundationは7月17日から被災地で医療及び介護支援に赴くAMDAに500,000円を拠出いたしました。
J,Sをご支援して下さる、みなさまの温かな気持ちが、被災に遭われた方々の励ましになれたら嬉しい限りです。
そして、日本中の人たちが皆さんのことを心配していることを伝えたいと思います。
'07.04.27 UPDATE
ご無沙汰しておりました。
皆さま、お元気ですか?
J.S Foundationには各NGO団体から2006年度の事業報告書が届いております。
ピースウインズ・ジャパンのアフガン担当者からは婦人支援センターの第3次の卒業式のDVDが届きました。
この職業訓練所で洋裁や刺繍などの技術を学んだ女性たちが、「収入の手段が増えただけでなく、
識字教室も兼ねているので自分や子供の名前が書けるようになった」と、インタビューに答える顔は輝いていました。

ネパールからは太陽熱発電事業により、難民キャンプの夜の治安が少し改善したとのコメントと共に、
工事の様子や外灯の下で楽しそうに遊ぶ住人の姿を写したDVDが届きました。
ただ、最近、地元の住人と難民の間で衝突があり、一人の犠牲者がでたとのことでした。
難民が燃料用に木を無断で伐ったことや、食料を得るため土地を耕したのが原因だとのことです。

そして、スーダンの子供たちのマラリア予防接種の支援も3月からスタートさせました。
協力してもらっている団体は、ロシナンテスという現地で精力的に医療活動に携わる川原医師が率いるNGO団体です。

皆さまからの善意がこのようなプロジェクトを通じて、ワクチンになり、外灯になり、
アフガンの婦人たちにプレゼントされたミシンとなって活かされていることを報告できることは代表としては嬉し限りです。

数多くのボランティア団体があるなかで、J.Sを支持して下さる厚意に感謝すると共に、
私たちも初心を忘れないように心がけていきます。

悲惨なNEWSがたて続けに起きています。
人が持つ負の破壊力に、私はただただ恐怖を覚えます。
暴力という愚かな力は、ネガティブな心を育て易くするのでしょうか?
今は無力感に包まれています。
しかし、「人間だけが不可能を事をなし得る」と、昔読んだゲーテの言葉を信じて希望だけは見つけたいと願っています。
そして、亡くなられた長崎市長をはじめ、沢山の先輩たちが歩んできた、
平和への道しるべを見失うことのないように努力していきたいと思います。
'07.02.07 UPDATE
UNHCRネパール・ダマク駐在事務所長の根本です。
J.S.Foundation様、ならびにJ.S.Foundation様を通じてご寄付をお寄せくださった方々のご協力で、
大変画期的な事業を立ち上げることができました。お礼を兼ねて、現場の状況をご報告させていただきます。

今からおよそ16年ほど前にブータンを逃れてやってきたブータン難民およそ10万6千人が、
ネパール東南端にある7つのキャンプにわかれて暮らしています。
UNHCRは、ネパール政府当局やNGOパートナーらと連携しながら、これら難民の権利を保護し、
住居、食糧、水・衛生、保健・医療、教育などの面での支援物資・サービスの提供、
および難民問題の恒久的解決の模索を担っています。ダマク事務所は、こうした保護・支援活動の現場を統括しています。
かれこれ16年も経てば、キャンプはまるで典型的なネパールの町のよう。
学校もあれば、診療所もある。集会所もあれば、障害児を預ける託児所もある。
すべて UNHCRの支援でつくられたものです。
ブータン難民はネパールでは就労権が認められていないため、国際社会からの支援に全面的に依存せざるを得ません。
人口は自然増加しているもののキャンプ用地はそのままなので、年を追ってキャンプでは過密化が進んでいます。

