J.S.FOUNDATION

活動報告

'04.11.05 UPDATE
例年ならば紅葉の美しい、静かな秋日和が楽しめる筈の私達の元に連日天災、人災の情報が飛び込みます。
新潟の幼児の救出にレスキュー隊が必死に活動する姿は彼らの仕事とはいえ、胸打つものがあり、
また、たくさんのボランティアのひと達のやさしさが嬉しく思える中、とんでもない事件がおこりました。
耳を覆いたくなるような酷い殺され方で日本の若者がイラクで命を奪われ、
この若者の関係者のみならず、日本中に重苦しい空気が流れています。
「この時期に何故イラクに?」と賛否を論じるのは容易な事ですが、
「国益」と「個人の益」の落差に気持ちが落ちていきます。
いまのイラクの情勢の中で自国民の命を見殺しにしてまでも守る国益があるのだろうか?と政治家に聞いてみたい。
小泉総理の「テロには屈しない」だけでは、彼が望んでいた「日本に戻りたいです」の願いを叶える事が何故、
出来なかったのか私には解りません。
せめて、最高責任者として「大切な国民を是非返してくれ、頼む」と必死で訴えてほしかったと思います。

J.S.Foundationの活動報告として、
9月28日、
『スーダン難民緊急支援』として"日本HCR協会"へ¥2,000,000-を寄付致しました。

10月1日、
『ハイチ共和国でのハリケーン被害緊急救援(医薬品及び基礎医療器具購入)』として
"AMDA"へ¥1,028,940-を寄付致しました。

10月27日、
"新潟県災害対策本部"へ災害緊急支援金として¥1,000,000-を寄付致しました。

いつも、皆様の温かい御協力に感謝しております。
'04.10.26 UPDATE
10月23日、新潟中越地震が発生しました。
未だに断続的な強い地震が発生し、
孤立して情報も途絶えた村落での被害状況が明確に把握されていないとのこと。

行政主導で食糧や水、避難所の確保がなされています。
普段、行政がサービスをするのは当たり前と考えていますが、国が国としての体をなし、
この様な事態が発生した時に行政が行動を起こす国に住んでいることは素直にありがたいと感じます。
まだまだ充分ではないとしても、度重なる失敗を経験として、災害に対する行政の危機管理、
対応が以前と比べ向上していると感じるのは、私だけではない筈です。

ただ、ブラウン管に映る被災者の方々、慣れない集団生活に疲弊し、余震に怯える不安はいかばかりかと思います。
インフラの再構築といった物質面のみでなく、被災者の方々が精神的な平穏を取り戻すには長い長い時間を要するのでしょう。

10万人とも言われる被災者の上に、無情にも雨は降り続いています。
J.S.Foundationは新潟中越地震の被災者に対して、
10月27日、『新潟県災害対策本部』へ1,000,000円の義援金を寄付致します。

緊急を要する混乱の中、
義援金の用途をこちらから指定する事が不可能でした。
御理解願います。

又、今年は日本各地で台風による被害が発生しています。
環境破壊、地球温暖化の影響が気候を狂わせ始めているのは、素人目にも明らかです。
特に台風23号では、10月25日時点の情報によると死者80名、行方不明者9名と甚大です。
これほど人命に関わる被害が発生した台風は、1979年10月以来と聞きます。
バスに取り残された方々の救助活動や、土砂や増水で亡くなった方々の報道をTVで目の当たりにし、
自分がその場にいても決して不思議ではないという恐怖を感じました。
台風による被災者の方々にもJ.S.Foundationとして何が出来るか只今検討しています。

災害において人的被害は勿論、
財産的損失にあわれた方々に対し、心からお見舞い申し上げます。
'04.10.13 UPDATE
思うに希望とは
もともとあるものとも言えぬし
ないものともいえない。
それは地上の道のようなものである。
歩く人が多くなれば
それが道になる。(魯迅)

