J.S.FOUNDATION

活動報告

'03.12.09 UPDATE
2003年も残すとこ1ヶ月となりました。
東京も紅葉や銀杏並木が美しく街を彩り、
X'masのイルミネーションが華やかさを増してきています。
そんな穏やかな暮らしの中にイラクからの突然の悲報。

93年にカンボジアで亡くなられた高田さんに続き、
2人目、3人目の犠牲者がでてしまいました。
日本のリーダーは「何故こんなことが起きたのか?」と思案投げ首。
その映像をみながら私は心底怒りが込み上げてきて「小泉さんだけが知らないのかもしれないね、安全な場所などない」と、
そして「本当に小泉さんでいいのか?」と誰かに聞きたくなりました。
現政権担当者は「歳末助け合い運動」に協力するレベルで自衛隊を派遣するのだろうか?

「テロリストには屈しない」とあなたから精神論を100万遍ブチあげられても私の心には殆どなにも迫ってきません。
そんな当たり前なことは皆知っています。ただ今の訳が分からないような説明だけでは派遣に反対が多いのは当然です。
それでも実行するのなら、まずあなたがイメージなさるあの国の安全な場所をご自身で探してきて下さい、
そして真摯な言葉でわたし達に、
イラクの人びとは何を望んでいるのか?日本はイラクの人びとに何ができるかを訴えて欲しいと思います。
観念や「状況を良く踏まえて」位なら素人の私でも言えます。皆何か良いやり方がないのかと総理に期待を寄せているのです。

半世紀まえ私の両親は敗戦の混乱の中、
さまざまな国際機関から受けた暖かな支援をうけ本当に助かったと歳を重ねてからも話していた記憶があります。
困ったときはお互い様の世の中。
国連がつねに正義でないにせよアメリカを強い頼りになる父と考えない国の言葉にも耳を傾けてほしい。
そして困難な状況にあるイラク市民に支援の手を1日もはやく、とみな願います。
この戦争に大義があったか?などと考えるより、
知恵ある人が最善の方法を探し出して支援の方向を指し示してほしいと切に願っています。

J.S.Fの活動
J.S.foundationも心あるみなさんに支えられて4年余になりますが、その間たくさんの天災、
人災のニュースに胸をいためながらも少しづつ根を張れたような気がします。
新しい試みとして11月2日国際フォーラムの浜田さんのイベント会場の募金活動に
日本HCR協会の中村さんにお手伝いを願いしました。
2004年から継続的に支援を決めたUNHCRブータンCampにつかうお金は
どのような形で支援を受けているか実体を肌で感じて欲しかったのです。
中村さんから「こんなにたくさんの方達に支援をされているJ.Sさんとプロジェクト立ち上げるのは嬉しい、
大切にお金を使うように現場に伝えます」とコメントを頂きました。
そして、11月13日札幌、21日仙台で募金に御協力頂き有難うございました。総額で83,180円でした。
又、10月15日に日本HCR協会に¥3,000,000-ブータン難民の教育プロジェクトの一部として寄付させて頂きました。
個人的に札幌のイベント会場は楽しかったです。この日は一人の為呼び掛けも恥ずかしく、
うまく声をかけられず手持ちぶたさだったのですが、とても可愛いシーンを目撃しおもわず笑ってしまいました。
ソファーにボーッと座っていた私の前に何故か5才ぐらいの男の子が1人で現れて遊んでいました。
どうも親は会場内らしく、気にかけている私にその男の子はなんとかなりの数の曲を
浜田さんの歌声に合わせて大きな声でうたったり踊ったり。かなりのものでした。
しかもときどき私に感想まで求めるのです。もちろん私はピースサインと暖かい飲み物プレゼント。
可愛かったなあー、あの浜田さんの最年少ファン...............
'03.11.05 UPDATE
紅葉の美しい季節になりましたが、みなさんの街はいかがですか?
四季折々それぞれにこころが弾みます。
春のさくらの時期や紅葉の時期は
以前テレビから盛んに流れたJR東海の「そうだ、京都へ行こう!!」のキャッチコピーが頭の中でぐるぐる状態です。

J.S.Foundationは11月1、2日有楽町国際フォーラムの
浜田さんの「F.Cスぺシャルイベント」の会場にて募金活動を行ないました。
沢山のみなさんからの暖かな励ましや労いの言葉とともに332,315円もの募金を頂戴しました。
今の日本の重苦しい状況の中にも関わらずこんなにも多くの方に支援されているJ.S.Fは本当に幸せな団体だな!!
と実感するとともに責任の重さを痛感いたしました。
改めてありがとうございました、みなさまの御好意は責任をもって被災者に真直ぐ届けます。
J.S.FはAMDAのネパール子供病院を継続的にサポ-トしていますが、5年経った今、
おかげさまで現地の自治体の力ですこしづつ運営が軌道にのりはじめたようすです。
おもえば皆様の御協力でこの病院の産科を開設にあたりさまざまな器具を提供させていただき、
それらが現地の妊婦のかたのお役にたてているのは嬉しい限りです。
また、AMDAから現地に派遣されて御活躍された医師や看護婦さん達に感謝いたします。
日本のシステムはまだ遅れていて長いボランティアに赴くには勤務先の病院を辞めなければ行けないらしいのです。

