J.S.FOUNDATION

活動報告

2018.04.25 UP

こんにちは。J.S.Foundationの佐藤です。
この春は日本中で梅の花と桜の花が一緒に咲き、その隙間を黄色の菜の花が埋め尽くして色彩的には心が和んできました。
ピカピカの一年生は、その希望に満ちた瞳の輝きを忘れないよう願っています。

今日の私からの報告は、UNHCRバングラデシュ難民キャンプの視察レポートです。
私が勝手に戦友と思っているUNHCR関係者や内藤順司さんやNatsukiさんらの温かなご支援をいただき、皆さまに何かを感じてもらえる写真やレポートの報告ができ、嬉しい限りです。
難民への思いは20年以上前からです。
J.S.Foundationをご支援くださる皆さまに、浜田さんをはじめ我々が何に心寄せているのか、漠然としてでもご理解頂けたら幸いです。

J.S.Foundationは皆さまの温かなご支援に感謝しております!
今後とも力を合わせて一人でも多くの子どもたちに「Welcome to the world!」と伝えられたら―

J.S.Foundation代表 佐藤佐江子

「ロヒンギャ難民キャンプ(クトゥパロン / ナヤパラ)訪問レポート」2017年8月25日にミャンマー国内で起きた暴力行為をきっかけに、67万人を超えるロヒンギャの人びとがバングラデシュに逃れました。現地の状況と支援の進捗を確認したいというJ.S. Foundation佐藤代表の思いを受け、フォトグラファー内藤とともに3月20日よりバングラディシュ入りし、ダッカ市内のUNHCRバングラデシュ代表事務所及びキャンプ最寄りのコックスバザール県にあるUNHCRサブオフィスでの2日間のブリーフィングを経て、コックスバザール県・ウキア地区にあるクトゥパロンキャンプへ22日に、23日に同県・テクナフ地区にあるナヤパラキャンプを訪れました。

ミャンマーのラカイン州を出身とするロヒンギャ難民のバングラデシュへの大規模な流出は、1970年代後半以降、数次に渡り断続的に起きています。
クトゥパロンキャンプは、1992年の難民の方が住まわれる既存のキャンプの隣に、2017年以降の67万人を超える人びとの大量流入を受けて、バングラデシュ政府より新たに提供された1,190ヘクタール(東京ドーム約253個分)の土地で現在も拡張を続けているキャンプです。切り開かれた高台に竹とビニールで覆われた簡素なシェルターが立ち並ぶ姿は想像を絶する広大さで、ロヒンギャの方々の置かれた危機の凄まじさ、規模の大きさに言葉を失います。「民族浄化による難民化」という衝撃的なニュースから、世界の温かい支援を受けて命の危機を脱したものの、これから訪れる雨期=サイクロン襲来による土砂崩れの被害が懸念され、102,006名;23,934世帯が地滑りによる家屋倒壊の危険にさらされると予測されていますが、安全な土地への移動を含む対策資金のうち、いまだ38%が足りていないそうです(3/16現在)。
3月のバングラデシュは乾季の終盤。38度を超える熱さの中、急勾配の坂道を進んでいくと、道の両脇で食料品を売る人びとの、また懸命に土嚢を運ぶ人びとの姿が見えてきます。ニュース報道等で伝えられている通り、ロヒンギャの方々は、一方的にそして暴力的に自身の土地を追われ、自身の家族を失いながら、また自身も怪我を負いながら、命からがら身体ひとつで国境を超えてこのキャンプに辿り着いています。そのような凄まじい体験を抱えながらも懸命に快活に働く姿はこの民族の持つ気品を感じさせるに十分で、また子供達はよくしつけられ、お父さんお母さんをよく手伝っています。
UNHCRのキャンプは細かくゾーニングされ、均一な支援が行き届くよう医療サービスをマップ化するなど様々な取り組みが行われています。昨年10月より100名を超えるUNHCR職員がキャンプ内の世帯を1軒1軒個別訪問し、家族構成の掌握と世帯別の保護ニーズの取得を行ったそうです。また難民の中からコミュニティ・アウトリーチ・メンバー(COMs)と呼ばれる役割を担う人を選出、トレーニングを行い、279名の訓練されたCOMsが任命されました。難民自身が最初のアクションを行い、仲間を自分達で支える仕組みです。
雨期を前に、道路のぬかるみで緊急支援の車両がキャンプに入れなくなるのを防ぐため、難民自身や受け入れコミュニティの住民による道路の補修や橋の架け替えが急ピッチで進められていました。

翌日訪れたナヤパラキャンプは、クトゥパロンキャンプより更に南、ミャンマー国境までわずか5kmの距離にあり、こちらも1992年の難民の方が住まわれる既存のキャンプに、2017年以降に逃れて来た方々が流入し拡大を続けています。人一人がようやく渡れる、簡易な竹製の橋を渡ってキャンプサイトに入ると、向こう側はミャンマー国境という山のたもとに集落が見えてきます。一時滞在センターでのミャンマーから数日前に到着した方々へのインタービューに同席させて頂きましたが、「突然銃を持った男がやってきて土地と牛を奪われた」「毎日焼き討ちがあり人びとが逮捕されていた」等、生々しい証言が続き、「何故自分達家族がこのような目にあわなければならないのかまったくわからない」と冷静にかつ淡々と語る男性の姿に、事の理不尽さが現れていました。
登録された難民(と呼ばれる)1992年に避難して来られた人びとが住むエリアは、25年を経た人びとの生活の姿があり、そんな人びとの暮らしをカメラに収めながら「スーダンに来たみたいだなぁ」とつぶやく内藤さんの姿がありました。このキャンプでも子供達はイスラムの教えに従ってよくしつけられ、水汲み等の仕事もよく手伝い、そんな姿もスーダンの子供達を思い起こさせたようです。

海洋交易によって物資とともに様々な文化が混じり合ったいにしえの時代を思えば、アラビア海~インド洋~ベンガル湾~アンダマン海と続くこのエリアで様々な人びとが行き交っていたと想像する事は決して難しい事ではなく、多くの難民問題の裏に資源やエネルギー問題が見え隠れする昨今、私達ひとりひとりが理不尽な状況を問い人権を守ろうとする心を持つ事、混迷する世界の状況において、国家の思惑を超えた私達”個人”のサポートが今後ますます重要になってくると感じた、貴重な現地滞在でした。

Natsuki(フォトディレクター / JUNJI NAITO PHOTOGRAPHS)





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