J.S.FOUNDATION

活動報告

2012.03.21 UP

3月11日から東北に行ってきました。
今回は岩手県宮古市にある保育園、幼稚園に皆さまからお預かりした絵本を届けるためです。
早朝から絵本の整理をしていたのですが、300冊欲しいという保育園があったりでこの日は全体数900冊の整理。
ベースキャンプの納屋の2階で絵本を保管しているため、狭い階段を何往復したのか?さすがに腰がアイタタタ状態。
仙台の荒浜地区では立正大学の僧侶が津波で命を失った方々を悼み、海岸線をひたすら歩き読経をささげておりました。
私も黙祷をしたのですが自然に胸の奥から熱い感情がこみあげてきました。

悲しい話をうかがうたびに「明日を明日を積み重ねていってください」と言います。
明日が積み重なればその先は未来しかないからです。

12日は雪がひどく通行止めにならないことを願いつつ、宮古市に向けて車を走らす。
途中で白鳥が雪の中、隊列を組んで空をゆく光景を目にする。
運転する佐藤君に「これって私たちへのご褒美だね」と言いながら嬉しくなりしばらく雪景色を楽しむ。
今回は私の目にとまった張り紙を写してみました。
この日は小山田保育所、佐原保育所、磯鶏保育所、常安寺保育園、宮古保育園、いずみ保育園、いずみ幼稚園の7か所に絵本を届けることができました。

保育園では熱いコーヒーをいただきながら、園長先生といろいろ話をさせていただいた。
最後に「田老地区の保育園にも是非行って欲しい」とお願いされたので行かなければと考えています。

13日から15日まで有森裕子さんが率いるNPO「ハート・オブ・ゴールド」が東松島、石巻にスタディツアーで来るというので合流させてもらう。
この団体の事務局長は私の師匠でもあり、1992年から3年半に及んだボスニア・ヘルツェゴビナ内戦の時期にお目にかかり、以後いろいろ相談にのっていただいていました。
皆さん憶えていらっしゃいますか?サラエボの悲惨な時期を。
有森さんの団体は日本警察消防スポーツ連盟と協力し震災後すぐに現地で活動され、J.S.Foundationも飲料水や物資搬送にお世話になりました。
このスタディツアーに参加して、この方たちにお世話になったのだと改めて感謝。
なんたってレスキュー隊のメンバー、頼もしいかぎりでした。
東松島市立野蒜小学校は津波で流されて今は仮設。
校庭で有森さんがこども達と「ドロケイ」やいろいろな遊びを歓声あげながら楽しむ。
寒い中、半袖短パン。みんな元気に駆け回り身体から湯気がたっていた。
J.S.Foundationもこの学校に台車の支援をしており、校長先生から「校舎の引越しや給食を運ぶのに本当に役立っています」と感謝されました。

14日は石巻消防本部に伺い、署長に震災当時の状況や救助活動の困難さの話を聞きました。
地震、津波、火災の複合災害時の救助活動の難しさを語り、部下のなかにも亡くなられた方が数多くいて、また隊員の家も津波に流され避難所に家族が避難している状況。
あるレスキュー隊員は10日目に避難所で家族に会えたと話してくれました。
その後、在校生108名のうち70名が死亡、4名が行方不明となった大川小学校に献花に向かう。
辺り一面すべて津波で流され、なにもない場所に大川小学校の無惨な姿があった。見ると学校の後ろは山である。
一瞬の判断、難しいのだろう。しかし人命を預かる職務に携わる人の判断が間違うと取り返しのつかないことになる。
その後、蛇田小学校でバンクーバーのガーデナーズ協会の人たちと桜の木の苗木植樹と花壇の作成。
この1年、人命救助に携わる人たちは自分の本分を精一杯やっていたのだと頭がさがる。
まだまだ行方不明者を探し、地域の復興に力を尽くし・・・。
この若者たちが日本の未来を支えてくれれば希望がある国になる確信がもてる。

最後はNPO「ジャパンハート」の石巻診療所に行く。
仮設とはいえ正面いっぱいにボランティアの人たちが描いた可愛い絵にこころがなごむ。
この診療所は緊急支援後もこの地に留まり、土曜日曜の地域の診療所がお休みの時に病人の診療をしている。
偶然なのか、この日あちらこちらを案内してくれたレスキュー隊員がジャパンハートの看護士さんにお礼をいっている。
聞くとお嬢さんが日曜に発熱し、この診療所に診てもらえ助かったとの事。
みんな繋がっている。

J.S.Foundation代表 佐藤 佐江子

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