J.S.Foundationに携わっていると国際機関の人と会う機会が多くなり、
中でもフィールドサービスに従事しているスタッフの体験談は興味深いものです。

大学生の頃マザーテレサの「死を待つ人の家」の手伝いをしたのがきっかけです、と話してくれた外科の医師。

『あなた身体、大丈夫?』と私を心配させるほど、はかなげな若い女性が単身ネパールの疎村で取り組むエイズ教育。

『僕は新潟の三条市の水害現場に手伝いに行きました。そこでJ.S.Foundationから寄付がきているのを知り嬉しかった。
じつは僕も浜田さんのファンクラブの会員なので仲間に後押ししてもらっているようでした。』とメ−ルを送ってくれた方。

こういう沢山の人達が希望をさがしに内外問わず被災地に赴き、諸先輩のつくり出した道を辿っているのです。

J.S.Foundationに寄せられる皆さんの善意は、
災害現場や紛争地で救済を待つ人達と、このように現場に赴いてくださる人達を通じて
確かな形で希望という道づくりのお手伝いができることは本当に幸せです。

話は変わりますが、
先日青山の国連大学で開催された、
写真家小林正典さんの「命をみつめてー世界の難民」の写真展へ行ってきました。

故郷を追われ呆然と遠くを見つめる老人。

僅かな家財道具を背負い荒れ地を裸足で歩く家族。

カメラに無邪気に微笑みかける子供。

難民キャンプに辿り着く前に命の火が消えてしまいそうな栄養失調の子供を抱え途方にくれる母親。

写真を見ているとその切り取られたワンシーンに自分が写っているような錯角をおこし、
形容しがたい感情が澱となり沈みます。

今日を生き抜くことが最優先のこの人たちに何ができるでしょうか?
勿論、当事者の心の苦しみや悲しみや怒りを共有することはできません。
ましてや不条理な戦争やテロで肉親を失った人たちの想いをおしはかる術を知りません。
しかし共有はできなくとも、
『あなたたちのそばに私達はいるからね。』
と物資や医療を通じて伝えることができると思います。

「連続テロ」「環境破壊」「内戦」さまざまな問題を抱えながらも今日は過ぎます。
人は「何の為に殺し、殺されたのだろう?」と考えなしの私でさえ最近は考えています。

9月23日、
水谷さん、春嵐さん、浜田さんや沢山の関係者の御協力を得て「Fairlife」から
印税収益をJ.S.Foundationへ寄付してくださるチャリティーシングル "永遠のともだち/砂の祈り"が発売されました。

この収益は国際NGOと連係をとり確実な方法で役立たせることを約束いたします。

浜田さんたちの温かいお気持ちに感謝します、と「ピ−スウィンズ・ジャパン」、「AMDA」、「UNHCR」等
今まで共に活動してきた団体から言葉が寄せられました。

「Fairlife」の皆さんの問題意識の喬さや憂いはJ.S.Foundationの代表としての未熟さを再認識させられます。

人の優しさはどうも人の心の弱さと比例するように思えてなりませんが、
このCDを聴きながら優しい気持ちになれたら素敵ですよね。

現在J.S.Foundationは、医療と教育を重点に様々な団体と協力関係にありますが、特に教育は大切だと考えます。

「Fairlife」の寄付の一部が、
アフガンの学校教育に参加できるか現在調査しています。
11月になればアフガンの総選挙も終わり、
少しは安全になると言う情報ですのでカンダハールの現場に入れそうとのことです。

教育が全てではないにしろ、自らの身を守り、自活をするための1つの重要な手段となることは間違いありません。

そしていつの日か、
なんの為に殺し、殺されたのだろう?という問いかけに答えを出してくれる人が現われることを願っています。
遠い遠い未来かもしれませんが、希望は存在します。

