- 2013.11.29 UP
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福島県の南相馬市小高区と浪江町に行ってきました。
南相馬市へは、南相馬市小高区の小高小学校、小高中学校のソーラー街路灯の工事完了の連絡を受けたからです。
小高区は17時以降は町に滞在することが出来ないのですが、許可を頂き現場に行く事ができました。
住民が戻れる見通しがまったく立たないこの場所に、皆さんの温かな心が灯りとなり暗闇を照らしている空間は、特別な時間が流れていました。
このプロジェクトにご協力いただいた南相馬市職員の安部さんの「住民には希望の灯りです」とおっしゃって頂き、J.S.Foundationとしても嬉しかったです。もう1つの目的の浪江町へは、浪江町の小学校、中学校にソーラー街路灯を設置したいと申し入れていて、「それなら浪江町の象徴的な場所に建てて下さい」と浪江町教育委員会の鈴木さんのご協力が得られたためです。
そして、現地を訪れ、空間線量の比較的低い「避難指示解除準備区域」に立つ、浪江小学校、浪江中学校、幾世橋小学校、請戸小学校に計40基を設置出来ることに決定しました。
しかし、現実には小高区と同様、設置工事は汚染された土の処理や電源の確保、水などの確保、現地に滞在できる時間など、さまざまな問題があるようですが、関係者各位の努力を期待しつつ、早い時期に灯りを灯したいと願っています。
また、鈴木さんの「現地の今を見て欲しい」という強いお気持ちもあり、浪江町から6号線を、双葉、大熊、富岡町にと車を走らせました。
国道沿いに「計画的避難区域」、「緊急時避難準備区域」、「居住制限区域」、「帰還困難区域」と線量の数値で区分けされ、とにかく辛い風景です。どの町も、2011年3月11日で時間が止まっていました。
各々それぞれの日常が突然中止させられ、原発事故の正しい情報も知らされず、避難先も転々とさせられ、鈴木さんの話によると3月12日の早朝、突然タイペックに身を包んだ自衛隊の隊員にドアをノックされ、避難を促された人もいたようです。
目にする町の様子はとても辛く、あの日からは、小さな一歩も歩き出せないでいる町でした。住民の姿が消え、町を闊歩するイノシシの親子。
町に入るために事前申請をし、いたるところに設置されている検問所で身分証明書の提示を求められる。
こんな場所が日本にあります。気が遠くなる程の時間が過ぎたあと、いったいどんな未来がこの町に訪れるのだろうか?南相馬市に向かう途中、見事な虹と夕焼けが第一原発のほうから掛かっていました。
内藤さんのすばらしい写真をお借りしました。
J.S.Foundation代表 佐藤 佐江子