UNHCRはブータン難民に対し、2005年末までかなりの量の灯油を調理用燃料として難民家庭に配布し、
難民たちはこの一部を夜の明かりに使用していました。灯油価格の高騰などの理由から、
UNHCRは2006年初めから調理用燃料を灯油からより安価な固形燃料に切り替えざるを得なかったのですが、
キャンプには電気も通っていませんので、この影響で夜明かりとしてともすものがなくなり、
難民たちは夜間の治安に不安を感じるようになりました。ニーズ調査として訪れた夜の難民キャンプは真っ暗で、
過密状況のキャンプの闇の中を人々がうごめいていました。
仮に灯油の配給を継続したとするとこれだけで2006年の事業費の60%以上を占める計算になり
(固形燃料に切り替えた結果、調理用燃料が事業費に占める割合は20数パーセントで済んでいます)、
とても持続できるものではありませんでしたが、
灯油の配給カットで図らずも生じた治安面のニーズはないがしろにできるものではありません。

キャンプ一帯に電気を通すことは、費用の面や同じく電気の通っていない周辺地域などへの配慮などから論外
(ただし、周辺地域は電気が通っていないものの、ここまで密集して人は住んでいません)。
検討を重ね、費用対効果およびサステナビリティーの点から太陽光発電パネルをキャンプ内に取り付け、
街灯を設置したいと提案したところ、J.S.Foundationの佐藤事務局長が快諾してくださり、
UNHCRと協力関係にあるNGOのLutheran World Federation (LWF)の事業として7つあるキャンプの1つで
試験的にこのプロジェクトを実施することができました。
先日このキャンプを夜視察して難民たちにインパクトを聞いたところ、反応は上々。特に女性・女子から
「夜間少し安心して、外のお手洗いに行けるようになった」などポジティブな声が多く聞かれました。

街灯の強さや向きについて改良の余地がありますが、試験プロジェクトで学んだ教訓をもとに、
今年はUNHCRの事業として、本格的にすべてのキャンプで太陽光発電街灯プロジェクトを実施することを計画しています。
一度設置するとその後のメンテナンス費はほとんどかかりませんので、
単純計算で難民一人あたり 90円ほどで何年にもわたっていくばくかの安心を届けられる計算になります。
灯りは多くのキャンプで課題となっていますが、
UNHCRにとっても太陽光発電による街灯を全面的に設置するのは画期的なことです。
太陽の力で安心を届ける今年の街灯プロジェクトに対しても、引き続き皆様からご支援いただければ幸いです。

また折を見て現場からご報告させていただきます。

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皆様には如何お過ごしでしょうか。
「美しい国 NIPPON」を掲げる国のお茶の間には、殺伐な事件が溢れ気分が滅入ります。
また、夕張の街の財政環境の厳しさをみると「日本はお金持ちの国ではなくなったのだ」と改めて知らされ、
そのうち自分も国から見捨てられるかもしれないと憂鬱になります。そんななか、
夕張の若者たちによる手作りの成人式のニュースは心温まりました。
しかし、日本の将来を支えてくれるであろう若者に市からの予算が僅か一万円とは。

1月9日、成田空港からのカメラマン内藤順司さんの電話、
「佐藤さん、今からスーダンに行ってきまぁーす」。
これまで日本で音楽をする美しい人を撮り続けてきた内藤さんが、今回スーダン行きを決めたのは、
医療に従事する美しい人を撮りたいと思ったからだそうです。しかし、現在紛争中のスーダンは、
紛争による現実的な危険に加え、ビザの問題など数多くの困難があります。
それでもスーダン行きを決めた内藤さんの行動力を見て、「強く望めば叶う」のサンプルのような人だと愉しくなりました。
内藤さんがこれから訪れるスーダンには、
NPO法人「ロシナンテスwww.rocinantes.org」の川原先生をはじめとして、
医療活動に従事している方々や国連の職員が数多く活動されております。
このように、世界には沢山の日本人が様々の国際機関やNGOで活躍しています。
被災民に寄り添い時間を共有し、なにがしかの希望を見付け出すチャンスを模索しています。
そんな現場を内藤さんの写真を通じて、
皆さんに届けられる機会があれば嬉しい限りです。