J.S.FOUNDATION

活動報告

2018.12.05 UP

バングラデシュ・コックスバザール難民キャンプ視察レポート

いつもいつも、J.S.Foundationにあたたかいお心をお寄せいただき、本当に有難うございます。事務局の佐藤です。
皆さまのご協力を得て、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が援助活動を展開しているミャンマー難民(ロヒンギャ)支援プロジェクトの実情を確認するため、2018年11月6日から8日までの期間、私はバングラデシュに行ってまいりました。
まずUNHCRダッカ事務所を訪問した後、コックスバザールに移動し、ミャンマー難民(ロヒンギャ)キャンプを視察いたしましたので、ご報告させていただきます。

報道等でご存知の方も多いかと思いますが、あらためて、現時点でのミャンマー難民(ロヒンギャ)を取り巻く状況について、記載させていただきます。

現在、バングラデシュでは、ロヒンギャ難民約90万人が避難生活を続けています。
そのうち約73万人(約17万世帯)が、2017年8月25日以降にミャンマーから逃れて来た人々です。

ダッカに到着した6日午前、早速UNHCRダッカ事務所を訪問し、現在バングラデシュ代表代理を務めているJames Lynch氏より、以下のような多岐にわたるブリーフィングを受けました。

  • 大英帝国による植民地時代にさかのぼる地域の歴史。
  • 1970年代後半と1990年代前半にも起きたミャンマーからバングラデシュへの難民流出。
  • 難民キャンプの子どもたちの教育に関する課題:帰還を促したいバングラデシュ政府は正式なカリキュラムを認めていない。
  • 世界銀行やアジア開発銀行といった開発機関とUNHCRのような人道支援機関との連携。

ブリーフィング後、日本人職員の中柴春乃さんよりお話を伺う機会を得ました。
(中柴さんのプロフィール:UNHCR職員として、バングラデシュ、ケニア、タンザニア、ヨルダン勤務を経て、現在はバングラデシュのダッカ事務所にて上級保護担当官。)

中柴さんは(この後、他のUNHCR職員の方にもお会いして、同様に感激することになるのですが)、情熱と信念と誇りを持って難民支援に携わられていて、その言葉一つひとつひとつに経験から来る重みと信頼性、そして可能な限り難民が置かれている環境に心を寄り添わせようという姿勢を体現されている方でした。
そんな中柴さんより、J.S.Foundationを支援下さる皆さま宛のメッセージをもらいましたので、転載させていただきます。

~中柴さんメッセージ~(写真右端)

安全と保護を求めてバングラデシュに逃れてきたロヒンギャ難民の多くは、女性や18歳未満の子どもたちです。
障害や病気をかかえていたり、身寄りのいない高齢者も多くいます。
自国の庇護を得られずに難民として生きるのは大変です。
UNHCRの行う難民の方々への支援は「衣(及び医)食住」を満たすだけではなく、トラウマを抱えた心のケアや教育などのサポートを通して、難民の方々自身の持つ再起する力に寄り添いたいと考えています。
今回J.S. Foundationが再び難民キャンプの現場まで足を運んで下さり、日本の方々にロヒンギャ難民の現状を伝えて頂けることが大変ありがたいです。

難民は国際情勢的には大きな枠組みで総称されますが、UNHCRが関わっているのは一家族単位、さらには家族の中でも一人ひとりの「権利」と「思い」を尊ぶことなのだと、お話を聞いてあらためて実感し、UNHCRが担っている国際社会の中での役割と存在価値を改めて認識しました。
午後、ダッカよりコックスバザールまで空路で移動して一泊。
翌日、車で1時間程走り、クトゥパロン地区にある難民キャンプを訪問しました。
前もって地図を見て、ブリーフィングを受けていたものの、現地を訪れての感想はただただ「巨大」。
見渡す限り、ずっと先までキャンプ地が続いていました。

まず、最初に難民が身を寄せるために設置されている一時滞在センターを視察した後、昨年の難民流入以前から存在したキャンプを手始めに、この1年余りの急激な流入によって開墾されてしまった丘陵地帯を、東から西に向かって徒歩で横断しました。
バングラデシュ政府によってすでに登録されていた人々が90年代以来暮らしているという北東部は、商店があり床屋があり、飲食店があり、人々に活気があり、そこはキャンプではなく、一つの町のようにも見えました。
西へと歩みを進めるにつれて、木々で覆われていたという丘陵地帯が流入してきた人々によって開墾されたという居住地が、見渡す限りどこまでも広がっていました。
起伏が激しく車も入れない地帯で、当初は救援物資を届けることさえ難しかったため、昨年、UNHCRが最初に取り掛かった事業は、この地帯を南北に縦断する道路建設だったそうです。
バングラデシュ軍の協力も得て急ピッチで建設された道路ができ、救援物資の配布が可能になりました。
その後、人が生きていくために必要な水の確保、トイレの設置、さらに糞尿処理施設の建設も始まっていました。







J.S.Foundationは、2017年以来、UNHCRのシェルタープロジェクトと出生証明プロジェクトを支援しています。

シェルターは、着の身着のまま逃れて来た難民の家族にとって大切な居場所になります。
UNHCRは、各家族が家屋を自ら建てられるように、まず緊急シェルターキットを配布し、その後、モンスーン暴風雨対策として補強キットを9万世帯に提供。
その他様々な努力によって、4月から10月まで続いた雨季の期間、心配されていた地滑りによる被害は最小限に抑えられたそうです。
最後に視察した最北西区域に位置するキャンプ4拡張地では、コンクリート製の土台と柱に、加工された竹を用いた、耐久年数10年程を見込んでいるという新たなシェルターが造られていました。
地すべりなどが起こる可能性が高い危険な場所で暮らしている世帯から、こちらに移住してもらうとのことでした。

その前に訪れたキャンプ4で、昨年10月から運営されているという保健センターに立ち寄りました。
多くの難民ボランティアに啓発活動に参加してもらって、保健意識の低かった人々に粘り強く働きかけてきたとのことで、今では円滑に運営されている様子でした。
新生児の出生登録は、昨年の緊急事態によって一時中断したものの、UNHCRがバングラデシュ政府に働きかけ、この地で生まれる新生児全員の出生登録ができるようになっていました。
まさに出生証明がされることが、UNHCRが自分の国に守ってもらえない人々の側に立ち、彼らの人権を守るためのProtection(保護)なのです。

今後のことですが、ミャンマー政府もバングラデシュ政府も彼らの帰還を推し進めようとしていますが、また再び迫害を受ける土地に戻り、安心した生活を送ることなど不可能です。
規模の大きさ故、長期に亘る支援の必要が必要であることを、痛感しています。
サイクロンに耐久できるアップグレードされたシェルターの必要性など、衣食住のことはもちろん、未来のために出来ることも。
支援される弱者という立場のままではなく、社会に貢献出来る人材になるための教育機会の提供、「生きがい」を見つけるためのコミュニティ作り。

正義を主張することからではなく、共存するために何が出来るか。
私たちにできることは何か。

国際社会の一員として、そして皆さまの支援を受け、活動を実施し、報告する立場として、
改めて今回の訪問で感じたことは、私の中に深く沈殿しました。

「I’m Here」

私はあなたとともに。

私たちは一人ひとりに焦点をあて、これからも活動して参ります。

いつもご支援くださる皆さまにご報告させていただくとともに、
心からの御礼を申し上げます
今回の訪問を調整下さった国連UNHCR協会のスタッフの皆さまにも合わせて感謝申し上げます。

J.S.Foundation事務局 佐藤 抄

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