- 2010.03.03 UP
-
2010年2月25日。
東京は今日、春一番かな?
仕事場の玄関先の梅の花が散り始め、そろそろ庭に野菜でも植えようと花屋さんへ。
色とりどりのお花に見とれ、仕事をサボって出て来ていることをしばし忘れていました。お花といえば、私のなかではカトマンズの街路樹で火焔樹という植物が印象に残ります。
その名の通り、高い木の先端に火炎のように真っ赤な五弁花が無数に花開くのです。
緑の葉とのコントラストは見事です。遅くなりましたが、ジャパンハートが運営するミャンマー・サガインにある病院の報告です。
目的地であるワッチェ病院はミャンマー中部のサガインという場所に建っています。
日本からの直行便はもちろんありません。
今回は成田(日本)→バンコク(タイ)→ヤンゴン(ミャンマー)→マンダレー(ミャンマー)という経路で向かいました。
当日中に到着することは出来ないので、ヤンゴンにて1泊。写真はヤンゴンにあるシュエダゴン・パゴダです。
ミャンマーでもっとも有名なパゴダ(仏塔)です。
仏教の教えを心の支えに暮らすアジアの国には、たくさんの仏塔があり、ラオスでみかけた早朝の托鉢に歩く僧侶への喜捨する姿に、人は共に生きるということを教えられました。翌日、ヤンゴンからマンダレーに向かい、その足でそのまま目的地のワッチェ病院を訪れました。
マンダレーの空港から悪路、車で1時間半くらいの場所にあるワッチェ病院は、エーヤワディー川沿いに建つとっても清潔な病院です。この日も多くの患者さんやその家族が待合室で順番を待っていました。私たちの到着を楽しみに待ってくれていた看護士の河野さんからJ.S.Foundationが支援している「こども基金」の成果についての説明受け、2010年度の予算についても検討をしました。
河野さんに案内され、院内を回りました。入院している子どもたちの明るい表情がとても印象的でした。
吉岡秀人先生とチャイを飲みながらいろいろ勉強しました。
その折、「日本の人たちの募金で支えられているので、なるべく多くの研修生を育て、日本の過疎地や離島に赴任させ恩返しをしたい」と言われたことにとても同感しました。すでに数人の看護士さんたちが地方の病院で活躍されているようです。お茶が終わり、早速手術に向かう先生。
この病院の人気者の男の子2人。
松葉杖の男の子は、手足にひどい火傷をおい、足も手も身体にくっ付いてしまい、母親は外に出すこと無く家の中で育てたため家の中を這って暮らしていました。
ジャパンハートの巡回診療の際、偶然彼を見付け、入院させ手術を数回重ね、写真でみるように元気で病院中を歩くまでに回復しました。食事は近くにある合宿所で当番制で自炊。
この日の昼食は、日本からの貴重なカレールウを使って、カレーと野菜のおかず。
本当においしくて思わず「お代わり!」
一緒にいたスタッフたちに叱られてしまいました。
「代表、食料が少ないんだから遠慮しなければ」と冷たい視線。
皆さん、すみませんでした。本当に美味しかったのでつい…。息つく暇もないくらいの忙しさのなかで、先生を含めたスタッフの皆さん全員が一致団結し一生懸命、命と向き合っています。
J.S. Foundation代表 佐藤 佐江子
P.S.
ミャンマーのサガイン・ワッチェ病院で働いている中田志織医師から、お手紙が届きましたので紹介させていただきます。J.S. Foundation様
いつも温かなご支援ありがとうございます。
こども基金によって、多くの子どもたちが笑顔になっていきました。
そのほんの一部の子どもたちを紹介させていただきます。ある日の午後、毛布を抱えた女性が疲れ果てた様子で私たちの外来を受診しました。
彼女を診察室に迎え入れると、席に座るなり毛布に視線を落としました。
初めは分からなかったのですが、その視線の先にある毛布の中には2kg程度の生気を失った小さな赤ちゃんが静かに眠っていました。
この赤ちゃんは、生まれつきお尻の穴がないためウンチを出すことができない「鎖肛」という病気です。
生まれてすぐに人工肛門を作らないと、お腹がどんどん膨らんで、ばい菌が体中に回って死んでしまいます。
私たちの病院に来た時は、生後10日経っていたため、お腹ははち切れそうな程に膨れ上がり、ぐったりしていて、かなり危険な状況でした。「生まれてすぐに近くの病院に行ったけれど、そこでは治療はできないと言われ、丸一日かけて、大きな病院に行きました。
でも、そこで手術するには、とても高額なお金が必要だと言われました。私たちにはそんなお金はなく、どうすることもできず途方に暮れていたところ、気の毒に思った現地の医師がジャパンハートのことを教えてくれました。
子どもの治療を無料で行っている日本人の医療チームがいるから、そこならなんとかしてくれるかもしれないと聞き、最後の希望をかけてここに来ました」と、赤ちゃんを産んですぐにいろんな病院を駆け回った母親は、ぐったりしながらそう話してくれました。
すぐに手術が必要なことを告げると同時に、入院費、治療費そして食費、交通費など必要なお金は全てこども基金で負担するから心配はしなくていいと伝えると、ぐったりしていた母親の瞳は輝きを取り戻し、安心しきったように笑顔をみせてくれました。
病院に来てから数時間後、お腹から腸まで穴を開けてウンチが出せるようにする緊急手術を行いました。
手術直後からウンチやガスが出せるようになった赤ちゃんのお腹はみるみる小さくなっていきました。
手術が無事成功したことを告げると、両親は肩の荷が下りたように脱力し、その日はそのまま、赤ちゃんの傍で深い眠りに落ちていきました。
数日後に、赤ちゃんはミルクを飲める程に回復していましたが、今度は疲労のたまった母親から母乳が出なくなるという問題が起きました。
ミャンマーでは母乳が出ないというのは大変なことです。
というのも、粉ミルクはとても高価で、多くの家族にとってはなかなか手に入りにくいものだからです。
しかし、こども基金のおかげですぐに粉ミルクを用意することができ、再び赤ちゃんは元気に食事をとれるようになりました。
栄養もしっかりとることのできた赤ちゃんは、少しずつ、でも着実に大きくなっていき、母親も徐々に元気を取り戻し、再び母乳がではじめるようになりました。
お母さんも上手に子育てができるようになってきた入院18日目、別人の様に大きくなった赤ちゃんは元気に退院していきました。
2枚目の写真は退院前日の写真です。
お父さんとお母さんがとびっきりの笑顔を見せてくれました。
このような笑顔を、私たちジャパンハートのスタッフは何度も見てきました。
患者さんやその家族の笑顔に、私たち自身何度も癒され温かな気持ちになり、幸せをもらっています。
そして、幸せな気持ちで次の患者さんを迎えるからこそ、その人たちも笑顔を見せてくれるのだと思います。皆様からの寄付のおかげで、たくさんの子どもたちやその家族が笑顔になるだけでなく、私たちスタッフも笑顔にさせてもらっています。退院する患者さんを見送る私たちは、いつも背中に支援者の方々の存在を感じる度に心から感謝しております。
今後、この子には正しい場所に肛門を作る手術が必要です。
まだまだ、子どもたちの戦いは続きます。
どうか、これからもご支援、ご寄付のほど、よろしくお願い申し上げます。ジャパンハート 中田志織