私達は今新しいプロジェクトを立ち上げる準備を進めております。
UNHCRジュネーブ本部の担当部署との調整が済みインドとネパールの国境に位置する
ブータン難民CAMP(名称JHAPA.CAMP)の子供達の教育に関するプログラムです。
詳しい内容は後日御報告いたします。

これからも浜田さんのイベント会場のどこかにコーナーをだしていますのでもし見かけたら立ち寄ってみてください。
可愛いカードのプレゼントを用意しています。
'03.09.10 UPDATE
今年は夏を満喫することもなく初秋を迎えてしまいました。
雨、雨、雨で東京ではいくつかの花火大会が中止になり残念でしたが
みなさまの街はいかがでしたか?そんな中、6万年振りに火星が地球に大接近。
我が家からも赤く大きな輝く火星が肉眼でもはっきり見え、
私の乏しい想像力をフル回転させ6万年前の地球の様子など思い描きながら楽しんでいます。

現実に目を転じると相変わらず重苦しいnewsが氾濫しています。
大阪池田小学校事件の判決、バクダッド国連事務所の爆破など恐ろしい出来事は止むことはありません。
N.Y.国連本部前の追悼式の映像と、一昨年9月11日におきた同時多発テロの追悼式の映像が
オーバーラップして時が止まっていたのか、と錯角するようでした。
池田小学校の天使のような子供達の奪われたいのちは犯人がたとえ死刑になったとしても、
その日を最後に可愛い姿を抱きしめてもらうこともなく、
親しい人達と悲しい想い出のなかでしか生きて行かなければならないのです。

見ず知らずの人にいのちを奪われ、
大切なひとに別れの言葉も伝えることなく逝かなければならなかった人が私の身近にもいました。

彼女はフランス人でしたが日本が大好きなお転婆な女の子でした。
大学の頃から難民救済のボランティアに携わり、卒業するとUNHCRの組織に属し
グァテマラ、ユーゴスラビア、ブータンと様々な国を元気にとびまわり
「知性より体力、体力、今日も元気だ御飯がうまい」などと妙なキャッチフレーズを書いた手紙が届いたものでした。
母親のようなで気分で「そんな場所危なくないの?」などと書いて出すと
「この仕事に誇りがあるし、このCampの人達は帰る場所もないのに悲しいこと書いてこないで」などと反対に叱られました。
95年2月4日、可愛いお転婆な女の子はいなくなってしまいました。彼女が29才になったばかりの冬です。

最後に声を聞いたのは1995年1月17日、「阪神大地震」のNEWSをみて心配して電話を掛けてきた時でした。
『人の定めは生まれた時から決まっている』という言葉を聞いた事もあります。
しかし、ある日突然届く無惨な訃報ほど関係者を絶望に追い込むものはないのではないか、と思います。

『何か手伝いをすれば、彼女も喜ぶよ。』と浜田さん。
彼女の志しをついで、99年2月J.S.Foundationが立ちあがりました。

それからは皆様の暖かいご支援を頂き沢山の、例えばネパールの子供達のような新しい出会いがありました。
支援先についても"AMDA"、"UNHCR"、"国境なき医師団"など
難民関係や医療関係団体と協力しているのも彼女との出会いがあった為です。

最後に、活動報告を致します。
"国境なき医師団"の要請をうけ8月19日、リベリアのマラリアに苦しむ人々の医薬品購入費の一部として
100万円の寄付をさせていただきました。
アフリカにあるこの国は長年にわたる内戦により沢山の難民の流出、流入により
混乱が治まる事はなく5年以上まえからマラリアが猛威をふるっているそうです。

先月、私の手元に届いたニュースレターにはリベリアの惨状が載っており、
見出しには「ここはまさに地獄だ。水も食糧も薬も、何もない」と書いてあります。
私たちに何ができるでしょうか?
'03.06.19 UPDATE
イラク戦争も短期間で終わりました。
是々否々はともかく、一日も早く穏やかな市民生活が送れる事を願うばかりです。
果たしてこの戦争に大義はあったのでしょうか?