『イラクに大量破壊兵器は存在しなかった』
というアメリカ調査機関の発表をイラクの混乱に巻き込まれた人はどう理解すればいいのだろう?
'04.08.05 UPDATE
暑中お見舞い申し上げます。
地球的規模の異常気象が今年もさまざまな災害をひき起こしています。
国内では新潟、福井、西日本、四国などの集中豪雨による大きな被害が報告されています。
インタビューに答える被災者の言葉が耳に残りました。
「80年生きてきたけどこんな凄い雨は初めてだ」「信じられない雨量だった」と。
地球温室化、環境破壊問題が「待ったなし」の深刻な状況にあることは、
今を活きる私たちには目を背けられない問題です。
気づかぬふりをして過ごす快適な生活習慣。せめて今日だけは車はやめ、
クーラーは切り、部屋の照明は月あかりで、と公共広告機構のCFのようにすごしてみようかな?
などとボ―ッとしていたそんな中、
こんな格好いい人がでてきて嬉しかった。
「えっー、そのひと当選した2億円の宝くじをそっくりそのまま寄付をしたの?その人すごいよねぇー、
わたしが同じ立場だったら果たしてそんなことができるだろうか?たぶん半分はとっておくよね、」
などと話していたら娘曰く「お母さん、J.Sの代表でしょう!!」
集中豪雨で大きな被災を受けられた福井県の人たちには、こんな優しいこころを持った人が応援していることは、
こころ温まるニュースだと思います。
また、大勢のボランティアが被災地に入りお手伝いをされていました。
95年1月17日の阪神大震災はとても不幸な出来事でしたが、私たちはそこからいろいろ学習し、
確実な市民ネットワークができたことは心強い限りです。
J.S.foundationも、皆さんの心と共に7月21日に新潟県の「中之島災害対策本部」と「三条市7月13日水害義援金」へ
それぞれ¥500,000-ずつ復興支援のために協力させていただきました。
福井県に関しては7月26日渋谷区役所に相談に行きましたが
その時点では現金箱のみということでしたので協力できませんでした。

さて、話は変わりますが、7月22日中野ZEROでの「いま私たちがイラクでできること」という集会に行ってきました。
イラクが心配でさまざまな国内のNPO団体にコンタクトをしたのですが確かなルートが見つからなかったからです。
その集会のなかでの、イラクで人質になられてしまった高遠菜穂子さんの話しは説得力があり、
スライドに写し出される市民の惨状は酷いものでした。
あの封鎖されたファルージャでアメリカ軍は何をしていたのか?
でも「アメリカが悪いと私が憤れば、イラク人はそうだと怒って報復に走る。そして若者や子供が死んでいく。
だから私は人質になったときも、アメリカを恨むなと言いつづけた。」と涙ながらに話されていました。
そして「憎しみの連鎖がある限り解決の糸口は何も見えないのです。」と言いながら、
「自爆をも覚悟のうえで若者が死んでいく、その心の闇は深い」とつぶやいていました。

今、日本が様変わりをしても良いと考えている人が本当に多いのでしょうか?
「経団連」が武器の輸出の許可を政府に働きかけている、
との記事を目にすると「日本の平和主義」はどうしたの?と不安になります。

最近、私がはまっている「冬のソナタ」のなかで主人公に「ポラリスって知っているよねぇー。
ポラリスは季節に関係なくいつも同じ場所で輝いている。だから道に迷った時にはー」と語りかける台詞があるのですが、
戦後の日本にとって憲法第9条は、ポラリスのように、この国が迷いそうになる時も、平和への道しるべとなり、
他国の人々を傷つけることなく、暮らせる方向に導いてくれていたのだと思います。

活動報告
6月3日、ネパールのダマックにあるUNHCRブータン難民キャンプのこどもたちの教育プロジェクトに
¥2,000,000-使わせていただきました。
このプロジェクトは、昨年から立ち上げ合計¥5,000,000-となりJ.S .Foundationにとり大きな救済事業となりました。
私たちは現地に出向き沢山の成果を目にし、
又、UNHCRの現地のフィールドサービスの職員の報告も随時受け、
大きな成果をあげている様子が見てとれ、嬉しいかぎりです。
これもまた、さまざまな人達の温かな御支援のおかげです。
現地の子供達にかわり、皆様に「有り難うございます」とお礼を申し上げます。
また、6月25日、「国境なき医師団」と、アフガニスタンの被災者の医療に役立てて欲しいと相談し、
¥1,000,000-を使って頂きました。

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最後にこんなに可愛い写真が届きました。
'04.05.17 UPDATE
連日、イラクの惨状がブラウン管に写しだされています。
「フセインが何処かに大量破壊兵器を隠してるのは間違いない」とホワイトハウスの報道官のような小泉総理の演説以降、
私たちが見た映像はただただアメリカを軸にした国々の凄まじいまでに進化している破壊兵器の威力だけでした。
"どこにあるのかイラクの大量破壊兵器?"

