J.S.FOUNDATION

活動報告

2011.08.31 UP

こんにちは。
夏休みはいかがでしたか?

報告が遅くなりましたが、2009年よりサポートをしている特定非営利活動法人ジャパンハートからミャンマー子ども医療サポートの2010年度の報告書と吉岡医師からJ.S.Foundationをサポートしてくださる皆様にメッセージが届きました。

そして、2011年度予算として8月2日付けで2,500,000円の支援を実行させていただきました。
この支援金は2010年度末の繰越金11,917,679円の中から拠出しました。

J.S.Foundationは、この3月以降の皆様からの寄付金はすべて東日本大震災の被災地、被災者の為に遣われますが、3月以前の寄付金は世界で困難な環境にある子ども達に遣わせて欲しいと願っています。

今年も多くの子どもたちが病院に治療を求めて来てくれた。
本当に遠くからきてくれている子どももいる。ありがたいことだといつも思う。
1995年、ミャンマーで医療活動を始めた頃、今から見るとなおさらだが私の医療技術はひどいものだった。
それでも多くの人々が私に治療を求めやってきてくれた。
治せない病も多かったが、それでも一様に感謝してくれた。
私は、幸せだった。そして、いつも申し訳ないと思っていた。
多くの子どもたちの死を、見送らねばならなかった。
もっとレベルの高い医師たちが日本にはたくさんいて、彼らならばこの人たちを救えるのに、といつも自分のふがいなさを責めた。
日本に帰り、子どもを本格的に救うための技術の習得を目指し、専門を子ども専用の外科、すなわち小児外科に絞って、勉強し、再びミャンマーへ向かった。

あの当時、救えなかった多くのいのちや人生を少しは救えるようになった。どこまで行っても、限界がある。
救えるようになればなるほどに、さらに重い患者たちが私の元にはくるようになった。
あの当時と、何が変わったというのだろうか?
世間は私のことをどのように見ているかは知らないが、やっぱり私は、力足らずの医者なのだ。
子どもたちが重症なると、いつもこころは右往左往する。
20年以上も医者をやっていても、この様である。
全く頼りない。

そして、今もこころで呟くのはあの当時の言葉と同じなのだ。
もう少し私に技術と能力があれば、この子たちや家族をもっと救ってあげることができるのに。

だけど、あの当時と今と少しだけ変わったことがある。

多くの仲間ができたこと。
力足らずの私を助けてくれる多くの仲間ができたことだ。

日本からやってきてくれた医師・多くの看護師・ボランティア。
頼りになる現地のスタッフ・成長したミャンマー人看護師たち。
日本で見守ってくれる仲間たち、そしてJ.S.Foundation。

この仲間に支えられ今日の私は何とか立っている。

現地の患者たちには申し訳ないとこころの中で手を合わせ、日本や現地の仲間にはありがとうとこころの中でいつも手を合わせている。

多くの人々の合力で集まったものには、力が宿る。
その力も借りて私は今も子どもたちを治療する。

今年も1000件以上の手術をする。
千個の人生が変わるとき、数千個の笑顔が生まれる。

▶︎J.S.Foundation「ミャンマー子ども医療支援プロジェクト」2010年度 完了報告書

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