J.S.FOUNDATION

活動報告

2003.09.10 UP

今年は夏を満喫することもなく初秋を迎えてしまいました。
雨、雨、雨で東京ではいくつかの花火大会が中止になり残念でしたがみなさまの街はいかがでしたか?そんな中、6万年振りに火星が地球に大接近。
我が家からも赤く大きな輝く火星が肉眼でもはっきり見え、私の乏しい想像力をフル回転させ6万年前の地球の様子など思い描きながら楽しんでいます。

現実に目を転じると相変わらず重苦しいnewsが氾濫しています。
大阪池田小学校事件の判決、バクダッド国連事務所の爆破など恐ろしい出来事は止むことはありません。
N.Y.国連本部前の追悼式の映像と、一昨年9月11日におきた同時多発テロの追悼式の映像がオーバーラップして時が止まっていたのか、と錯角するようでした。
池田小学校の天使のような子供達の奪われたいのちは犯人がたとえ死刑になったとしても、その日を最後に可愛い姿を抱きしめてもらうこともなく、親しい人達と悲しい想い出のなかでしか生きて行かなければならないのです。

見ず知らずの人にいのちを奪われ、大切なひとに別れの言葉も伝えることなく逝かなければならなかった人が私の身近にもいました。

彼女はフランス人でしたが日本が大好きなお転婆な女の子でした。
大学の頃から難民救済のボランティアに携わり、卒業するとUNHCRの組織に属しグァテマラ、ユーゴスラビア、ブータンと様々な国を元気にとびまわり「知性より体力、体力、今日も元気だ御飯がうまい」などと妙なキャッチフレーズを書いた手紙が届いたものでした。
母親のようなで気分で「そんな場所危なくないの?」などと書いて出すと「この仕事に誇りがあるし、このCampの人達は帰る場所もないのに悲しいこと書いてこないで」などと反対に叱られました。
95年2月4日、可愛いお転婆な女の子はいなくなってしまいました。彼女が29才になったばかりの冬です。

最後に声を聞いたのは1995年1月17日、「阪神大地震」のNEWSをみて心配して電話を掛けてきた時でした。
『人の定めは生まれた時から決まっている』という言葉を聞いた事もあります。
しかし、ある日突然届く無惨な訃報ほど関係者を絶望に追い込むものはないのではないか、と思います。

『何か手伝いをすれば、彼女も喜ぶよ。』と浜田さん。
彼女の志しをついで、99年2月J.S.Foundationが立ちあがりました。

それからは皆様の暖かいご支援を頂き沢山の、例えばネパールの子供達のような新しい出会いがありました。
支援先についても”AMDA”、”UNHCR”、”国境なき医師団”など難民関係や医療関係団体と協力しているのも彼女との出会いがあった為です。

最後に、活動報告を致します。
“国境なき医師団”の要請をうけ8月19日、リベリアのマラリアに苦しむ人々の医薬品購入費の一部として100万円の寄付をさせていただきました。
アフリカにあるこの国は長年にわたる内戦により沢山の難民の流出、流入により混乱が治まる事はなく5年以上まえからマラリアが猛威をふるっているそうです。

先月、私の手元に届いたニュースレターにはリベリアの惨状が載っており、見出しには「ここはまさに地獄だ。水も食糧も薬も、何もない」と書いてあります。
私たちに何ができるでしょうか?

J.S.Foundation.代表 佐藤佐江子

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