そして戦場という非日常な極限の中で、心まで壊されていく市民や兵士達。
そんな中、イラクのアブグレイ刑務所のおぞましい虐待の実体が暴き出され始めている。
その情報を見聞きしながら「どうしてこんなむごい事ができるのだろう?」と思う反面、
この兵士たちも平常時ならこんな酷いことはしないだろう、と改めて、戦争のもたらす狂気と愚かしさ。
人の心の闇の深さに恐怖を感じずにはいられません。
罪の意識もなく無邪気に笑ってポーズを取るアメリカの若い女性兵士。
この写真のシャッターを押している兵士の目線は、この意味のない戦争に協力した国々の人の目線だよ、
と囁いているように思えるのは私だけでしょうか?
なぜ、戦争はいけないのか?とわが子に問われ
「難しいことは解らないけど人が人らしい理性を保てないからよ」と答えてきた私です。
CNNによると戦争以降イラクの石油ビジネスは期待以上に成果が上がっているそうです。

4月23日から10日間の予定でネパールに行ってきました。
目的は5年前からドナーとしてサポートしている"AMDA子供病院"と昨年からサポートしている
国連高等弁務官事務所(UNHCR)が運営管理する"ブータン難民の子供教育"の見学でした。
現在ネパール情勢は毛沢東思想に影響をうけた人たち、つまり『マオイスト』が知識人などの射殺を企て多発し、
政治も混乱し、又さまざまな組織のゼネストも重なり危険度が"4"という状況下でしたので、
私たちへの安全対策にはAMDA及びUNHCRの方に多大なご苦労をかけてしまうことになりました。
そして更に悪天候で首都カトマンドゥから地方に行く小型飛行機が飛ぶ事ができず、
ネパールの空軍の輸送機にのり難民キャンプのあるビラトナガルまで移動するというハプニングもありました。
前半はAMDA子供病院と識字教育の“フェイズプロジェクト”のためブトワールという町に滞在。
ここを訪れるのは3回目なので顔見知りの院長やスタッフ達と再会し、ゆっくりと話しを伺う事が出来ました。
新しい分娩台やエコー、子供病棟の窓にかかる可愛いプリント模様のカーテンなど本当に感謝され、
J.S.Foundationに協力してくださるみなさんに「有難うと伝えて欲しい」ということでした。
産科の入院患者の4,5人に話しを聞いたのですが、"この病院に来るのに家からバス停まで丸一日歩き、
そしてバスに丸一日乗る"つまり丸二日間かけて病人や今にも生まれそうな妊婦が来院するという現実も知り、
また母親の栄養状態が平均して悪いので産まれてくる赤ちゃんがとても小さいのが気になりました。

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今回"フェイズプロジェクト"で訪れた村はカーストの中でもっとも低い部分にあたる村でした。
ブトワールの町から車で2時間ぐらいなのですが、喋っていると舌をかみそうな悪路、
そしてこの国は牛を轢きでもしたら重罪になるためどんな場所も「牛優先」の運転ルール。

辿り着いたその村は土地も家畜も木さえもやせていました。
家は4,5畳ぐらいで一家族平均8人、土と牛の糞をまぜた土造りの小屋で勿論電気も水道もありません。
そして村の中で数少ない文字が読み書きできる人を先生として、AMDAが指導しながら
"衛生・避妊・栄養"などの勉強をさせています。生徒は17歳〜40歳位までの女性達です。
授業の中でユニセフが啓蒙活動の一環として制作したビデオを皆興味深く見ていました。
これは早すぎる結婚、女性の教育等に関するビデオです。
ストーリーを簡単に説明すると、主人公である勉強が大好きな利発な12歳の少女が、
ある日突然親が決めた男性と結婚するため学校を辞めさせられます。
そして13才で出産するのですが、早すぎる出産が原因で亡くなってしまうという悲しい物語なのです。
家族には「口減らし」、相手の家には労働力として現実にこういう結婚はあるのです。
驚いたことにこの村も最近までこの様な風習があり、話を聞いた内の1人は結婚が14歳、初産が15歳。
そして生涯出産8人程度だという事でした。また自分の年令もはっきり解らない人も沢山いました。

