J.S.FOUNDATION

活動報告

2004.05.17 UP

連日、イラクの惨状がブラウン管に写しだされています。
「フセインが何処かに大量破壊兵器を隠してるのは間違いない」とホワイトハウスの報道官のような小泉総理の演説以降、私たちが見た映像はただただアメリカを軸にした国々の凄まじいまでに進化している破壊兵器の威力だけでした。
“どこにあるのかイラクの大量破壊兵器?”

そして戦場という非日常な極限の中で、心まで壊されていく市民や兵士達。
そんな中、イラクのアブグレイ刑務所のおぞましい虐待の実体が暴き出され始めている。
その情報を見聞きしながら「どうしてこんなむごい事ができるのだろう?」と思う反面、この兵士たちも平常時ならこんな酷いことはしないだろう、と改めて、戦争のもたらす狂気と愚かしさ。
人の心の闇の深さに恐怖を感じずにはいられません。
罪の意識もなく無邪気に笑ってポーズを取るアメリカの若い女性兵士。
この写真のシャッターを押している兵士の目線は、この意味のない戦争に協力した国々の人の目線だよ、と囁いているように思えるのは私だけでしょうか?
なぜ、戦争はいけないのか?とわが子に問われ「難しいことは解らないけど人が人らしい理性を保てないからよ」と答えてきた私です。
CNNによると戦争以降イラクの石油ビジネスは期待以上に成果が上がっているそうです。

4月23日から10日間の予定でネパールに行ってきました。
目的は5年前からドナーとしてサポートしている”AMDA子供病院”と昨年からサポートしている国連高等弁務官事務所(UNHCR)が運営管理する”ブータン難民の子供教育”の見学でした。
現在ネパール情勢は毛沢東思想に影響をうけた人たち、つまり『マオイスト』が知識人などの射殺を企て多発し、政治も混乱し、又さまざまな組織のゼネストも重なり危険度が”4″という状況下でしたので、私たちへの安全対策にはAMDA及びUNHCRの方に多大なご苦労をかけてしまうことになりました。
そして更に悪天候で首都カトマンドゥから地方に行く小型飛行機が飛ぶ事ができず、ネパールの空軍の輸送機にのり難民キャンプのあるビラトナガルまで移動するというハプニングもありました。
前半はAMDA子供病院と識字教育の“フェイズプロジェクト”のためブトワールという町に滞在。
ここを訪れるのは3回目なので顔見知りの院長やスタッフ達と再会し、ゆっくりと話しを伺う事が出来ました。
新しい分娩台やエコー、子供病棟の窓にかかる可愛いプリント模様のカーテンなど本当に感謝され、J.S.Foundationに協力してくださるみなさんに「有難うと伝えて欲しい」ということでした。
産科の入院患者の4,5人に話しを聞いたのですが、”この病院に来るのに家からバス停まで丸一日歩き、そしてバスに丸一日乗る”つまり丸二日間かけて病人や今にも生まれそうな妊婦が来院するという現実も知り、また母親の栄養状態が平均して悪いので産まれてくる赤ちゃんがとても小さいのが気になりました。

今回”フェイズプロジェクト”で訪れた村はカーストの中でもっとも低い部分にあたる村でした。
ブトワールの町から車で2時間ぐらいなのですが、喋っていると舌をかみそうな悪路、そしてこの国は牛を轢きでもしたら重罪になるためどんな場所も「牛優先」の運転ルール。

辿り着いたその村は土地も家畜も木さえもやせていました。
家は4,5畳ぐらいで一家族平均8人、土と牛の糞をまぜた土造りの小屋で勿論電気も水道もありません。
そして村の中で数少ない文字が読み書きできる人を先生として、AMDAが指導しながら”衛生・避妊・栄養”などの勉強をさせています。生徒は17歳~40歳位までの女性達です。
授業の中でユニセフが啓蒙活動の一環として制作したビデオを皆興味深く見ていました。
これは早すぎる結婚、女性の教育等に関するビデオです。
ストーリーを簡単に説明すると、主人公である勉強が大好きな利発な12歳の少女が、ある日突然親が決めた男性と結婚するため学校を辞めさせられます。
そして13才で出産するのですが、早すぎる出産が原因で亡くなってしまうという悲しい物語なのです。
家族には「口減らし」、相手の家には労働力として現実にこういう結婚はあるのです。
驚いたことにこの村も最近までこの様な風習があり、話を聞いた内の1人は結婚が14歳、初産が15歳。
そして生涯出産8人程度だという事でした。また自分の年令もはっきり解らない人も沢山いました。

村の子供たちはいずこも同じで人なつっこく、私たちがもの珍しいのかどこまでもついてじゃれていました。

後半はインドとネパールの国境近くにあるJhapaという地域に7ヵ所にわたって点在するUNHCRが運営するブータン難民キャンプへむかいました。
私達が訪れたのは、1992年初めてできた”Timai”キャンプ、それから”Khudumabari”キャンプです。
難民問題は各国の政治や宗教が複雑にからみ難しいのですが、2005年12月にUNHCRがここから撤退することが決まってしまい、それ以降キャンプの子供達の教育の問題、その他に対してフィールドサ-ビスの職員が真剣に取り組んでおられました。
難民キャンプの代表の方やそれぞれのプロジェクトの責任者の方々と会い、現状説明と要請を聞いてきました。
J.S Foundationはこのプロジェクトに昨年¥3,000,000-を寄付しており、これからも引き続き協力させてもらう意向を伝えました。
自国にもネパールにも安住の地がないブータン人約20万人が粗末な掘っ立て小屋にすみ、働いて賃金を得ることが禁じられているので国連世界食糧協会”WFT”が食糧の配給を、”赤十字”が健康を管理、”AMDA”は医療、ユニセフが子供の環境に携わり、その他も様々なNGOが助けに入っていました。

駆け足の10日間でしたが今回は国連という大きな国際組織が運営しているケースとNGOが市と提携し運営する二つのスタイルが違う施設を見ることができとても勉強になりました。
私がお会いした人達は皆人道支援のプロでした。
J.S Foundationも難民のサポ-トをするのならもう少し政治、宗教に関する単語を覚えないとダメだなと反省…善意だけではなにも進まないのです。

最後になりましたが、現地で皆さんの御協力が、こちらが指定した通りの形できちんと使われているという事が改めて確認できたことを報告します。
そして人が人を助け、励まし、勇気を与えることの大切を知った旅でした。
それにつけても10日間、お風呂が恋しくて、恋しくて・・

2004年5月14日
J.S.Foundation代表 佐藤 佐江子

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