J.S.FOUNDATION

MESSAGE

J.S.Foundation事務局

J.S.基金が歩き出すきっかけは仲間達との会話からでした。
「何か信じられるものが欲しいね」そんな呼び掛けで始まったこの基金を通して活動していく事が心の救いになるのなら、
「誰か」でなく「自分達」の為の足跡を残していきたいと想います。
「自分の手の届く範囲で、自分の出来る事をやろう」この言葉に何かを感じた人たち(J)と、
この呼び掛けに答えて下さった浜田省吾さん(S)と、そして私達とで喜びを共有していければ嬉しいです。

J.S.Foundation 代表 佐藤佐江子

ありがとう。本当にありがとう。

J.S.Foundationを支えてくださるすべてのみなさんにこの言葉を贈ります。
一歩ずつですが、みなさんのお力を頼りに今日まで歩んで来れました。

多くの紛争や自然災害、そして貧困に苦しむ発展途上国の子どもたちの環境が少しでも改善できればと、
つねに願ってきました。思い返せば、1999年のコソボ紛争では家族を失った子どもたちにパンを配給しました。
また、2000年にはネパールのAMDAの病院に産婦人科を開設してもらい、多くのこどもたちの誕生をお手伝いいたしました。
その時生まれた赤ちゃんが今では10歳、どのように育っているのか希望がもてます。

人が本来持つ優しさを受けた人が、その優しさを記憶し、新たな優しさを生む。
そして、その新たな優しさを受け取った人がさらなる優しさを生み、別の人へと繋げてゆく。
その優しさの広がりが1年経ち、10年経ち、100年経ち、1000年経ち・・・

そんな輪がいつの日か時空を超えて子どもたちの遺伝子になればと、わたしたちは願っています。

「I'm here」

かつてこのワンフレーズだけのポストカードをいろいろな紛争地から送ってきた女の子がいました。
彼女はこのメッセージに、「私は元気だよ」、「心配しなくていいよ」という自分の安否を知らせる想いと同時に、
被災地で一瞬にして家族や住む場所を失ってしまったたくさんの難民がいることを
決して私に忘れないで欲しいという願いを込めていたのだと思います。

J.S.Foundationはこの「I’m here」を受け継いで、これからも一歩ずつ活動をしていきたいと考えます。

浜田省吾

J.S.Foundationを設立する以前は、
Road&Skyを通じてコンサートの収益やレコードの印税を
単独で単発的に寄付していたのですが、いつか基金を設立して継続的な活動にしたいと思っていました。
1995年、ある出来事をきっかけに佐藤佐江子さんに出会い、
彼女の経験と情熱と行動力を知り、基金に対する想いを相談しました。
そして、彼女を中心に同志が集まり、1999年2月にJ.S.Foundationが発足しました。

「社会のために何か出来ないだろうか?でも、個人で一体何が出来るのだろう?」
そう思っているのは私だけではないと感じます。
個々に存在している小さな善意がひとつになり、少しでも大きな力となって社会に貢献できればと思います。