村の子供たちはいずこも同じで人なつっこく、私たちがもの珍しいのかどこまでもついてじゃれていました。

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後半はインドとネパールの国境近くにあるJhapaという地域に7ヵ所にわたって点在する
UNHCRが運営するブータン難民キャンプへむかいました。
私達が訪れたのは、1992年初めてできた"Timai"キャンプ、それから"Khudumabari"キャンプです。
難民問題は各国の政治や宗教が複雑にからみ難しいのですが、
2005年12月にUNHCRがここから撤退することが決まってしまい、それ以降キャンプの子供達の教育の問題、
その他に対してフィールドサ-ビスの職員が真剣に取り組んでおられました。
難民キャンプの代表の方やそれぞれのプロジェクトの責任者の方々と会い、現状説明と要請を聞いてきました。
J.S Foundationはこのプロジェクトに昨年¥3,000,000-を寄付しており、
これからも引き続き協力させてもらう意向を伝えました。
自国にもネパールにも安住の地がないブータン人約20万人が粗末な掘っ立て小屋にすみ、
働いて賃金を得ることが禁じられているので国連世界食糧協会"WFT"が食糧の配給を、"赤十字"が健康を管理、
"AMDA"は医療、ユニセフが子供の環境に携わり、その他も様々なNGOが助けに入っていました。

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駆け足の10日間でしたが今回は国連という大きな国際組織が運営しているケースとNGOが市と提携し
運営する二つのスタイルが違う施設を見ることができとても勉強になりました。
私がお会いした人達は皆人道支援のプロでした。
J.S Foundationも難民のサポ-トをするのならもう少し政治、宗教に関する単語を覚えないとダメだなと
反省…善意だけではなにも進まないのです。

最後になりましたが、
現地で皆さんの御協力が、こちらが指定した通りの形できちんと使われているという事が改めて確認できたことを報告します。
そして人が人を助け、励まし、勇気を与えることの大切を知った旅でした。
それにつけても10日間、お風呂が恋しくて、恋しくて・・

'04.04.14 UPDATE
今日は4月14日です。
戦後初めての海外派兵という状況の中で民間のボランティアの方が人質に捕られてしまうという事件が起きています。

このNEWSを耳にしたとき、私はこの事態を頭の中でうまく整理することができませんでした。

昨年12月、浜田さんのイベント会場での『イラクの子供達に医薬品を!!』
と御協力頂いた現金募金をイラクへ届けて下さるいくつかのNGO団体とコンタクトをしました。
殆どの組織の答えは『国外退去警告が出ており、イラクでのスタッフの安全確保が困難な為
皆一時退去をしているのでお役に立てない。』というものでした。
そして私は、最終的にやっとイラクのクルド人地区で長年活動している
ピースウインズ・ジャパンにお願いする事が出来たのです。
つまり私は、個人でNGO団体も自由に出入りできない紛争地域に飛び込み
現地の被災者に寄り添ってボランティア活動をしている日本人がいた事自体が上手く飲み込めなかったのです。

イラクで起きてる深刻な事態に対してコメントを書くのはとてもデリケートな問題であり、
私個人としては文章をまとめきれませんでした。
しかし、『人質事件』と『自衛隊イラク派兵問題』と切り離して考えるべきであるという私の見解は変わりません。

