J.S.FOUNDATION

活動報告

2011.04.15 UP

こんにちは、J.S.Foundation事務局の佐藤抄です。

4/1~約1週間、協力させて頂いているジャパンハートの仙台市内の事務所へお手伝いに行きました。
内容は東京本部から来られる医師・看護師・一般ボランティアさんの被災地への移動車アレンジなど。
具体的にはJHは派遣者の為に連日東京-仙台間ピストンの車両(ドライバーさんもボランティアさんです)を出していますので、
どの車で、何名がどこに移動するのかという確認が毎日必要です。
東京本部と連携しての業務では有りますが、刻々と変わる被災地の状況に対応する為、仙台オフィスが中継地として機能しています。
早朝から深夜まで事務所で各方面調整に追われるジャパンハートスタッフ、また4月一杯学校がお休みになった為、お手伝いされている現地の大学生ボランティアさん、本当にお疲れ様です。

医療者を派遣する受け入れ条件が厳しい他の団体は沢山有りますが、ジャパンハートは力になりたい、という志しを持つ人を受け入れ、出来るだけ時間をかけず現地へ派遣し、現場で起こるトラブルやそれぞれに対するフォローを行い、被災者の力になってもらう。そして無事に戻ってもらうという事。
人の善意が根本にあるシンプルな作業のように見えますが、派遣される方の個々の事情や派遣する被災地の状況に合わせ、滞在期間も違う(最短では2日間など)人たちの事前の調整や車のアレンジは、思っている以上に大変でした。
主に海外で活動している団体にとっての前例のない事態では…

そんな多忙の日々の中何より彼らは常に「思い」に動かされているように感じました。
もちろんそれは代表である吉岡先生の思いから芽を伸ばした各々の思い。
そこが根底でシェア出来ている仲間達がいれば、それがミャンマーであろうと日本国内であろうと、きっとあらゆる事は実現に向かうのでしょう。
私も短い間でしたが沢山の事を学ばせて頂きました。

ここから被災地のJH診療所を訪れたご報告をさせて頂きます。
最新の活動内容はJHのWebサイトに詳しいですが..
http://www.japanheart.org/

私は現在JHが医療活動を行っている
・南三陸町 戸倉 青年の家
・石巻市 大須小学校
・気仙沼市 // 本吉町 清涼院
・石巻市 渡波 診療所
の4箇所を訪れました。

まず、初めて車窓から被災地を目にした時の感想。
悪夢を観ているかのような景色でした。
それでも私が入ったのは3.11から約1ヶ月が過ぎようとしている被災地です。
まだ現実で起きている事だと頭が処理出来ません。

※戸倉地区
※戸倉地区
※気仙沼地区

そして最初の避難所についた私は、人々が生活する様子を目にします。
今までテレビの向こう側で見ていた方と挨拶を交わします。炊き出しの準備に混ざります。
一気に現実だと頭が認識しました。
避難所のJH診療所で看護師さんが優しく声を掛け、忙しく動き、そして診療所を訪れ、後にする方は穏やかな顔をしている(ように見えた。)
慣れない新しい暮らし、それでも寄り添う人がそこに居てくれる事。

・気仙沼市 // 本吉町 清涼院
・大須小学校 診療所待ち合い室 風景
・石巻市 渡波 診療所
・石巻市 渡波 診療所

これから医療が更に必要とされていく中、
JHは長期的に不足するであろう医療者の派遣を続けるべく、準備を進めています。

そして私が渡波を訪れた時の事。
診療所におばあさんがお孫さん(女の子)を連れてやってきました。
おばあさんが診察を受けている間、女の子は静かに絵本を読んでいます。
私が一緒に読もうと試しに隣に座ってみると、絵本を持った姿勢のままくるりと四十度くらい向こうを向いてしまいます。
何度やっても同じ風に。
待っていた他の診察待ちの方も笑ってその光景を見ていました。

診察を終えたおばあさんが、帰ろうとしている所に居合わせた私が(お孫さん)おいくつですか?と聞いた所、最後に本人からはにかんだ笑顔で「4歳」と答えてもらい、これは嬉しかった。

でもその後、おばあさんからこんな話を聞きました。
私はこの子にとても酷い事をしてしまった。
自宅でこの子と2人で留守番をしている時、津波が来て、私達は逃げ遅れて、何も持てず、やっとの思いで車の上に飛び乗るのが精一杯だった。
幸い車が固定されて流される事は免れたが、車の上でこの子と一晩を過ごした。
車の上にいる間、沢山のものが流れ、その中でこの子のとても大事な宝物が入ったリュックが流されるのを見て、この子はとてもショックを受けて、それからずっと私の事を責め続けていた。
そんな光景を見せてしまった私は本当に酷い事をした、と。
この後、このショックがこの子の精神的なものにどのように影響していくのか、凄く心配していますと。

私はその時、ただ聞く事しか出来ませんでした。
家族を失った人、生き残った人、全ての人が心に深い傷を抱えているのだと。

J.S.Foundationは、3月19日に吉岡先生にお会いした際、子どものメンタルケアについて支援が出来ませんかと相談しました。
「最大限努力します」という言葉をいただき、被災地にその拠点を考慮してもらっています。
私が滞在していた時にも、小児科医の先生が子どものメンタルケアに関してのリサーチの為、おもちゃや本を持参して現地入りされていて、各所を回っていました。
小児科や精神療法の専門家に伺うと、子ども達が受けたトラウマは意識の奥に沈み込み、2年後ころから顕著に現れるということです。
J.S.Foundationはこのメンタルケアの活動にも全力でサポートしていくつもりでいます。

J.S.Foundation事務局

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