「戦争は平和時に準備される」と昔から言われています。今の日本はどうも
「どうすれば戦争に参加できるか?」とさかんに思案投げ首と言う状態に思えるのは私だけでしょうか。

イラクの大量破壊兵器が未だに見つけだせないこの状況を、この戦争にいち早く賛同した国の責任として、
正しい検証を進め私達に報告して欲しいと思います。


4月25日に渋谷にある国連大学で
UNHCR主催のアフガン難民キャンプにてフィールドワークをしている方々の報告会があり、出席してきました。
「様々なボランティア組織の応援があればこそ私達は現地で活動出来ます」と挨拶されていましたが、
マイナス40度という砂漠や荒れ地のような過酷な現地に赴いて現場活動して下さる若い方々とお話ができました。
多分、私のいじわる心からですが
「こんなにも人災が続くと嫌になりませんか?変な言い方すれば天災の方がまだ納得しやすい」というと、
彼女は二ッコリして「どんな現場でも避難民の隣にいて共に励ましあいたいし、
自分達を必要とする人がいるならどこまでも行きたい」と。
J.S.Fの代表としては軽はずみなことをいったなと後悔しつつも、
いつになれば人災が少なくなるだろうとも感じているのも事実です。

会の最後にイランの監督の映画『少女の髪飾り』が上映され、
イラン国境にあるアフガン難民の生活が描かれていて、興味深い映画でした。

photo photo photo
U.N.H.C.RAMDAAMDA

J.S.Fの活動としまして、
4月2日付で、継続してサポートしているAMDAのネパール疎村の保険教育(フェイズ)に15年度分として¥434,000-を支出。
又、5月17日スリランカ南部で起きた大洪水に対してAMDAより緊急支援の要請を受け、
救援物資の一部として¥665,219-を使わせて頂きました。
この金額は、医薬品、ウォーターポンプ、ワクチン保存用クーラー等の購入費に当てて頂きました。

先日、フジテレビの『世界がもし100人の村だったら』というドキュメンタリーを娘と観ました。
アフリカの少年兵、ロシアのストリートチルドレン、インドの絨毯織りの労働力となり
学校にも行けない幼い姉妹等の日々が写し出され改めて貧困の歪みが弱者へいく現実に、
番組を見終わった後も重苦しくなりました。

UNHCRからアフガン帰還難民住宅プロジェクトの様子、
AMDAからはネパール子供病院の子供の病室が明るくなった様子の写真が届きましたので皆様に御紹介致します。

最後に浜田さんがコンサートをお休みしているのにも関わらず、大勢の方の変わらないご支援深く感謝いたします。
'03.04.07 UPDATE
満開の桜の花で各地が、なんとなく幸せな、華やいだ雰囲気になっています。
桜の木のしたで家族連れが、楽しそうにお弁当など広げながら.........というのに、
J.S.Fには沢山の方から「イラクの子供達が心配です。なにかできることはないか?」
「反戦集会に参加しています。でもなにも変わらないので虚しいです。」等のメールが届きます。
私も何ケ所かの集会に参加していますが、貴方と同じような無力感は当然ありますが、
日本の首相が、様々な兼ね合いがあるにせよ『国益』と言う名のもとにアメリカを支持し、
罪のない人々が虐殺されつつある現実に、目をつぶって欲しい、と私達にか細く囁きますが、
しかし、それが自分の意に反するなら、自分に合う方法で、反対運動をするしかありません。
「NO WAR」とかかれているバッチを胸につけている人もたくさん見かけました。

「国益」とは一体何なのか?と考えこんでしまいます。
フセイン体制に沢山の批難が集まっているのは周知の事実であり、許されるものではありません。
しかし侵攻する国々の兵士や、侵略される国の人達のたくさんの生命を犠牲にしてまで守らなければならない
日本の『国益』とは..........
Technorogyの進歩で凄まじい進化を遂げる戦争兵器類、
その進化に人間の英知や抑制力が追い付かないのが悲劇なのでしょうか。
「衝撃と恐怖」作戦とは、アメリカもよくもこんな恐いネーミングをつけたものです。
圧倒的な軍事力の前に逃げ場さえ失ってしまう市民の恐怖は計り知れません。
他でもなく恐怖を味わうのはイラク政権の中枢にある人達ではなく、なんの落度もなく暮らす市民です。
どんな戦争にも正義など存在しないことを誰でも知っているのに、
幾世代にも渡り、繰り返し、繰り返される愚かさに、その時代の権力の座にいる人達はいつ頃気がつくのでしょうか?