今はただ、一刻も早く人質の方々が無事に解放される事を祈っています。

イラク国内で日本人3人がイラク人グループによって拘束されたとのニュースが飛び込んできたのが、今月8日のこと。
今日でもう7日目になる。犯人グループからの「日本軍(自衛隊)が3日以内に撤退しなければ殺害する」とする声明文に、
ご家族をはじめ、多くの人々が「自衛隊の即時撤退」を訴えている。
事件発生当初より様々な情報が行き交っているが、どの情報も不確かであり、「憶測」の域を脱しない。
そんな中ではあるが、今、やはり一番大切なのは、「人命尊重のため努力」と
「冷静で正確な情報収集」なのではないかと思う。
連日のニュース番組での「自衛隊の即時撤退の是非」についての議論や訴えを聞いていると
、どうも違和感を感じて仕方がないのが正直なところである。
今回の事件の解決のための手段としての自衛隊に関する議論は、感情論で論じるものでもなければ、
派遣or撤退議論ではないはずである。今の自衛隊に対して本当に議論すべきは、既に派遣されている現状を考慮し、
より現地の復興により良く貢献できるか、現地の人々に誤解を与えることなく、効率的に機能しうるかを議論すべきであり、
それでも不適当であるならば、そのときに「撤退」というオプションも生じるものだと思う。
それから、自分自身も、紛争後の平和構築のために多少なりとも活動している人間であるが、
やはり、そういう場面で働く者としては、何よりも「自分の身の安全確保」が最優先課題であり、
それが不十分であった場合には「現地の人のために」は、有効に機能しえないように思える。
自衛隊派遣後、日本国内ですら、テロが行われる可能性があることも指摘されていたが、現在混乱状態にある
イラク国内において、日本人を相手とした敵対行為が起こる可能性は非常に高かったことは、安易に想像できる。
だからこそ、日本政府が「退避勧告」を出し、最悪の事態が起こることを防ごうとしていたはずである。
必ずしも、現場でなければできないことばかりではないはずである。
限られた状況の中、限られた時間の中、自分は何ができるのか、自分は何をすべきであるのかを熟考し、
そのための最大限の努力(自分の安全確保も含めて)をすることが大切なのではないだろうか。
しかし、「正確な情報」がない現在、人質となっている人たちが、どういう目的でイラクに入り、
いかにして拘束されたのかについても不明であり、どういう状況におかれているのかもわからないままである。
「人命を第一にして救出に全力を挙げる」は言うまでもないが、
今回の事件から、各当事者や国民に与えられた「本当に冷静に考えるべき課題」という教訓は非常に重いものであると思う。
人質の方々の一刻も早い解放と無事を祈りながら。
'04.03.01 UPDATE
J.S.Foundationは皆様の温かな御支援に支えられて5才の春を迎えます。
私の5才の頃は?と思い返すと、あまりにもさかのぼるには時間がかかりますが、
確かな事はあの頃は純粋だったという事です。
私は目黒の柿の木坂という町で生まれ育ちました。
町名だけに坂が多く、ダンボールや竹でソリを作ってすべり降りたり多摩川で泳いだりして遊ぶ事がその頃の全てでした。
それからウン十年も暮らしていくにつれ、私の弱さも相まってか様々な垢が身に付いてしまいました。
J.S.Foundationにこうして関わっているのもしょく罪を込めてなのだろうと思います。
イエスさまは、どんな人でも最後は救ってくださるという願いをこめて一日一善というとこでしょうか?

活動報告として・・
1/15、ピースウインズ・ジャパンへ、イラクでの巡回診療"ソシオ・メディック
(山間部や村落部など医療が届きにくい地域で巡回診療)"への一部として、
ファンクラブイベント会場での現金募金¥1,165,559-を寄付させて頂きました。

2/23、Road&Skyの御協力を得て衣料品をアフガニスタン、イラン、モンゴルに送る事が出来ました。
特にモンゴルのピースウインズ・ジャパンが関わっているモンゴルの孤児院へ送った45名分のバスタオルは、
子供達の生活に役立つ事だろうと思います。

これも一重に皆様の暖かい御支援のお陰です、
本当に感謝しております。

今後共、J.S.Foundationをどうぞ宜しくお願い致します。

つい先日お正月を迎えたと思ったら、もう今年も2月が終わろうとしています。
浜田さんの歌ではないですが、「時はあまりに早く過ぎていく・・・」。
みなさんは、こんな話を聞いたことはありますか?
同じ1年間でも、子供にとっての1年と、大人にとってのそれでは大人の1年間の方が圧倒的に速いそうです。
勿論、物理的な話ではなく、感覚的にということですが。
例えば5歳の子供の1年間は、その子供にとって1/5と人生のかなりの割合を占めます。
一方、50歳の大人にとっては1/50に過ぎない短い時間でしかない。なんとなく説得力のある話ではないでしょうか?
日々短くなっていく1年、毎日を充実したものに、そして落ち着いた1日を過ごせたらそのことに感謝していきたいと感じます。

