J.S.FOUNDATION

活動報告

'00.10.27 UPDATE
すっかり秋も深まり、日本の北部では雪の便りも届くような季節になりました。
先日、浜田省吾のツアー"ON THE ROAD 2001 THE MONOCHROME RAINBOW"のホールツアーが無事終了しました。
このツアーに参加された方々やスタッフの皆様どうもありがとうございました。
現在は来年のアリーナツアーの構想やニューアルバムの制作やらで本人も忙しい日々を送っております。
さてJS基金ですが、ここまでさまざまな方々に支援され、この基金ならではの有意義な活動が出来ていると感じます。
このようにツアーがなく本人が表立って活動していない時そして不景気な世の中でも、
皆さんのお心遣いのおかげで寄付金の方も途絶えることなく続けられている事に本当に感謝しております。
僕自身、どちらかと言えばこのようなチャリティ活動という言葉や活動には縁のない人間だと感じていました。
ただ時には何か人に役立てられたらと思ったりしていましたが…なかなか実行には移せないというのも事実です。
そんな中、僕も少なからずJS基金に携わっているスタッフの一員として、JS基金に賛同している1人として、
少しでもと時にはJS基金シャツを買ったりと参加したりしています。
そしてこのように世知辛い世の中、佐藤佐江子さんは毎日仕事等で忙しい日々を送られていらっしゃるにもかかわらず、
そしてプライベートな時間も惜しまず、この活動に情熱をそそいでがんばっている姿や言葉を見たり聞いたりしていると、
僕自身にとってもすごく励みになったりする事があります。このJS基金は佐藤さんがずっとがんばって頂けたら、
この先もっともっと続いていく基金だと思っています。
今後も浜田省吾本人共々、この基金に支援していけるよう努力していきますので、
是非皆さんも今後ともよろしくお願いいたします。
改めて、今まで支援していただいた方々本当にどうもありがとうございました。

ちなみに佐藤さんはバイク事故の為3ヶ月の療養が必要のようです。
電話で話す限りでは体以外は元気で冗談も言える位になっていらっしゃいました。
ということで今回は僕が代わりに挨拶させていただきました。早く復帰していただけることを願っています。
'00.07.14 UPDATE
4月から7月まで、JS基金の活動は3件となりました。
4月末、北海道有珠山噴火により、避難された方々のペットを救済するために全国獣医師会が、
善意で開設した「有珠山動物救援センター」に医薬品及並びエサ代として10万円を寄付。

6月には地方の方から「新聞でAMDAの記事を読みました。
実はミャンマーで飲み水に関するプロジェクトを探し出したいのですが、その方法を手伝って欲しい」との依頼があり、
『ミャンマー・プライスリー・ヘルスケアセンター』というプロジェクトに浄水器の設置の一部として使っていただくよう
JS基金は橋渡しを致しました。その後その方から「紹介していただいてどうもありがとうございました。
生きるための最低条件は飲み水だと思います、そしてこれは兄の遺志でもありました。」とお礼状をいただきました。

そして6月中旬には、貧しくてネパール子供病院へ行くこともできない子供達のために、
AMDAに別のプロジェクトを作っていただきました。
「JS基金で、子供達の診療費を支払う」、というプロジェクトで、
年間80万円となりますが、1回目として40万円を寄付しました。
病院があり、医師がそこにいても、お金がないため病院に行くことができない環境を思い浮かべる時、
私も現地へ一度、行かなければと強い思いがします。

毎日、耳に飛び込んでくる信じられないようなニュースの数々、そしてモラルハザードという言葉を、
また、何度となく見たり、聞いたり。経済的な豊かさと貧しさ、心の貧しさと豊かさ………
いつからか知らないけれど、何か、どこか違った方向へひたすら歩み続けていく、不安感いっぱいのこの国。
それでも、決して、あきらめたり、見限ったりはしたくない。
すべてのこどもたちの未来は、明るくあるべきだと信じていたいから。
'00.04.10 UPDATE
モザンビークで発生した大洪水に対し、J.S.基金はAMDAへ緊急救援として医薬品購入の為に50万円を、
3月15日に寄付した事を報告致します。
2000年の1月から続いているこの災害では、被災者が数十万人にも及んでいます。
日本からは遠くに位置する地ではありますが、ブラウン管を通して見る現地の状況から受けた悲しみに、
AMDAを通してみなさまと一緒に協力できる事にとても感謝しています。
J.S.基金が設立され、早1年が経ちました。この基金で、みなさまと活動し始めて、
自分達の置かれている日本という国をあらためて見つめ直す機会が増えました。
いま、ここから見えるサクラはとてもきれいです。
'00.03.09 UPDATE
1999年11月、J.S基金がAMDA(アジア医師連絡協議会:所在地 岡山)を通して支援している、
ネパールこども病院(Shiddartha Woman-Children's Hospital AMDA病院:所在地 butwal,Lumbini,Nepal)への
今後の支援方向を考える必要が生じ、スタッフを現地に派遣する事を決めた。