今は、1日も早くこの戦争が終結し、被災した人達の元に、国際的な人道援助の手が差し伸べられることを願うばかりです。
J.S.Fにも何件かのNGOから協力の依頼がきていますがアフガンの人達のこともあり難しいところです…。

たくさんのメールを送ってくださった方への、これが返信です。
ありがとうございました。
'03.03.07 UPDATE
昨年末、私の不注意により足を骨折してしまい、
計画していたアフガン難民キャンプへの手伝いに行く事が出来なくなってしまいました。
我々の受け入れに協力して下さったAMDAのスタッフにも色々御心配を掛け、本当に申し訳なく思っております。

先日パキスタン国境にあるラティファバード難民キャンプのAMDAスタッフから、
『情報はあまり入ってこないけれど、イラク情勢が毎日気掛かりです。』というメールが届きました。
各国の被災現場で、一日もはやく穏やかな時間が訪れる事を願いながら現地で汗をかいて働いている彼等、彼女達は、
2ヶ月後には、イラクが大きな戦場になり、計り知れない被害を受ける被災者の元に医薬品を抱えて駆け付けるのだろうか?と
暗澹たる気持ちになりながも「アメリカも政策を変えてくれると良いのに」と返信するしか方法がありませんでした。
世界中の反戦運動の様子がTVで流れていますが、
この市民運動が時の権力の座にいる人たちの心に届けばいいのにと願っています。

一方、ネパールの子供病院からは一足早く春がきたような、5000人目の赤ちゃん誕生という、嬉しいニュースが届きました。
更に私達が病院を訪れた際、子供の病室の壁やカーテンがいかにも寒々しく見え、是非J.S.F負担で壁に可愛い絵を描いたり、
子供達の気持ちが明るくなるようなプリント柄のカーテンにしたい、と依頼をしていたことが、
やっと実現することになり、大変うれしく思っています。

活動報告としまして、去年の12月18日、UNHCRへ¥1,000,000を寄付させて頂きました。
これは、アフガン帰還難民の家を建てるキャンペーンに協力という形で、1軒(¥100,000)×10軒分です。
また、今年の1月21日、神戸市長田区で「阪神淡路大震災」直後から外国籍の人々の為に
多国語放送を続けている『FMわいわい』へ、運営費の一部として¥500,000を寄付させて頂いたことをご報告いたします。
'03.02.07 UPDATE
1月17日付の新聞各紙には、95年に6433名もの犠牲者が出た『阪神・淡路大震災』の記事が多数載っており、
その中に神戸市長田区に震災直後から開局したミニFM局"FMわいわい"を取り上げた記事を見つけました。
神戸市には数多くの外国籍の人々が暮らしており、
その中でもとりわけ長田区は、28カ国もの色々な国籍の人々が生活しています。
震災当時、そういった数多くの外国籍の人々は緊急時に言葉が通じず、必要不可欠な情報を得る事ができない為、
とても不安で心細い思いをしていました。
そんな状況下、ボランティアの人達が集まり多国語放送のミニFM局"FMわいわい"の放送を始めたそうです。

なぜ、この記事が目に止まったのかというと、こんな体験があったからでした。

95年1月16日、出張先のLos Angelsで何気なくCNNニュースを見ていました。
画面に突然、無惨にひしゃげた高速道路や、大火災の火柱や、黒煙が写しだされました。
始めは89年にSan Franciscoで起きた地震の映像かと見ていたのですが、画面上に"Live(生中継)"とあり、
それが関西方面で起きている災害現場だと認識するのに少しの時間が必要でした。
そしてもっと情報が欲しいと色々なチャンネルを探したのは当然の事ですが、日本語の局はありませんでした。
こんな時、自分にとって必要な言語で適切な情報が得れたらと思ったものでした。
こんな経験があり、震災直後に開設されたというFM局はどんなに、その地域に住まわれている外国人に、
安心と心強さを与えたかと想像するのは容易なことです。

現在この"FMわいわい"は、総勢150人のボランティアスタッフによって支えられ、運営されていますが、
運営費不足に悩まされているという事です。
そこでJ.S.Fは、地域に密着した多国語放送局が、永続的かつ安定的に放送を続けていって欲しい願いを込めて、
1月17日に、運営資金として50万円を協力させて頂きました。
浜田さんは、"我が心のマリア"というCDを作り、収益金の全てを『阪神・淡路大震災』の復興の為に寄付されましたが
、この団体の方から後日連絡を頂き浜田さんのこの曲に"心が癒される"というコメントとともにリクエストが多いそうです。
私にはこの曲は聴くたび哀しみが深くなるレクイエムですが、
音楽は聴く人それぞれが自分の心象風景を重ね合わせる事ができるのだなと実感。
J.S.Foundationも早いもので、今年で4年を迎える事ができました。
その間、皆様方の暖かい支援に支えられ、天災や人災で傷つき助けを必要としている人々へむけて、
各地のNGO団体のスタッフとともに、活動を続ける事が出来ています。
連日イラク報道に落ち着かなく、政治や社会を覆う閉息感、そんな状況の中にもかかわらず、
変わらず暖かいご支援をして下さる皆様に、心より感謝申し上げます。