岸和田の児童虐待には大変な衝撃を受けました。
本来身を呈してでも守るべき自分の子供を、親自らが死に至らしめるよう追い詰めていた。到底理解できる話ではありません。
世界に目を向けると、無差別テロが頻発し、沢山の方が何の理由もなく傷付けられ、亡くなっています。
社会の歪みの影響を直接受けるのは、私たちと何ら変わることのない一般の市民であり、
混乱増す世界各地で支援の要請は増々高まるばかりです。

さて、2004年度のJ.S.Fの決算がまとまりましたので、ここにご報告いたします。
皆さんの多大なご支援のおかげで、有益な活動ができましたことに改めて御礼を申し上げます。
また皆さんの誠意を、責任もって然るべき場所にお届けできたことをJ.S.Fとして自負しております。
これからも、皆さんと世界を繋ぐ橋渡しとしてJ.S.Fは活動していきますので、
ご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。
'04.01.22 UPDATE
なんとなく不穏な年明けとなった2004年ですが、皆様お元気の事と思います。
私は大晦日の夜に子供が急に発熱し、年越しを病院の待ち合い室で迎えました。
初詣で引いたおみくじは凶で、前途多難かな?と思いましたが、甘酒を飲んでなんとか心と体を温めました(笑)。

あれよ、あれよという間に「日の丸」をつけた戦車の映像がテレビから流れています。
"変人"がキャッチコピーである小泉さんが日本を変な方向に連れていこうとしているのでは?と私は不安を感じています。
良くも悪くも派遣と決まるのなら、ただただ現地で御苦労されるであろう隊員の方々に、
「行ってきます!!」「ただいま!!」と穏やかな日常が一日も早く訪れることを願うのみです。
普段さほど意識しないけど「行ってらっしゃい」「ただいま」といえる日々は、かけがいのない大切なものですね。

12月26日、イランのバム付近で起きた大地震のニュ-ス。
神戸大震災の体験者であるボランティアの大家君からその大変さを聞いたばかりだった私は、
大変な衝撃を受け『すぐ何とかしなければ』と思いました。

すぐにAMDAに連絡を取り現地に医療関係者を派遣できないか?と要請しました。
何度か打ち合わせをし、12月29日¥1,000,000-を医薬品の購入費として送らせて頂きました。
皆さんの善意は今まさにイラクのバムにおいて暖かい薬や医療となり活躍してくれていると思います。
出来る事ならば、バクダットに到着している自衛隊の調査団をイランにすぐ飛ばすべきであったと私は今でも思っています。

J.S.Foundationは日常的なものを含め、
11月、12月にかけての各地でのファンクラブイベント、
"100%FAN FUN FAN"内での募金活動への募金と、沢山の方の温かい御支援を頂きました。
福岡-¥147,236-、大阪-¥110,509-、神戸-¥199,596-、広島-¥209,089-以上7ヶ所において、
合計¥1,165,559-の暖かい御支援を頂きました。
この募金全額を戦争の傷跡に苦しむイラクの方達の医療に役立てて欲しいと
1月15日にNPO「ピースウインズ・ジャパン」を窓口とし、皆さんの温かい気持ちとともに送らせてい頂きました。

最近、国際貢献とはなんぞや?とさかんに討議されていますが、
各自各々が身の丈にあった方法で続けていければ…と、私は思っています。
また、お忙しい中J.S.Fの裏方として御協力してくれた
中村さん、山口御夫妻、大家君、奥村さん、田中さん本当に有難うございました。感謝しています。
活動後のコメントとして、
浜田さんとFANの方達とJ.S.Foundationの強い絆に感動したと言ってくださりとても嬉しかったです。

話は変わり、
AMDAネパール子供病院のビーマル医院長と看護婦さん2名が日本に研修の為おいでになり、
東京でお会いする機会がありました。
今までのJ.S.Fの温かな善意に感謝のお言葉を頂くとともに、
模範になれるような病院にしますと心強い決意をお話しされていました。

それでは寒い日が続きますので、くれぐれもお体御自愛下さい。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。