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ネパールこども病院での滞在報告
('99 11/12〜12/08)
11/12、東京発バンコク経由カトマンズへ、カトマンズよりネパールこども病院のある町、ブトワ−ルへ、
Pokharel院長先生と面談、外部ボランティアとして、病院内立ち入りの許可を得ました。

何かできる事でお手伝いしたいと言っても医療に関しての免許や資格のない自分が、どのように関わっていけるのか、
解りませんでしたが、現地へ行ったからにはできるだけ多くの時間を、病院関係者と一緒に過ごす事が大切と考え、
日本から来ているボランティアの先生方や現地の先生方にいろいろ助けて頂き、多くの事を見、又感じてきました。
病院は、日本からの多くの支援によって、立派な建物の元に活動していて、
こんなにも大きな支援が届いている事に、私は勇気づけられました。しかし、時間を一緒に過ごすにつれ、
単に机上の報告や計算では解らない事柄において支援を必要としていることに気付きました。

例えば、私が通院している間にも、数人の新生児が亡くなりました。
これは、単に病院の施設を良くすれば、と言ったような単純な事柄でなく、
出産に対してのエデュケーション(教育)の低さがもたらしたものです。また、こんなことがありました。
他の病院で出産後、新生児に対しての初歩の検査がされず、異変に気付いた両親が、その病院に駆け込んだそうです。
しかしその病院では、新生児に対しての知識がなく、また、手術費用が足りなかった為、
その両親は、日本の病院と言う事で助けてほしいと駆け込んできました。緊急手術を行ったのですが、
残念ながら数日の延命措置でしかありませんでした。

よい事もありました。「ミッション」と呼ばれる無料訪問診療に参加させて頂きました。
僻地や貧しい村では、満足な医療を受けられる病院や、その機会さえ持てない村がある事を知りました。
ネパールこども病院の現地の先生や看護婦、薬剤師、そして日本からの先生方で小さな村へ行きました。
まだ、2回目と言う事で多くの宿題を見つけましたが、日本人だけでなく、現地の先生方にも、
これだけ「ボランティア」と言うものが浸透している事に驚き、また、嬉しく思いました。

ネパールこども病院は、まだ一年生です。
いろいろ望めばきりはないですし、日本のやり方からすると、焦れったいところもあるのは確かです。
でも、みんながより良い医療を提供し、新生児をはじめとする子供達が健康に生活していかれるよう努力して行く事に、
少しでも関わっていければ、こんなにうれしい事はありません。
寄付だけでなく、私達自身が学ばせて貰うというも事含めて、医師の立場ではない方向からも、
もっと多くのサポートの形があるはずだと模索しております。
'00.01.21 UPDATE
私達はいつの時代も新しい未知なるものに、「限り無い」希望をかけてきました。
2000年はどんな21世紀を迎えるのかの、大切な準備期間。このJ.S.Foundationで集まった皆さんとの希望が、
形に見えて叶うようにしたいと思います。
新年を迎え、西暦が2000年代に変わっても、世界中では災害が氾濫しています。
地震、紛争、宗教対立、洪水。いつ私達が被災者になってもおかしく無いと考えてしまう程です。
年末から年始にかけ、洪水の被害がインド、そしてベネズエラと続いて発生しました。
この被害に対しての緊急救援の希望をAMDAへ申し入れましたが、洪水という災害に対しての救援準備には、
予想よりも遥かに日数がかかり、J.S.Foundationで定義した範囲を越えてしまいました。
この被害に対して、J.S.Foundationは、事実、何も動く事が出来ませんでした。
皆さんから預かっている「善意」を有効に使えなかった事と、それを現地へ届けられなかった事は、心が痛みます。
今後、このような事が起こらずに、きちんとした連携が必ず出来る様にして行こうと、話し合っています。
災害は、いつも突然やって来ます。そこには、人種や年令を越えた被災者が出ます。
判断の難しい戦争や紛争地域にも、医療や援助を求めている人達が居ます。
いろいろな「しがらみ」や「固定観念」を削ぎ落とし、私達の善意が子供達や被災者に届く様、これからも歩いて行きます。
遅くなりましたが、皆さんにとって、良い1年でありますように。